第二十八話「勝利の後」
ブルガハイド伯爵は、帝国の名門貴族だ。
メティス騎士王国と国境線を隣接し、前皇帝による融和政策のとばっちりを、最初に受けた貴族の一人だ。
それまで川向うまであったはずの土地が川の中央まで減少し、それまで自分たちだけで対処していた魔物の対処を、王国の国境軍と合同で行うことが増えた。
魔物討伐は、決して負担だけで終わらない。
爪、角、毛皮をうまく確保すれば、対魔物戦の武器にもなれば、時には薬効をもたらす。
その利益を、魔物との戦いに慣れていない国境軍と分け合う――というより奪われることに、ブルガハイド伯爵は納得がいかなかった。
聖定二十二紋の継承者として。
これまで帝国のために戦ってきた門閥貴族として。
彼は貴族連合の側に立ったことに、一切の悔いなどない。
「何か、言い残すことはあるか。ブルガハイド伯爵」
「……まさか、皇女殿下と刃を交えて、あまつさえ敗北するとは、思っていなかったよ」
それまでは馬上の人だったブルガハイド伯爵は、馬から落着。
両手で握った両手剣の顕現武装は、鈍い輝きをだんだんと失っていく。
顕現武装は確かに強靭で、太刀打ちできる武器など早々存在しない。
しかし、その力を扱えるかどうかというのは、本人の技量に委ねられる。
「貸与された血紋とは言え、顕現武装もないあなたに負けるのなら、我が判断は大いなる間違いだったということですな」
「その自覚があるなら、もっと早くに付く相手を変えるべきだったわ」
首筋に旗の穂先を突きつけながら、ヒルダは戦場の風を受ける。
血と刃と死の臭いにまみれた風は、彼女の心に訴える。
敵を滅ぼせと、その首と胴を永遠に引き千切れと。
「聖定二十二紋はいつかあなたの血筋以外で復活するわ。地獄からその様子を見守っていることね!」
振り上げた戦旗にブラッドの光が宿り、穂先が巨大化する。
首へ向けて槍を振りぬく。
「それは、少し待ってくれ」
天空から伸びてきた鎖が、首に当たろうとした刃を止める。
普通の鎖であれば弾かれるだろうが、この鎖は空中に突き刺さったように動かない。
「師範?」
「利用できるものを捨てる必要はない」
空間を貫き、繋ぎ留める力を持つ鎖龍儺。
飛んでくるクロスボウの矢を受け止める強度と柔軟性を持つ。
ヒルダの顕現武装ではない戦旗ならば、受け止めるのに容易い。
「捕虜にすれば価値のある人物だ。両手剣のブラッドも確保しておいて損はないだろう」
「……師範がそうおっしゃるのであれば……」
敵の切り込み隊長と言える右翼将を捕らえたが、それで戦いが終わるわけではない。
混乱した中央はまもなく統制を取り戻すであろうし、敵を牽制し続けている左翼も引き際を間違えれば殲滅されかねない。
右翼が引いている今、戦列を整え直し、相手を後退させる絶好の機会だ。
「奴らを完全に撤退させる。騎馬隊と教会騎士団へ通達! 敵中央へ突撃、これを撃滅する!」
ヒルダの翻した旗に倣い、兵士たちが動き出す。
その後、この街道での戦いは終結した。
拮抗した戦線は一人のペガサスライダーの参戦によって激変し、中央司令官、聖定二十二紋保有者の左翼将までも失い、新帝国軍は敗残の兵となった。
しかし、大聖堂士官学校を守る混成部隊も、教会騎士、傭兵団、騎士王国派遣部隊、都市連合派遣部隊それぞれ二割以上の損害を出すことになった。
かろうじて軍としての体裁を整えていられる、限界だった。
***
その後幕営にて。
ヒルダは食事もとらず、背もたれに体を預けていた。
「ヒルダ、入るぞ」
「あ、師範……ごめんなさい、こんな姿勢で……」
「気にしなくていい。君も疲れているだろう」
自ら椅子を移動させたマスティマは、ヒルダの前に座る。
師の前で背筋を伸ばすヒルダだが、その額に脂汗が浮かんでいる。
「ヒルダ、体調が優れていないようだな。話があったが、休んだ方がいいか」
「いいえ。するべきことはしなくては。少し休憩していただけです」
「それにしては、ずいぶん苦しそうだ」
戦場に立っていた時には毅然とした姿を見せていたが、ある程度無理をしていただろう。
学生時代の輝きが、少なからず損なわれていた。
「心配ありません。私は、パンガエア皇朝の皇女として、するべきことをしているだけですから」
「あの日から、ずっと戦ってきたのか」
「……ええ。あれから一年と二か月。あなたの授業を始めて受けた日から、二年です」
「つまり、今は大陸暦八百年か……一年以上寝ていたわけだ」
マスティマの呟きに、ヒルダは首を傾げる。
まさか、人間が一年以上に渡って眠り続けることができるとは思えないだろう。
「悪かった。だいぶ、待たせてしまったみたいだな」
「もう、誰も残っていないと思っていました。お父様も、リンザー尚書も、他の大臣たちも、あのパーティーで誓いを立てた人たち、そしてあなたも、誰もいないのだと……」
拳を握りしめた皇女の手は震えている。
怒りか、恐怖か、その両方か。
「ならばせめてと、パンガエアの姫が……私が生き残った意味が、どこかに――ッ!」
皇女は言葉を続けることができず、咳き込むと同時に、口を押えた手を赤く染める。
「ヒルダ――ッ!? 君、その血は……」
「だ、大丈夫です。最近、ちょっと、咳が――ごほっ!」
ベチャ、と音を立てて血が零れる。
肺か、胃に血が溜まっているのか、咳き込むたびに吐血する。
椅子から倒れた皇女を、マスティマが抱き上げる。
脂汗を浮かべていた顔は青ざめ、苦しげに荒い呼吸を繰り返す。
「病気なのか? 学校にいたころはそんなことを……」
「数か月前から、こんな調子です。医師からは原因不明、治療薬もなく、胃と肺によい薬湯を少しずつ飲んでごまかしています」
「戦場に立っている場合じゃないだろ!」
マスティマはヒルダを寝台へ寝かせると、自分の額に当てた手を彼女の額にかざす。
何を? と問いかけようとしたヒルダは、体に血紋の力が流れ込んでくるのを感じる。
身体強化の血紋術は、弱った体に多少の活力を与えてくれる。
その際、わずかばかり、マスティマの力が直接流れ込んでくる。
「師範、少し、話をしてもいいですか?」
虚ろな目で訴える生徒に、マスティマは小さく頷いた。
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