第二十一話「縁を繋げた鎖」
警備に穴はあったか?
そう問われれば、なかったと応える。
ではなぜ近衛は瞬く間に突破され、会場への侵入を許したのか。
その答えは、会場の周囲を徘徊する者たちに聞けばいい。
マスティマの視線は、休学中の教え子へ向いた。
「ヴァルヘルム、外の魔物はなんだ。上空を旋回するリンノルムはなんだ」
「わかんねぇならあんたはその程度の教師ってことだ。休学して正解だったな」
「……君たちの教師になる前に、俺は学校の近くに現れたリンノルムを撃退した。
あれは、君たちが操ってけしかけたものだったのか?」
「なんだ、察しが付くじゃねぇか」
その言葉に、ヒルダの背筋が凍り付く。
――あの凶暴な飛竜を、反皇帝派が操っていた?
想像だけで寒気がする。
それだけ危険なことを、反皇帝派は学生に差し向けて実験したと――否。
「私を殺すために? みんなを巻き込んで……?」
「一石二鳥ってやつだ。いや、王国や都市連合の奴らも始末できりゃ四鳥か」
反皇帝派、拡大政策派、呼び方は何でもいい。
ただヒルダにはわかる。
こいつらは、過去の栄光のためなら、大陸に戦乱を巻き起こす。
「ヴァルヘルム、盾を引け。俺は生徒を大逆の徒にするつもりも、生徒同士で殺し合わせるつもりもない。君たちの戦う相手は、魔物のはずだろう!」
「へっ、大逆の徒になるのは、さてどっちかな!」
重厚な音を立て、ヴァルヘルムのタワーシールドが突っ込んでくる。
あの突撃、受け止めるには生半可な力では無理だ。
「先生!」
「やめろ!」
重装兵の正面突貫。
方向転換できないそれに対し、マスティマは横から飛び掛かり、蹴りつけることで狙いを皇帝から逸らす。
槍の激突した地面は土煙を上げて、反撃に振り回された盾はマスティマの持っていた剣を叩き折る。
これが顕現武装の特性――異常なまでの強度だ。
「邪魔すんな。あんたが手を出さなきゃ、帝国と無関係のあんたには手を出しはしねーよ」
「生徒がそこにいる。なら俺はもう関係者だ!」
「じゃあ轢き潰してやるよ!」
叩きつけられる盾、飛び散る大理石の床。
まともに打ち合えば瞬時に殴り倒される。
同じブラッドの強化を施していると言っても、それは身体能力の話だ。
武器の差が彼我の強弱に決着をつけることはない――などというのは嘘だ。
脆い武器と鋭い武器、間合い、性能、その有利不利は時に技量を覆す。
今がその実証の時間だ。
「ははっ! あんたの訓練、九か月程度だが、確かに俺の糧になったぜ。おかげでこの盾を、顕現できたと思ってるよ!」
「謙虚でよろしいが、もう少し協調性を学べ!」
盾による一撃をぎりぎりで回避しながら、残った刃で足を叩く。
脛まで巻かれた鎖帷子は刃を通さない。
せめて同じだけの強度と鋭さを持った剣があれば――。
腰にある、ヒルダから貰ったナイフに手が触れる。
しかし、これは使えない、これこそ儀礼用だ。
「先生よぉ、あんたが強いのは重々承知している。だが、戦争は物量だぜ」
ガシャン、と重装歩兵の足音が響く。
完全継承された聖定二十二紋の最大の能力。
それは、能力株分け。
ヴァルヘルムの塔盾にも――他者の強化に重きを置く戦旗には劣るとしても――同じことができる。
重装を纏った弩弓部隊。
「ああ、くそ……」
誰が漏らしたか、口汚い文句も出したくなる光景だ。
重い矢が、空気を切り裂く音を立てて飛んでくる。
「ヒルダ!」
マスティマはヒルダの下に走る。
背を弩弓へ向け、皇女の細い体を庇う。
たとえブラッドの力を使ったとしても、弩弓の矢を弾けるわけじゃない。
