第十九話「傭兵か教師か」
会場に戻っても、マスティマによるヒルダのエスコートは続いた。
ここまでの状況を見れば、ヒルダにとってこの灰色の青年は何者かと、貴族たち理解は一致する。
皇帝派という立場で集まったこの生誕祭だが、中には経済的利益や、反皇帝派内部での権力争いに敗れた結果、皇帝派に鞍替えした者もいる。
派閥の中で頭角を見せたいものはこの生誕祭を利用し、皇女とお近づきになりたい者だっているだろう。
そんな邪な者たちを退けるためにマスティマが呼ばれたのは間違いない。
「すごく、視線が痛いのだが」
「我慢してください。師範が注目されているって、私はとても気分がいいですから」
生徒の微笑が眩しい。
そもそも生誕祭に呼ばれるという時点で覚悟していたとは言え、針の筵だ。
外聞上、今回マスティマの立場は生徒の付き添いでしかないというのに。
「師範、それで、その。今更な話なのだけど。こうして皆の前であなたを私のエスコートをさせて、これからその、ダンスパートナーを務めてもらいたくて……。
その、余計なものを寄せ付けないためにも、師範とは――」
「ヒルダ、ちょっと待て。マスティマ先生、飲み物を持ってきてはくれんか。水でよい」
「ええ。もちろん」
マスティマは皇帝の願いを了承し、テーブルのほうへ向かう。
その間、皇帝と皇女は椅子の影で顔を近づける。
「せっつきすぎだ。何だあの色気も雰囲気もないものは」
「うっ! で、ですが……」
「そういうのはせめて父親どころか他に人がいないときにやるものだろう。ほら、バルコニーに呼び出すとか、中庭も空いてるぞ」
「わ、わかりました。師範が戻ってきたら、少し席を外します」
「ああ、そうしたほうがいい」
ふぅ、と息を吐く皇帝に対し、皇女は緊張に顔を赤くする。
戻ってきたマスティマは、二人の間に流れる妙な空気に首を傾げるが、皇帝は何も言わない。
代わりに、真剣な表情のヒルダがマスティマを見る。
「師範、少し、バルコニーの方へよろしいですか」
その言葉に頷くと、誰もいないバルコニーへと移動する。
冷たい夜風に吐く息は白くなり、澄んだ空には星が瞬いている。
「もうすぐ、師範が決めていた一年です。そうしたら、また傭兵に戻るんですか?」
「教師でいるのは充実していた。もう少し続けてもいいかもしれないと思ってもいる」
士官学校で学んでいた時、教師になるなどと思っていなかった。
今は確かに充実しているが、もしかしたら――。
「もし、傭兵に戻るのなら……」
「戻るなら?」
顔を赤らめたヒルダは、意を決してマスティマに向き直った。
「私が……あなたを雇ってもいいですか」
生徒からの答えに、教師はつい吹き出す。
飲み物にむせ、笑いを漏らす。
「な、なにを笑うんですか。本気ですからね。言い値を出しますよ」
「ああ、そうか。それは、相応に高く、売りつけないとな」
誰かから必要とされる。
ただの戦力としてであっても、妙に嬉しそうな自分が、なんだか可笑しくなって、笑ってしまったのだ。
それは、傭兵であったころの感覚とは違う。
戦力ではなく、マスティマという存在そのもの求められているように思えた。
「ああ、でも。そういった話、ヴォルフやアンネからもされたことがあったな」
「はっ!? いつです!? いつそんな話があったんですか!」
「秋の半ばだったな。断ったが」
「そ、そうですか」
ほっとするヒルダは、バルコニーの手すりに体を預ける。
カーテンで会場と遮られていなければ、こんな姿はさらけ出せない。
隣にいるのがマスティマだからこそ、できることだった。
「師範、もうすぐ、私はお父様から血紋を受け継ぎます」
「そうなったら、君が正式に皇帝になるのかな」
「皇帝になれば、今までの人間関係のままではいられないと思います。同じ班として活動できているヴォルフやアンネとも、相応の立場として対応しなければならない」
お互いに国家の重鎮になりえる存在だ。
いつまでも学生気分ではいられないのが、現実なのだ。
「それでも、師範には、私の師範でいてほしいんです」
「俺が教えられることなんて、そんなに多くないぞ」
「それでも、今のように一緒であればいいんです」
トン、とヒルダの頭がマスティマの肩に乗る。
すると、ひときわ大きな心音が耳に届く。
この状況とこれまでの言葉を、マスティマも決して、理解していないわけではない。
「だからその時は、私の隣に立っていてほしいんです」
真摯な言葉が、夜の闇に溶けていく。
まだ未成年だと言える少女から発した言葉は、つい先年成人に達したばかりの青年の心に、まっすぐに届いた。
「君の立場を考えると、そういうことは、あまり公の場で口にするものじゃないな」
「ええ。だから、答えは保留しておいてください。今はただ、士官学校の師範と生徒ですから」
簡単に出していい答えではない。
まして、今答えられても困ることだ。
「さて、お話はここまでです。もうすぐダンスの時間ですので、どうかエスコートを」
気持ちを切り替えたヒルダは、そう言って手を小さく差し出す。
その動作に対し、マスティマは少し顔を歪める。
「あの数日の特訓で思ったより成果が出なかったこと、理解してるよな」
「ええ。リードは私がしますから。お気になさらず」
こういうところで発揮される彼女の想いきりの良さは、時折マスティマを困惑させる。
バルコニーにまで届く音楽が場の雰囲気を盛り上げていけば。会場の中央にダンスホールが出来上がった。
それを聞いて会場に戻ったヒルダに、貴族の子息たちの視線が向く。
「師範、さぁお覚悟を」
「う、本当に俺でいいんだな!?」
「師範がいいの。だから早く手を!」
問答無用、生徒と教師という立場を無視したヒルダの気迫に、マスティマは肯くしかない。
「殿下がお通りになる。道を空けられよ!」
エメリッヒの声が通ると、ヒルダに近づこうとしていた者たちは下がらざるを得ない。
皇族の前に立ち塞がる不敬を、この場にいる誰も許しはしない。
「失敗しても文句言わないでくれよ……」
「大丈夫ですよ。さ、腰に手を」
彼にしては珍しく弱気なのは、芸術が彼にとって唯一の苦手分野だからだ。
リズム感のない彼にとって、音楽もダンスも未知の領域。
ここ数日間の突貫練習である程度形になったものの、焦りと緊張が思考を真っ白に染めていた。
「練習通りいきますよ、師範。いち、に、さん、はい」
鳴り響く舞踏曲に合わせて足を運ぶ。
苦心する教師を見てか、それともただ楽しいのか。
「いい調子です。そろそろターンが来ます」
「え、ど、どっち回り――あ、俺が回るんじゃなかった」
先ほどの雰囲気とは対照的な、年相応の笑顔がこぼれる。
会場の中心は二人のためのステージで、誰も割り込むことはない。
まるで立った二人だけの世界のように、その空間は音楽と、赤いドレスの耀きに満たされた。
音楽が鳴りやんだ時、マスティマはヒルダに問いかけた。
「いい誕生日会に、なっているのかな」
「ふふっ、もちろん!」
たとえ叶わぬ願いだとしても、この先も幸福を願わずにはいられない。
とびっきりの笑顔を浮かべた皇女に、割れんばかりの拍手が降り注ぐ。
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