第十一話「皇女の生誕祭」
【大陸暦798年:冬一月】
秋は終わりを迎え、大聖堂に冬が訪れた。
マスティマの士官学校での生活は、すでに十か月が経とうとしていた。
職員用個室、椅子に座ってペンを動かすマスティマは、ふと肌寒さに肩を震わした。
「あと、二か月で一年か」
生徒の提出した座学の答案用紙を採点しつつ、カレンダーに目を通す。
秋の終わりの収穫祭も先日終えて、冬は大きな行事予定はない。
魔物の動きも最近は収まってきた、冬になった証拠である。
行事はないが、生徒の上級兵種への昇進試験は目白押しである。
「師範、少しよろしいでしょうか」
「どうぞ。空いているから、好きに入るといい」
扉を開けたのは、ヒルダだった。
外にいたのか、冬用の制服の上からマフラーを巻いている。
盆地に存在するこの街は、夏は暑く冬は寒い。
幸い整備された街道もトンネルもあるので、この街が閉ざされることはない。
それでも平地で暮らしている人々からしてみれば、この街はいままで過ごしていた場所より寒いのだろう。
「どうしたんだヒルダ。外に行っていたのか」
「ええ、手紙を受け取ってきたの。師範、帝国のパーティーに興味はない?」
「帝国のパーティー……と言われてもな。そもそもダンスもあの雰囲気も、あまり得意じゃない」
よくわからない単語が飛び交い、食事はマナーが優先されて楽しめない。
アンネほどではないが健啖家であり、教養のない傭兵上がりのつもりのマスティマには、テーブルマナーは無縁だった。
「それに日程はいつなんだ。帝国に赴くにしても、ここから帝都まで天馬車を使っても半日以上かかるんだぞ」
「一週間後ですが、その日何があるかわかりますか?」
「一週間後……冬一月の二十五日目……君の誕生日か」
「正解! というわけで、師範にはこちらを贈呈いたします」
妙にかしこまった言い回しをするヒルダが手渡してきたのは、豪奢な印象指輪が押された封筒だ。
封蝋を崩さないように丁寧に外すと、そこには一枚の招待状がある。
「『我が娘、アマルテア帝国第一皇女ヒルデガルト・フォン・パンガエアの十八歳の生誕を祝い、貴殿を記念舞踏会へとご招待させていただく。
平素より貴殿には我が娘が世話になっておるとのこと。恩師とお聞きする貴殿との会談を望み、唐突とは思いつつも筆を執った次第』
……こう来たか」
「はい、皇帝陛下もぜひ師範にお会いしたいと」
「急ではないが、まだ十八歳だろう。二十歳の時なら正式な皇位継承を宣言するために帰国するのもわかるが、今年はまだじゃないか?」
「それについては、私も少し疑問を感じはしますが、父がすでに諸侯を呼び集めてしまっていますので。よろしければ、先生も私の誕生日を祝ってくださるついでに、父に会っていかれませんか」
「皇帝に謁見するのがついでになる予定は、ちょっと気がめいってくるな……」
――生徒と個人的に親密になりすぎるな。
この士官学校で教師になるときに釘を刺されたことだが、教室の生徒たちと交流するためにはプレゼント、お茶会、誕生日会、人によっては記念魔物討伐会などを開いてきた。
ただ、生徒の故郷にまで赴くことはさすがになかった。
「うーん、当日は学校が休みではあるが……ぎりぎり帰ってこられるかどうか」
「だめ、ですか?」
「いや、行く。一回三者面談というものをやってみたかった」
あっけらかんとして的外れなことを言う教師にヒルダもさすがに苦笑いを浮かべた。
傭兵上がりであるためなのか、時折この教師は不思議な感性を発揮した。
「本当に来てくれるんですね」
「行くと言っただろう。足の速いペガサスを用意しておかないとな。その日はちょうど週末だが、翌日は学校に戻らないといけないからな。週初めは徹夜だぞ」
「構いませんよ。くまを作ってでも授業にはちゃんと出ますので」
自分の誕生パーティーにマスティマを連れていけるのがよっぽどうれしいのか。
彼女は意気揚々と快諾する。
この十か月にわたる基礎体力鍛錬は、確実に彼女の身に力をつけているだろう。
「服は……先生、マントだけは忘れないようにお願いしますね。ドレスコードはこちらで準備させますから」
「あ、あまり高い物を用意するなよ。こちらが困る」
楽しそうに返答にペンを走らせるヒルダの様子は、マスティマには皇女というより町娘と変わらない少女に見えた。
「最近、あまりよくない噂を聞く。アルブレヒトが士官学校を休学してから一か月、教会の情報網でも、帝国で武器や食料の値段が上がりつつあると聞いている」
「……そのための、パーティーでもあるんでしょう。皇家の第一皇女は健在、パンガエア皇朝は不動であると」
笑っていた表情が、ふと消える。
自らの顔を見せないようにと、彼女はマスティマに背を向けた。
「先生には、ご迷惑をおかけするかもしれません」
「生徒の迷惑ならいくらでも被ってきた。君とアルブレヒトが対立した時。ヴォルフが殺人容疑を懸けられた時。アンネが食糧庫に忍び込んだ時。グリゼルダが家出したり、エメリッヒが呪われたり、事件には事欠かなかった」
「……そうですね。今更でした」
「開き直らないでくれるか」
「では、迷惑ついでに、今回のパーティーもお願いします」
振り返った彼女の笑みは、どこか繕ったようなものに見える。
それでも、彼女のなりの精いっぱいの強がりだった。
「あ、先生。夏至祭でのダンスはアレでしたが、上達しましたか?」
「……教師にダンスの授業はなくってな」
「では、出発まで特訓しませんとね。そう、お父様にも、参列者にも、誰に見せても恥ずかしくない、完璧な師範になってもらいますから」
「……わかったよ。君の隣に立つにふさわしい人間に、急場しのぎでもならないとな」
肩をすくめたマスティマの言葉に、ヒルダは嬉しそうにうなずいた。
扉を開け放って駆けていく彼女の耳は、真っ赤に染まっていた。
皇女の隣に立ち、パーティーに参加する。
その意味をマスティマが正確に理解して言ったのか。
できればそうであってほしいと、ヒルダは思っていた。
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