第十八話「失われし血紋」
王族の椅子の裏にある扉からいける部屋に、マスティマ、ヒルダ、そしてフェルディナントの姿があった。
椅子に座る彼らの会話は、額に宿った力についてだ。
「リンザー侯爵は血紋の伝承について詳しくてな。先ほどエメリッヒも交えて少し話していたことを、伝えておこう」
「よろしいのですか? それは、帝国の秘伝では?」
「そのような大したことではない。娘の恩師に教える、昔話程度のものだ」
ブラッドには、特異能力を持つ聖定二十二紋と、そうではない基礎型のものがある。
大陸の王侯貴族が受け継ぐ聖定二十二紋には、二十二の内いくつか失われ、途絶えったものもある。
ただし、隔世遺伝的に発現することもあり、もう二度とそろわない、ということはないだろうというのが、現状の血紋研究者の見方だ。
「私が持つ戦旗のブラッドをはじめとした、二十二のブラッドには、それぞれ固有の武器の顕現能力があり、それを持って特異なブラッドとしている」
そう言ったフェルディナントは手の中に力を集中すると、一本の戦旗を作り出す。
無から有の創造。
しかし、それはブラッドの中に宿った物質を顕現させただけである。
顕現武装――そう呼ばれる、神話から受け継がれ続ける武具だ。
マスティマも、その存在を知っていても、見たのは初めてだ。
聖定二十二紋を受け継いだだけで使えるようになるものではない。
現に、未だアンネリーゼの固有顕現武装を見た覚えがない。
「この旗は、兵士たちに勇気を与える。魔物と戦うとき、立ちすくんでしまう味方に勇気を与え、傷をいやし、さらなる力を与える」
「常に血紋術の力を使っていると似たような状態になれるんです」
それでありながら、性能は通常のアーツよりも格段にいい。
これが聖定二十二紋のメリットだ。
「二十二の内の最後の一つ、『鎖』を司るとされるブラッドは、神話の時代から途絶えたままなのだ」
「鎖……って武器ではなく、道具では?」
「聖定二十二紋の中には、外套や盾を司るブラッドもある。
鎖がその一つに含まれていたとしても、不思議ではない」
なぜそれを皇帝が知っているのか。
彼はそのきっかけを話し始める。
「私が士官学校を卒業した直後、先代皇帝が崩御した。その亡骸を皇帝の陵墓に納めに行った時のことを思い出したのだ。
陵墓には、戦旗、長槍、弩弓を掲げられた女神の壁画があった」
「……お父様、それは、何の話ですか?」
「彼のブラッドについてだ。その壁画の女神の手の中に、鎖の紋様があった」
まさか、とヒルダの顔がマスティマに向く。
「だから君の母親にこれを伝える機会がなかった。
女神の手に握られた鎖、エウロパもこのことを知っているのだろうか」
マスティマとヒルダは顔を見合わせる。
戦旗、長槍、弩弓とは三勢力のトップが持つブラッドの名前だ。
それを掲げられる存在が人々にブラッドを与えた女神であるのなら、持っている鎖は何なのか。
「つまり、お父様は師範のブラッドが特別だとお思いなのですね」
「うむ。聖定二十二紋の失われたブラッドかもしれん」
フェルディナントが見たという壁画の信憑性はともかく、皇帝がそう考えているということが何より大きい。
ただの名無しのブラッドだと思っていたものが、特別なものかもしれない。
「このことはあまり話さぬほうがいいだろう。特異なブラッドを保有する者には、面倒ごとが舞い込んでくる。マスティマ先生も突然見合いだ血縁者だ、煩わしいだろう」
「た、確かに」
特別な者を持つ者を取り込みたがる勢力は少なからず存在する。
確定していないとは言え、可能性があると思うだけで面倒だった。
二十二番目の聖定二十二紋。
その形状は、絡みつく鎖の形をしているという。
マスティマは、自分の額を鏡で見てみると、基礎型ブラッドに絡みつくような細い筋を目にする。
「けれど、まさかこれが鎖のブラッドだと?」
「実物を見たことも、記録もないから、確証はない。だが、先にも話しただろう。
エウロパが、君を士官学校に迎え入れたのは、何か理由がある」
同期だった友人の息子、というだけではない。
そうだとして、このブラッドにどれほどの価値があるのか。
「私はごまかす気はないし、察しろとも言わない。はっきり言葉にしよう。
マスティマ先生、ヒルダの卒業後は、そのまま君を我が旗下に加えたい」
「お父様、それは……」
「お前とて、それは嬉しかろう。何より、腕が立つのはわかっている」
約一年、ヒルダたち士官学校生を指導していくうえで、いくつかトラブルはあった。
魔獣の襲撃やら野盗との遭遇戦。
帝国騎士団や王国騎士団を用いた模擬戦闘において。
一人の武人として、そして指揮官としても、マスティマの才覚は発揮された。
時が乱世ならば国を興し天下を狙っただろう。
各勢力は、生徒や駐在武官から送られてくる、未だ勢力を定めぬ者たちの状況に、眼を光らせていた。
「こんなパーティーを開いていることもからもわかるだろう。今は一人でも味方が欲しい。
裏切らない、将来この子の力になってやれる味方だ」
「それを、俺に望むんですか」
「特別なブラッドを持ち、この子との仲も悪くない。本人が信頼する者以上に、頼りになる者などおりはしない」
「君は……俺のことをどれだけ手紙で盛っていたんだ……」
「事実を包み隠さず伝えただけですので」
唖然とするマスティマに対し、ヒルダはどこか誇らしげだ。
信頼はありがたいが、過度な期待は失望のもと。
「俺は、彼女だけの教師ではありません。ご期待には、添えかねないかもしれません」
「そうか」
「それでも、俺は教師として、できる限り彼女を守れるように、力を尽くします」
教師になって初めて、彼は誰かに教える立場になった。
そしてそれは、生徒たちを守る立場であると言うことも同意義だ。
傭兵は守るために戦わない、倒すために戦うものだ。
守るべきものを定める軍人や騎士とは違う、傭兵という道。
教師になって始めて、マスティマは守るために戦うことを、その身で学んだのだ。
「では予約を入れておこう。間違っても、拡大派の貴族の依頼など受けるでないぞ」
「それは、報酬にもよりますね」
「あまり高い値をつけんでくれ。この子の小遣いで、納められる範囲でな」
通常なら笑えない冗談だが、小さな個室ということもあって、皇帝と傭兵は笑い声をあげる。
同じように、皇女もまた口元に手を当ててクスクスと笑う。
ほぼ初対面だというのにこれほどの信頼感を得ていられるのは、ひとえに娘の筆まめさに助けられたことだろう。
「さて、そろそろ宴もたけなわ。最後の挨拶をして、ダンスを見届けたら、私は寝室に引きこもるとしよう」
「私は最後まで会場に残ります。師範、お手数ですが、お付き合いいただけますか?」
「今だけなら、お付き合いいたしましょう」
多少、化粧を直したヒルダは、もう一度マスティマにエスコートされて会場へと戻っていく。
誕生日はじき佳境を迎える。
踊り明かすか、瞼を閉じるか。
ただその二択だけを、選べばよかったはずなのだ。
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