第二十七話「託された力」
「高いです落ちちゃいます降ろしてくださいぃぃぃっ!!」
泣き叫ぶグリゼルダを乗せて、ペガサスは空へと舞い上がる。
その隣を同じくペガサスに乗ったマスティマが飛んでいる。
「だがここまで来たんだ。これだけ混乱した戦場の上を飛べるペガサスもそういない。
見てみろ。今この空を支配しているのは、頭上で弓を持った君だ」
「ふえ……私、が」
「ヒルダが撤退するにも敵の追撃をどうにかしなくちゃいけない。ここで彼女が生き残るには、君に頑張ってもらわなくちゃならない」
その一言に、グリゼルダの顔が引き締まる。
泣き声も、嗚咽もない。
涙は拭い捨て、その手に弓を取る。
「だからこそ、この力を託す」
マスティマの左手から伸びた鎖がグリゼルダの額に触れる。
すると、彼女の額に鎖の紋様が刻まれた。
血紋を先生から生徒へ貸し与えられる。
「任せたぞ!」
その言葉とともに、マスティマは教会騎士と戦う敵の、後方に陣取る敵中央軍大将へ向けて突撃する。
ヒルダの部下より借りた剣を抜き、左手には鎖に繋がった短剣を握り、一気に降下する。
そして十分地面に近づいたところで、マスティマは馬上から飛び上がった。
「おい、なんだあれ!?」
「人!? 落ちてくるぞ!」
敵将の眼前へと舞い降りる。
馬に乗り、立派な鎧で着飾り、旗が近い――これが部隊長ないし司令官。
唖然とする敵方の前で、マスティマは左腕を引く。
「撃ち抜け、鎖龍儺!」
鎖を伸ばし、刃が敵将を貫いた。
これで、一人目。
さて、これでどれだけ混乱するか――。
「討取れ!!」
「生かして返すな!!」
「なるほど、よく訓練されている!」
馬に乗った周囲から、槍と剣が振り下ろされる。
指揮系統が分断できるかと思ったが、さほど効果がない。
流れ矢や事故でふいに司令官が死ぬことはある。
ならばその時の対処がどれだけ十全にできているかで、部下の教育能力は試される。
この司令官は相応に高いか、見立てよりさほど位が高くなかったらしい。
だが、それは想定内。
「センセーが突っ込んだ時、そこに集まる敵と、違う場所に集まる敵がある」
奇襲攻撃を受けた時、軍団の取る行動は二つ。
奇襲してきた敵を討取る者と、自分たちの大将を狙う刺客への対処だ。
敵が少数であればあるほど、後者の対応は小さい。
それでも、最低限伝令が飛ぶ。
「見つけた……」
旋回する馬上から、グリゼルダは下をじっと見つめる。
敵の鎧の間を抜けていく馬が一頭。
それは停止すると同時に、何かを報告する。
マスティマがそちらに向かおうとすれば、壁は厚くなる。
「あの方向にいる、あれが大将……」
矢を手に取ると、額の紋様を輝かせる。
ゆっくりと弦を引き、決して安定しないペガサスの背の上で狙いを定めていく。
「上空にまだいるぞ! ペガサスライダーを上げろ!」
「くそ、なんだあの高さ、ペガサスの限界高度を超えているぞ!」
「弓でも槍でもいい、将軍が狙われているぞ!」
敵の狙いも正確だ、飛んでくる矢をペガサスが回避し、余計に大きく揺れる。
敵大将の周りは矢を防ごうと盾を並べる。
時間とともに、攻撃できる範囲は小さくなる。
「やらせるな! たった二人の敵に何を――ッ!」
「うちの生徒ががんばってるんだ、邪魔をするな」
後頭部に突き刺した刃を、鎖を引っ張ることで敵ごと地面へと叩きつける。
弾け飛ぶ鮮血に、敵兵たちはマスティマからわずかに退く。
それが、唯一の隙だ。
「吠えろ、|鎖龍儺!」
マスティマの放つ言霊に合わせて、鎖龍儺の鎖が白く輝く。
血紋の輝きを纏った刃と鎖は、本来の鎖ではありえない軌道を描きながら兵士たちをなぎ倒す。
白龍のごとき咆哮と動きで周囲を威圧する鎖を片手に、マスティマは包囲の一角を崩す。
「捉えた……!」
「来るぞ、備えろ!」
わずかな隙を掻い潜った刃が、敵将前の盾に突き刺さる。
体を強引に引っ張らせれば、マスティマの体は敵大将のほうへと飛んでいく。
だが、勢いがありすぎる。
勢い余って、マスティマの姿は敵大将を飛び越えていた。
「な、なんだあの曲芸師は!?」
「飛んで行ったぞ……」
「……しまった、盾を整えろ! ペガサスライダーの射線を塞げ!」
茫然とした兵士の中で、一人聡い者がいた。
自分たちの大将を飛び越えるマスティマを、視線と体が追っていく。
その過程で、わずかに盾の向き、並びがグリゼルダを警戒していた時と変わっていた。
つまり、彼女の位置と反対側に飛んだマスティマのせいで、防御陣形にわずかな隙ができたのだ。
「ここだね」
あまりにも静かな声。
それは誰にも届くことはない。
届くのは、その一本の矢だけだ。
鎖龍儺の力を得たことで、繋がった鎖が軌道を制御する。
強固な防御陣営の前では、多少の軌道制御は何の意味もなかった。
だが、針の穴を通すように、確かに生じた隙間があれば、そこを通せばいい。
防御に回ろうとする者へ、マスティマの白刃がきらめく。
「よくやった。さすがだよ」
戦闘技能、特に射撃技能が、その性格に相対するかのように秀でたグリゼルダの一矢が、敵将の首を貫く。
勢い余ったその矢は、矢を中心にして鎖を放出、敵大将の首を跳ね飛ばす。
「将軍……!」
「そんな、まさか!?」
先ほどマスティマが指揮官の一人を討った時とは比べ物にならない動揺が、周囲へ伝播する。
「敵将、我らがペガサスライダーの、グリゼルダ・キスリングが討取った!!」
声高に戦果を叫べば、混乱に拍車がかかる。
その間に呼んだペガサスに乗って上空へと舞い上がるマスティマは、首級の確保は二の次に、追撃からグリゼルダとともに逃れる。
「や、やりましたセンセー! あたし、がんばったぁぁっ!」
「ああ。良く当ててくれた。これで中央の指揮は崩れた。教会騎士団は後退できる」
敵将打倒の衝撃は、ゆっくりと前線にまで浸透する。
勢いの衰えた敵から逃げるのは、膠着状態から逃げるよりはるかに楽だ。
一瞬押し返し、戦線に距離ができ次第踵を返す。
騎兵、歩兵全員一丸となって敵先端を撫でるようにして旋回し、後方へ抜けようとした敵右翼の後背を突く。
その中心に立つかつての皇女の旗は、血に濡れながら、決して土が付くことはなかった。
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