第十五話「皇帝と皇女と」
「面倒をかけているようだな、マスティマ先生」
皇帝からの第一声に、娘は額に手を当てた。
「勝ち気でわがままな娘だ、手を焼いているだろう」
「そうですね。リーダーとしては申し分ないですが、一部生徒とは協調性を持てるように努力していただきたいです」
「あれはヴァルヘルムだって悪いです! 一方的ではありません」
「ああ、ヒルダよ。そんな調子ではいずれ先生にも愛想を尽かされるぞ」
「えっ!?」
バッ! と勢いよく見てくる生徒の目は、慈悲を求める子ウサギのような目をしていた。
けらけらと笑う皇帝をちらっと見てから、落ち着かせるようなしぐさをしてから応える。
「君が俺の教え子である限り、俺は君の味方をしたいさ。そうじゃなきゃ、一年近くも君を指導し続けるなんてできないよ」
「それは……なんだか素直に喜べない言い回しね」
「黙ってありがとうと言わんか。その性格は間違いなく母親似だな……」
「なら、お父様からは愛されるに決まっていますね」
開き直ったような皇女の言葉に、マスティマは皇帝と一緒に肩をすくめた。
気高いようで、危なっかしい。
それを見捨てることができないのは、教師という立場なのか、マスティマの性格なのか。
もしくは彼の、心のありようなのか。
「さてフェルディナント陛下、もうお分かりかと思いますが、皇女殿下の普段の学校での過ごし方は、決して優雅とは言い切れません」
「まぁ、覚悟はしておった。花を愛でるより斧で薪を作る方が好きな子だったからな」
「お父様!」
「山に籠って修行するとか言い出す皇女は後にも先にもお前くらいだろう」
腕を組んでしみじみと頷く父に、娘は抗議の声を上げるが却下される。
「しかし班長として、学級の代表として、恥じることなどない生徒でもあります」
「騎士王国の王子や連合の代表代理が一緒だと聞いたがあちらとぶつかることはないのか」
「彼らとも協力して班を盛り上げ、魔物討伐実習では班全体が高い能力を発揮しています。指揮官としても、一戦闘員としても、遜色ないものです」
「グリゼルダやエメリッヒからも報告を上げていますが、嘘偽りはありませんから」
「うーん、先生がこういうなら、身内贔屓ということはなさそうだな」
アマルテア帝国からは、ヒルダをはじめとした帝国人はそれなりにいる。
グリゼルダ、エメリッヒ以外にも複数おり、彼女の班の中にももう一人いる。
皇帝からすれば身内贔屓の評価かと疑ってしまうのも仕方がない。
「ご息女は、文武両道、模範的生徒の鑑ともいえるでしょう」
「さすがだな、ヒルダ」
「当然です!」
先ほどまでの気恥ずかしさはどこへやら。
もともと実力と自信に満ち溢れた存在だ。
調子を取り戻せば肩を開き胸を張れる。
「しかし、やはり不安なのは、その後の話です。士官学校を出た後となれば、俺の立ち入る範疇ではないかもしれないけれど、帝国の安定は大陸の安定ですから」
「もともと、アマルテア帝国はメティス騎士王国、ベルト都市連合も内包する大国だった。
それが長い間に分裂統合を繰り返して小国が乱立し、先代皇帝までで三つに圧縮された。
私は、この安定を長く、できるだけ広く敷き詰めたかったのだ」
それこそが、イムヌス大陸の今に至るまでの歴史だ。
今でこそ安定的平和を享受しているとしても、いつかは壊れかねない。
そのきっかけが――
「貴族派の中には、この安定を壊してでも拡大政策の復活を望む声がある」
領土が広がり、支配権が広がればそれだけ収入は増える。
最大値が決まっている以上、より多くの収益を手に入れるには土地を広げるのが手っ取り早い。
その結果、どのような問題を引き起こすかを無視して。
「ある生徒との関係性の改善を望めないかと、苦心するところです」
「……ヴァルヘルムの倅か。そこは、私の立場からは何とも言えんな」
「帝国国内の状況は、カリタス教会、士官学校側でも憂慮していることです。事実、私の学級に所属する帝国貴族出身の生徒数名が、先月より休学しております」
騒乱の兆し――それが目に見えて強まってきたからこそ、皇女の生誕祭を大々的に開催することを選んだのだ。
マスティマがここに呼ばれたのも、ただヒルダの教師だからというだけではない。
「士官学校――カリタス教会は、帝国への介入を検討しているのかね」
「答えられない、というか俺はそこまで教会に関りがあるわけじゃありません。ただの臨時講師みたいなもので、教会の考えに左右される立場でもないので」
今回のパーティーへの参加も、ヒルダの三者面談ができるという理由がなければ来なかった。
マスティマには立場はあっても枷はない。
逆に言えば、彼が何をしようと大勢に影響を与えるほどではないということだ。
「今や拡大派は貴族という領域を超えた勢力になりつつある。
何か私が理解できない不穏な力が、彼らを後押ししているようにも思えるのだ」
「貴族たちが人知を超えていると?」
「実際に人外がいると言う話ではない。だが、理性や利益というものの範疇を超えて、彼らが戦いを起こそうとしているように思えるのだ」
正体のわからぬ不安がそこにある。
だからこそ、不安を拭うきっかけが欲しかった。
「身勝手なことを承知で先生、あなたにお願いする。ヒルダを、そしてグリゼルダやエメリッヒたち、帝国の子どもたちを頼む。何か事が起これば、安寧を望める場所は少ない。
だが、大聖堂ならば」
各国の間に存在し、様々な場所へ通じる街道の中継地点でもある大聖堂。
攻めがたく守りに易し、自給自足できるだけの土地もある。
天然の要塞は、兵士さえそろっていれば不落だ。
「君からしてみれば、頼まれる義理でもないだろうが、頼む」
「俺はまだ、教鞭をとって一年経っていません。それでも、俺は教師です」
経験があるかないかの問題ではない。
やりぬく意思があるかどうかを問われるのならば。
「生徒たちが生き抜くための方法を、俺は教えています。
死なせません。俺が一緒にいる限り」
春一月から徹底した体力増強は、そのための基礎だ。
上級兵種という得意技能を育てるのも、できることを増やすためだ。
「よき師に巡り合えたようで、幸いだ」
「そう思っていただけるよう、これからも努めてまいります」
「問題ないわ。師範に問題があれば私たちが指摘して差し上げますから」
なぜか誇らしげに言うのは、教師一年目のマスティマに対する、学生特有の親近感があるからか。
「そなたのようなものがこのじゃじゃ馬の手綱を取ってくれれば、私も楽ができそうだがなぁ」
「ははっ、ご冗談を」
皇帝の言葉に冗談だと笑って帰すマスティマだが、隣の皇女はあごに手を当てた。
「……ブラッドを持っているとは言え、基礎型だし、何か特性が欲しいわよね。名声は問題ないから、あとは地位……どこかの断絶貴族の爵位を上げれば解決できる」
「ヒルダ、何をブツブツ言っておる。……気の早い奴め」
「い、いえ! なんでもございませんわ、お父様!」
急に考え込んだ娘にため息をつく父と、困惑した表情の教師。
小さな皇帝の呟きは、誰にも聞こえることはない。
妙なことになった空気を換えるべく、ヒルダは別の話を振ったのだった。
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