第九話「人類の敵」
イムヌス大陸は、東西に長い大陸である。
その中でも最西端に存在するのが、アマルテア帝国とその周辺国だ。
人と人が自ら振るう刃で争っていたこともあれば、現在のように手を取り合い、共通の敵に対抗しようとする動きを見せている。
人同士で血を流さぬ時代となったのなら、それは平和と呼ぶに値するだろう。
「それを脅かすのが、魔物というわけだ。
この中で、実際に魔物と戦ったことがあるのはどれだけいる?」
「ヒルデガルト班は実戦を経験しましたが、他の班はないはずです、師範」
級長の言う通り、ヒルデガルト班以外を見ると、そちらは首を横に振る。
知っている生徒に合わせて授業を進めれば、知らない生徒を置いていく。
どれだけ御託を並べようが全ての学びには優劣が存在し、知識の有無も個人で違う。
その点を考慮できなければ、学び舎は成長の場ではなく、挫折の場になる。
「魔物とは魔洞と呼ばれる場所から現れる動物とは違う亜種生命体だ。
ではそんな魔物の内、先日ヒルデガルト班が遭遇したのは小鬼種だ」
マスティマは黒板にゴブリン種の書かれた紙を貼る。
小鬼の呼び名通り、背丈は人間の子ども程度で、額に一本角が伸びている。
「体色は様々だが、緑のものが特に多い。スポット周辺によく出現する小型の魔物で、人や家畜を襲ったりする。気を付けるべき点は、武器を使えることだ」
世間一般でも知られる魔物だが、知られていることはこの程度。
どういった生態、特性を持つかは、未だによくわかっていない部分が多い。
「まだ研究段階の話だが、額の角の付け根には神経が集中していて、ここを刺激すると動きを封じられる。その間に首の付け根にある核を破壊すれば、簡単に倒せる」
その中に、マスティマは傭兵として経験で培った知識を加えていく。
魔物に関する研究は多くの学者たちが取り組み、本や論文になって世間に広く伝わっている。
だが、実際に戦って得てきた知識や経験しか持ちえないものもある。
「さて、魔物がどうしてスポットから出て、地上を徘徊するか、わかるものはいるか?」
マスティマの問いに、メガネをかけた生徒がおもむろに手を挙げた。
「自分たちの生存範囲を、広げるため、でしたっけ」
非常にあいまいだが、正解だった。
「そうだ。魔物は、この地上では長く生きられない。奴らをスポットから引き離して一日閉じ込めれば、勝手に消滅する。それは大型の魔物でも同じだ。
だが、スポット付近で同じことをしても、消滅はしなかった」
スポットから地上に向けて、鉄のような臭いを伴った力が流れ込んでいる。
魔子と呼ばれるそれは、人の体に害をなすこともあり、逆に大量の魔子を浴びたことで抵抗力が増し、名無しの血紋が発生させることもある。
魔子が魔物の存在を維持し、活動時間を延長させる。
地上に長く居座れば居座るほど、その発生範囲は拡大しているのだ。
魔物たちは、自らの生きる範囲を拡大させようとしていた。
それはまるで、国家がより多くの収益を得ようと土地を拡大させるかのようだ。
もっとも、魔物たちに領土という概念があるかどうかはわからないが。
「奴らの目的が領土拡大であるのなら、それを前提とした作戦を立てることができる。
生存範囲拡大が奴らの本能だとするなら、何より優先されるだろう。
その性質を逆に利用すれば、待ち伏せや包囲が簡単に行える」
敵がどう動くか、それを看破できていれば、戦場ではより有利になる。
人間ほど戦術をはっきりと持ちえない魔物たちは、その肉体の頑強さでもって勝利を狙ってくる。
ブラッドのあるなしに関わらず、人間が勝れる部分を増やすことは、犠牲を減らし、より多くの人民を救うことになるだろう。
「いつどこにスポットが現れるか、俺たちにはわからない。後手に回った対処だとしても、敗北さえしなければいいんだ。自分が死なないこと、仲間を死なせないこと、それだけさえできれば、何度だって再挑戦できる」
生き残ること、それは傭兵の至上命題だ。
騎士は誇りと主を守ることが使命だ。
衛兵は街の門と民を守ることを任せられた。
傭兵は依頼主の命令実行こそ主目的だが、自らが生き残る以上の目的はない。
危険を冒してまで金を受け取るのは、明日を生きるために必要だからだ。
自らの命を危険に晒してまで任務に没頭するのは、単なる死に急ぎか、騎士に取り立ててもらいたいからのどちらかでしかない。
「この教室にいる何人は王侯貴族で、騎士で、生き残ることは大切だが、それ以上に担う使命があると思う。それは、俺が選べなかった道だ」
噂程度だが、とあるブラッドならば断ち切られた四肢さえも治すという。
だが、それでも死んだ命は、二度と戻ることはないらしい。
そもそも、そんな神のごとき治癒能力を持つブラッドを持つ者など、一時代に一人いるかどうか。
「生存こそが最大の勝利……それは傭兵としての、先生の気質なのですね」
ヒルダの問いに、マスティマは肯いた。
「俺が教えられることは、どうやって泥臭くても生き残れるかということだ」
その一言が、マスティマの方針を表している。
規律と集団行動を最優先する軍隊とは違う。
ただ個人で、己のルールにのみ従う傭兵の在り方を、彼は示そうというのだ。
「生徒それぞれに合った武術や、高等な血紋術なんてものを教えられるほど、俺自身が知っているわけじゃないからな」
「むしろそれが一番よね。武術やアーツを知りたいなら、他の先生もいるし」
カリッ、と乾燥した豆をかじる音が響く。
アンネの言う通り、適材適所だ。
「先生。ではお伺いしますが、具体的なこれからの指導方針はどのように?」
「そ、そのー、なにかあたしたち側で用意したほうがいいもの、あるんでしょうかー」
きびきびと問いかけるエリックと、遠慮がちに聞くグリゼルダ。
二人からの質問に、マスティマは首を横に振る。
「これと言って特別なものは必要ない。明日からは運動着で学校の門に集合してくれ」
「学校の門……? 運動場じゃあないんですか?」
グリゼルダは疑問を口にするが、否定はない。
自己紹介が案外時間を食ってしまった。
「ひとまず全員がどれだけ動けるのか、限界を知りたい。今日は早めに寝て、明日の朝食は少な目にしておくことを勧める」
翌日、学外の森を駆け抜ける士官学校生の姿が住民たちに目撃されることになる。
その多くが疲労し、限界を迎え、教師に背負われ担がれ学校へと戻っていくのだった。
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