また、空が見えるまで ・・僕と妻とうつ病・・
初めて書いてみた作品です。
ほぼ私小説ですが、よかったらお読みください。
「いってらっしゃい。」
妻の明るい声に見送られながら、僕は引っ越したばかりのマンションを出た。駅が近づくと車両基地のほうから午前7時36分発の通勤電車が駅に入るのが見えた。
駅は始発駅なので、少し早く駅に着くとほぼ座ることができる。
乗る車両、座席は決まっていて3両目後ろ側のドア横の3人掛け(だと思う)。今日もこの座席を確保できた。早速バックを肩から下ろすと本を取り出した。
これからは約30分間の読書タイムだ。一日の中で貴重な自分の時間が始まる。
本を読み始めて暫くすると、発車のアナウンスがながれた。定刻に電車は走り出した。
次の駅で隣に人が座った。スーツを着たサラリーマンのようだ。再び、本に目を落としたが、ふっ、と集中が切れた。
本を膝の上に下ろした。
頭痛がした。最近、よく痛くなるな。
再び、本を読もうとしたが、文字を追うことができなかった。
・・昨日は、子どもたちと公園で走り回ったんで疲れたのかな。
僕の前にも人が立った。周りをみると既に混み始めていてる。
いつしか車窓から景色を見ている。
毎日、通っている街の風景のはずなのに・・
・・下を向いて本ばかり読んでいると自分の街の景色も知らないんだなぁ。
会社の最寄り駅が近づくにつれ、また頭痛と不安が沸き起こってくる。
・・今日はうまくやれるだろうか。
生まれつき心配性なのだ、と思おうとした。
そんな僕は、この4月に少しだけ出世したんだ。
同期や後輩たちが出世していく中で足掻いていた。
一流大出でもない僕が出世できる道は険しかった。
少しでも出世したい、そう思って頑張ったんだ。
「出世はもうないな。」という最後のタイミングだったと思う。
一応、会社は実力主義を標榜していたし、何人かは僕みたいな経歴で出世した人もいる。。
僕にもできると思った。
実際、成績は悪くなかったんだろう。どの職場でも、上司から「期待してるよ。」って声がかかった。
期待を裏切らないよう頑張ったんだ。
でも、何かが足りなかった。何かが・・
そんな僕を見て、妻はいつも「頑張らなくていいよ。このままで十分だよ。」
と言っていた。
内示が出た時、同僚や上司からは「いいところにいけたな。」と例外なく言われた。
僕も、うれしく誇らしかった。でも、僕はそこがどんなところか本当には知らなかった。
妻も単純に喜んでくれた。その笑顔が見たかったんだよ。
その日飲み交わしたビールはおいしかったよ。
「マンションを買おうか。」
僕の提案に妻も乗り気になってくれた。
新築マンションを色々見て回った。見学するには楽しい。いろいろ見て回ったけど、なかなか条件に合う物件てないんだよね。
結局、今のアパートの近くの中古マンションを購入した。
金利の安いうちにと少し焦ったかもしれない。
でも、子供たちの校区も変わらずに済み、よかったと思っている。
定年までローンは残るんだけどね。
帰りの電車で吊革に掴まりながら、「今日もなんとか終わったよ。」
自分に話しかける。
とにかく凄いんだ。周りの連中。
この人たちと同じ仕事が僕にできると思えないんだ。
圧倒されている。スタッフだって僕よりすごいんだ。
ただただ、教えてもらっているだけ。
ただただ、右往左往している。
みんなの足を引っ張っている自覚がある。
周りの目が最初は笑っていたのに、最近は冷たくなったような気がする。
どうしたら追いつけるんだろう。
でも、何でこんなに難しい案件ばかりなんだろう?
どうして僕にはできないんだろう。
何度繰り返しても誰も答えを教えてくれない。
そんなことを思いながら、駅から我が家と歩く毎日だ。
今日は金曜日、週末が楽しみかって?
