4.ヒビ
━━『理想郷』都市部。
恐怖を克服し、死を超越し、衝突や諍いは有れども『不和』の一切が生まれる事のない領域。
ただ『幸せになりたい』という、漠然とした形の幸せすらも願えば叶う、『人』の住まう場所。
『カミサマ』の恩寵によって賜われた、永劫の幸福を約束された純然たる『理想郷』。
そんな、不自由とはかけ離れた街並みに、自由を唄う一縷の鋼がヒビを入れた。
「(楽園って概念の行き着いた先が、これか)…いつ見ても滑稽で、眩しいったらありゃしねぇ。だが……」
ある者は摩天楼の上、夜に一番近い場所に居る筈なのに感じる眩さに気だるげな溜息をつく。
━━けれども、それで良い。ある程度見下した彼はその場で胡座をかく。
天辺に座す銀髪の青年、『ジャンク』はサイハテの時とは異なり、黒色の外骨格に身を包む。後頭部から垂れる、管に繋がれた楔を足場に突き刺すとその手応えにニヤリと口角を上げる。
「好都合だ」
直後だった。『理想郷』の一画に、突如として夜が訪れた。
こうなってしまえば建造物の群れが圧迫する、何一つとして見えない窮屈な檻でしかない。動く事は愚か、訪れた静けさは呼吸をする事すら躊躇う程に痛く、耳に障った。
━━ある者が、暗闇の中で指を差した。それに誰も気付く事なく、『皆が同じ場所を指差した』。
先は摩天楼の天辺。その内の一つに、青白く光る淡色の大きな点が明滅していた。
ジャンクは街の光を、丸々と喰らったのだった。
「相も変わらず、何処にこんな電気蓄えてるのやら……まぁ直に復活すんだろ。この程度なら…」
ジャンクは呟く。それに呼応してか見計らった様なタイミングで、街は再び明るさの中へと包まれる。しかし。しかしだ。…指を差していた者も、それ以外も全て、声を挙げなかった。『挙げられなかった』。
次に明るさが映し出したのは、一つの地獄絵図。波のひしめく『水』の塊が、街の一画を呑みこんでいた。
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「……」
水の中。此方もまた青白さを中心に『水源』となった者が呑まれる有象無象を見つめている。その殆どは逆光によって暗陰に染まり、顔の判別も付かない。
うねりの中で右に左に、空気を奪われた住民が息絶えるのに早々時間は掛からない。『終わった』と分かれば彼女もまた、常識を覆す。
一画を埋め尽くしていた水の塊は、渦を為しながら水源として立つ『ユーシャ』へと吸収されていった。
「ただいま、ジャンク」
ビル群の上。座りながら夜風を浴びるジャンクの側までユーシャは戻っていた。
「ご苦労さん。……『勇者』からキテるとは思えない所業だな、ありゃ」
「そりゃどーも」
からかいの混じったイジの悪い言葉を軽く受け流すユーシャ。けれどもそれは馬鹿にしている訳じゃなく、労いの意味も込めた缶コーヒーを手渡しながらの言葉だった。
彼女も手に取り、プルタブを開けて一口を含む。伏せたままの両目はいつの間にか開き、虚ろな視線でもぬけの殻となった街を見下ろすユーシャは続ける。
「……ジャンクはボク達は特別だって、言ったよね?」
「あぁ。…けどそりゃ『サイハテ』の中での話だ。認めたくねぇって気持ちは分かる。何べんだって俺ァお前達に言ってきたからな。
こうして俺等が惨状を生んだ所で、朝日が昇る頃にはもう『元通り』になってるだろう。街も、人もな」
特別な力を手に入れた。それは容易く人の命を奪い去る事の出来る、常軌を逸した兵器であり『過去』の産物だった。サイハテに流れ着いたという事は、それは理由はともあれ理想郷から『排斥』された物でしかない。
いかなる力を振るおうとも、恩恵を預かったが故に理想の牙城を崩すには至らない。それが彼等の持つ兵器である、『疑似再現機構』。
「俺達だって、結局は奴等の盲信する『カミサマ』とやらの力に縋ってる。生かされてる。しかもそれはもう古い型落ちで、傷痕すら残せない。……無駄だとは思いたくねぇが、言われちまえばそれまでだ」
「………」
『認めたくない』。その歯痒さを一番に噛み締めているのはジャンクだった。
如何に兵器と恐れられた力だとしても、目の前に広がる街はそれをとうの昔に『克服』しているのだからと、彼の握る掌に力が込もった。