一度に止められるのは、腕の数二本まで。
それをはるかに超える数が、一斉に放たれた。
だから、この場に必要なのは、肉壁だった。
「……ッ! お父様!」
「ぐ、問題ない。急所は、外れた……」
そうは言いつつ、二本の矢が右肺をと左肩を貫いている。
同じように皇帝と皇女を庇わんとした家臣たちは、その一撃で絶命した者もいる。
かろうじてヒルダは肩を矢がかすめ、ドレスが裂けた程度で済んだ。
しかし、二度三度となれば無事では済まない。
「マスティマ先生、事ここに至っては、逃げるしかあるまい……。先ほどの部屋の、隠し通路、わかるな。ヒルダ」
「お父様、ダメです、そんな……」
「すまない。戦旗の継承を行う時間は、ないようだ」
父の瀕死の体に縋りつく娘に対し、フレーゲル気の抜けた拍手を送りながら、片手をあげて、指を立てる。
同時に弩弓の矢が番えられた。
「撃て」
その光景が、マスティマにはひどくゆっくりに見えた。
ここで終わるのかと、問いかける自分がいる。
「母さん、エウロパさん、エメリッヒ、グリゼルダ……」
瞼の裏で流れる光景は走馬灯だろうか?
およそ一年近く、教師としてやってきた記憶の中で、マスティマが最もよく思い出すのは、一人の少女だ。
師範と自分を慕い、クラスの中心として活躍する。
決して長い時間ではない、むしろ短い。
それでも知っていることはある。
負けず嫌いなこと。
ちょっと野生児じみた思考を持つこと。
肉も好きだが魚が好き。
父を大切に思い、敬い慕っていること。
年下の侍従である友人を妹のように可愛がっていること。
年上の侍従である友人を兄のように頼りにしていること。
実は恥ずかしがり屋で、でも恋には積極的なところ。
何より自分の、大切な生徒なのだ。
「死なせない」
その言葉を呟けたのか、空耳なのか。
ただ声は、確かに世界を震わした。
不思議な縁が繋いだこの出会いを、断ち切らせるなと魂が訴える。
沸き上がる血が、形となって迫りくる死の運命を縛り上げる。
「捕らえろ、鎖龍儺!」
マスティマの左手首から伸びた白く輝く鎖は、彼の腰にある短剣の柄に繋がる。
それはまるで意志を持った白龍の頭。
伸びた鎖はうねり空を舞う肉体のように彼らを包み、飛んでくる矢を受け止めた。
「なっ……なんだ、その鎖は!?」
「ヴァルヘルム」
その声は、冷たかった。
怒りか、哀れみか、聞いたことのない低さの声に、ヴァルヘルムは身構える。
「お前がどこの陣営に所属していても、何に従っていても自由にすればいい。
だが、今の俺も同じだ。ここは学校じゃない。俺に弓を向けた以上、覚悟はできたな」
「顕現武装を手に入れたからって図に乗ってんじゃ――」
言い終わる前に、自分の右足にかかる負荷に気づく。
いつの間にか、彼の鎖は移動していた。
それが思いっきり引っ張られればどうなるか――もちろん、転倒する。
「がはっ!?」
重装備に対する最良の攻撃は、大質量の巨大なものをぶつけること。
そして転倒は、重装備に攻撃を加えられる最も有効な手段だ。
「その程度が何です。物量で押してしまえばいいのでしょう!」
青年貴族の声とともに、第三者が放たれる。
それをまたマスティマの鎖が受け止めるが、数が増えればその防御にも隙間ができる。
そして盾と槍、斧を構えた近接戦を始めるものまで現れる。
その光景に、皇帝は一つの決意をした。
「マスティマ先生、娘を頼みました」
その一言が、この場にいる皇帝派全員の行動を決定した。
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