仕事を忘れて家族と過ごしている時は楽しいよ、とても。
子供たちは、とても元気で広い芝生広場のある公園によく行く。
ボールを追って走り回る。
僕も一緒に走るから夜はぐったり。
妻は「あの子らの面倒をみるのがどれだけ大変か。少しはわかるでしょ。」
って笑っている。幸せを感じる瞬間だね。
残業のない日は、子供たちが起きているうちに帰って、一緒に過ごすようにしている。
実は子供が赤ん坊の時、残業続きで起きている顔を見ることがなかった。
ある時、少し早く帰ったら子供が起きていた。だっこしようとして手を伸ばしたら、よそを向かれて知らん顔されたことがある。ショックだったよ。
それ以来、極力子供たちが起きている時間には帰るようにしている。癒されるしね。
夜8時になると、子供が絵本を持ってくる。「今日はこれ読んで。」寝るときに絵本を読むのは我が家の習慣だ。ときどき、一緒に寝てしまうけれど。
でも、金曜日や土曜日の夜、ハッとすることがあるんだ、仕事のことを考え、あれは間違っていたんじゃないかと。そうなると週末の間、頭が一杯になる。震えるほど苦しくなる。はやく月曜日になって確認したい・・気が気じゃない。
家族には気づかれないようにふるまっているつもりだけど、妻にはバレバレのようだった。
「無理しないでね。」
妻の優しい言葉も心配も上の空で聞いている。
苦しいな・・
もう通勤電車で本を開かなくなった。いや、開けなくなった。
電車の中では、目を瞑っている。
職場では、まず、文字が書けなくなった。メモができないんだ。字を書くことがこんなに苦痛になるなんて。
そして、新しい仕事をすることが怖くなった。
頭が痛い。頭痛薬もあまり効かない。
夕食のとき妻が「一度、病院に行ってみたら?」
「そうだね。休みを取っていってみるよ。」
子供が「お父さん、どっか痛いの?」
「肩たたきしようか?」
「たのむよ。これでよくなるよ。」
10回で終わったけど、ほっとするようなうれしい一瞬。
行きつけの内科の先生は
「頭痛が酷い、肩こりからくることもあるからね。」
「一応、紹介状を書きますから総合病院で、CTを撮ってみてくださいね。」
前から思っていたが、やっぱり藪医者っぽい。
紹介状を持っていった病院でも
「CTは異状ないですよ。肩こりかもしれませんね。」
ここも藪医者確定だ。
ため息が出た。
まったく手詰まり。どうしたらいいのだろう。
この息苦しさ、だれにもわかってもらえないんだ。
頭痛はどんどん酷くなる。
妻は「そう、とにかくゆっくりしてね。鍼に行ってみたらいいよ。」
妻はそういうと話そうとした今日の子供たちのことを話すのをやめた。
どんよりした気分のまま、通勤電車で通勤を続けていた。
頭痛に不安、頭の中が一杯になる。
それでも休まず、職場に通った。
その先輩は、2つ前の職場で一緒だったひと。
たった5人の小さな事業所を起ち上げた時の上司だ。
僕には、なかなか居心地のいい職場だった。
忙しかったけど仕事が楽しかった。
事業所の仲間ともワイワイやりながら仕事していたんだ。
その時の事業所長、課長職なんだけど先輩と呼んでいる。
今の職場に異動してきたとき、課は違うけど同じフロアにいた。
僕の異動を喜んでくれた人だった。
廊下で先輩を見つけ
「先輩、久しぶりです。最近、見かけませんでしたね。」
「いろいろあってね。しばらく休んでいたんだ。」
「それはそうと新しい職場はどうだ?」
「難しくって。」
「まあ、そういう職場だよ。気楽に構えた方がいい。」
ちょっと考えて
「最近、頭痛が激しくってつらいんです。」
「気持ちの方が落ち着かないとか、イライラするとかもあるの?」
「はい、もうどうしようもない気持ちなんです。」
すると先輩は
「そうか・・一度心療内科に行ってみるといいよ。」
「心療内科ですか?」
「そう、助けになるかもしれないよ。」
その時は、そのまま別れたが、後で他人から聞いた話では、先輩はいわゆるうつ病で休職するための診断書を持ってきたそうだ。その30分ほどの間に偶然に会えたらしい。
心療内科か・・
思いもしなかったな、でもどこの病院に行ったらいいんだろう?
SNSで口コミを見てみる。
どこも一長一短だ。どこが自分に合うのだろう。
悩んだ結果、通勤途中にある心療内科に予約の電話をした。
「予約は一番早くて1週間後の木曜日の15時からになりますが、お急ぎなら時間のお約束はできませんが、こちらで待たれることもできますよ。」
そんなに患者が多いのかとびっくりしたが、待ちさえすれば今日診てもらえる。
ためらわずに
「では、これから伺います。」
と応えた。
病院の待合室は、となりの人が見えないように仕切りがしてあった。
受付をしたあと、空いている席を見つけて座った。
中庭が見え緑が綺麗だった。
1時間ほど待っただろうか、診察室前の待合に行くように言われた。
診察室のドアを右側に見る長椅子で、ここで待つらしい。
やがて、診察室のドアが中から開き、ニコニコとした先生が出てきて、僕を中に誘った。
先生は優しい顔で
「どうしましたか?」
「何から話したらいいか・・」
一所懸命に今の苦しさを訴えたつもりだった。
10分も経っただろうか
「この病気は薬で治りますからね。心配しないでください。」
「薬を出しておきますね。また、来週来てください。」
あぁ、こんなもんだよな。
診察がおわり、席から立ちあがったとき
先生が突然「ところで死にたいですか?」と聞いてきた。
意表を突かれた。
足が止まり、先生を見ると「はい、死にたいです。」
涙がとめどなく流れた。
診察がはじまった。
それから一週間は薬が効いたのか、調子がよくなった。
その期間が過ぎると、また、不安が出てくるようになった。
そして「死にたい」という気持ちは、いつもどこかからかやってきた。
通院のたびに薬の種類は変わらないが、量が増えた。
自分では、よくなっているのかどうか、よくわからない状態だった。
ただ、悪くはなっていないようだ、と思おうとしていた。
毎朝、「死にたい、死にたい」と一歩一歩会社に向かって歩いていた。
表面的な日常はなにも変わらなかった。
ただ、淡々と毎日が過ぎて行った。
そんな僕を見かねて
「パパ、辛かったら仕事辞めていいんだよ。」
「ローンもあるし、生活費もある。これから子どもたちの学費だってかかるのに、辞められないよ。」
「なんとかなるよ。パパが駄目になるのが一番辛いんだよ。」
妻の言葉はとても、とても身に沁みた。
でもやっぱり辞められないよ。頑張るよ。
いつしか、自殺の方法をネットで検索するようになっていた。
飛び降り・・どこの団地は飛び降りが多い。
電車への飛び込み・・ばらばらになった体の部分を拾い集める。運転士がPTSDになるとか。
薬のオーバードーズ・・適量がわからない。失敗して苦しむetc.
苦しいのはいやだな、どれも迷惑をかけるな。
楽で苦しまず、確実に死ねて一番家族に迷惑の掛からない方法はなんだろう。
こんなことを、毎日考えていた。
病院から帰って、診察のことを妻と話していると
「パパはかっこつけるから、病院でも、ほんとのこと言えてるのかなぁ?」
ズボシを突かれ返す言葉がない、自分を守るため、「ちゃんと言ってるよ。」と大きな声を出しそうになった。
でも、ほんとのことなんだよなぁ。
「次から一緒に行こうか?」
はぁ、お願いします。
そんな話をした晩、窓の外が赤く染まっていた。
のぞいた妻が
「隣のマンションだと思うんだけど、パトカーが来ているみたい」
「なんだろうね、火事じゃないみたいだけど。」
2人で玄関から外通路に出てみると、住人が何人か出ていた。
「パトカーだけじゃなく、消防車もきているね。サイレンも鳴らさずに何事だろう。」
近くのひとたちの話が聞こえてきた。
・・自殺未遂じゃないかって。
・・首つり?
・・混ぜるな危険って洗剤にあるじゃない。
・・危険な空気が淀んでいるから消防車が来てんじゃない?
妻が「戻ろう。」と僕を促した。
玄関を入ると
「噂って、あーやって勝手にできるんだね。」
「好き勝手言って、他人の不幸を面白がって。」
妻はこういううわさ話がとても嫌いなんですよ。
でも、僕は「自殺」という言葉が頭を駆け巡っていた。
上手く死ねたのだろうか。
あのパトカーや消防車はほんとは我が家に来るはずじゃなかったのだろうか。
そんなことを考えながら眠りについた。
夜中、誰かに揺り起こされた。
何かおかしい。
目の下に見えるのは、うちのマンション。えっ僕はどこにいるの。
急にマンションが近づき我が家に入った。和室に僕があおむけに寝かされている。
幽体離脱ってやつ?
顔に白い布がかぶせられている。
そばに妻と2人の子供と座っている。唇をかみ、懸命に座っている。
「お父さん死んじゃったの?」
「もう起きないの?」
急に天井をすり抜けマンションを眼下に見ている。360度全方向が見えているようだった。
どこかを飛んでいる。特に怖くはない、ただただ、浮遊感があるだけ。
いつの間にか昼間になっていた。
会社が入ったビルが急速に近づく。
「ぶつかる。」と思った瞬間、壁をすり抜けていた。
そこは僕の職場だった。
目の前に、自分の机があった。
「片づけておいてくれ。私物はまとめておいてな。」課長の声だ。
周りには同僚が集まり
「いい人だったのにね。」
「いい人過ぎたんじゃない。」
「人がひとりいなくなるとまた仕事が増えるな。」
…ごめん、迷惑をかけるね。
また、空に昇る。
次に近づいたのは葬祭場。パノラマのように場面が変わる。
1日過ぎた葬式の場らしい。
葬祭場の祭壇に自分の棺桶あった。
読経がおわり、焼香が終わると、参列者が引けていく。
ほとんどは会社関係者、ほとんど接点のなかった人もいる。
「昼は何食べる?」
「課の代表できただけだから」
「昼からまた会議だよ。」
みな、自分と関係のない話をしている。
中には笑って会話をしている人達さえいた。
彼らにとって僕の葬式なんて余分の仕事なんだろうな。
再び三度、空に舞上がり、会社のビルの壁を抜け、職場に来た。
その日の午後には、僕の職場も通常業務になっていた。
来年には、いや来月には僕がいたことなんて誰も覚えていないだろう。
勝手に死んで家族に迷惑をかけただけ。
いったい何をやっているんだろう。
ほんとに自分のことを思ってくれたのは・・
僕は何のためにここにいるのだろう?
そう思っていると周囲が闇に包まれ、そして意識が飛んだ。
また、誰かが僕を揺り動かしている。
「パパ、起きて」
遠くから妻の声が聞こえる。
「パパ、パパ起きて。」
「う~ん。」
体中に汗をかきながら、徐々に意識がはっきりしてくる。
ベットの横に妻の顔を見つけ、これは現実か?と一瞬疑った。
僕の手を握りながら、妻がほっとした表情をした。
「パパ、苦しいの?」
「ずっと、うなされてたよ。」
「目をさまさなかったらどうしようかって心配したんだよ。」
妻が再びホッとしたらしい笑顔を見せた。
「こんなに汗をかいてる。」
「タオルを持ってくるね。」
僕ははっきりした意識で、手を放そうとする妻の温かい手を握り返した。
まだまだ治療は続き、寛解までは時間が必要です。