11.玄絲(アラクネ) (2)
━━━ほんの一瞬。僅か。秒にも手が届かない間。
理都の背中に、懐かしいモノを見た。
「━━ッッ伏せろ!!」
「わっ!?!?」
しかしそれは、刃を突き立てる形で訪れてきた。
無理やり理都の頭を掴み、身体を土台に張り付ける。そうでもしなければ避けれないと判断した。
黒い軌跡、線、糸。そうでなければ説明の付かない何かの直線が壁を穿ち、黒色で有りながらも淡く光を帯びていた。
灯りが砕かれ、周囲が暮れに包まれたのにも関わらず、理都の顔をがしっかりと見える程に明るく照らしているそれに、焦りを見せる荒。
「…何…これ、糸…?」
「触るんじゃねぇ!!(…ふざけんのも大概にしやがれ…コイツはもう『弔った』んだよッ…!!)」
退廃しきった世界と憔悴を誘う毎日は思い出に自然と埃を被せ、鍵を強く閉めていた。
もう既に遠い昔にも思えるが、まだ二年と経っていない。既に死んだ仲間が居た。
空を切ったがそれ何を意味するか、荒の声を殺気立たせるのに十分だった。
もう、それ以上戦わせたくないと、一緒に葬った筈の疑似再現機構。
「なんで…玄絲をッ……!!!」
その名前を思い出した。
彼もまた自らの得物の抜き、その一振りによって周囲を紅蓮の揺らめきで染め抜いた。ヒビ割れた土台から炎が飛沫き、瞬く間に熱が周囲を包み込む。
生きとし生ける存在を否定する、熱源の壁。土台の鉄分を焼き、こびり付いた油が一層その火力を強く、強く滾らせる。
「あつっ…ちょっと荒!?」
……けれども、すぐに鎮まりを見せ始める。火はそれ以上燃え広がる事なく、盛炎は影も形も残さぬまま煙と化した。
残った熱気の中、荒の視線は依然として黒い糸の飛んできた上の方角を向いていた。
「…其処にいてくれ。俺がなるべく冷静でいられるように」
「う、うん」
目。猛禽類を彷彿とさせる、狙い捉えた獲物を逃さず射殺す、獰猛な鋭い目。もう焦りの陰も無くなった以上、残されているのは『糸』の主への怒りのみだ。
理都はその眼差しを恐ろしさを抱いた。刀を抜いた瞬間の炎は彼の激昂が脳裏に容易くフラッシュバックし、額を濡らす。
…自分が居なければきっと、あの炎は何処までも燃え広がっていただろう。だからこその恐れだった。
「誰っすか、ソイツ」
荒と理都、二人以外の声がハッキリと、耳に届く。ジャンクでもユーシャでもない、二人にとって『聞き覚えのない声』の主が姿を表す。
『シワだらけの着古した洋服』としか形容の出来ない簡素な衣装と、人工的な紫色の髪の毛。そして、耳当てを彷彿とさせるヘッドギアと管で繋がれた、モノクロの『手袋』。
それでもなお顔立ちの整い過ぎた、選ばれなかった『誰か』の造人。そんな彼の言動は、上から見下ろす形で荒一人に注がれていた。
「……………………」
「酷いじゃないっすか。俺があんだけ頭下げても手伝いすらさせてくれなかったのに、やっぱ女なら特別扱いされるんすか?」
「……………………」
「俺達憧れてたんすよ。たった三人でこの街を支えて、責任があるからってあの狂った地獄に突っ掛かって。死ぬかもしれない中で…仲間が死んでもそれ以上の犠牲を出さない為にずっと三人で戦って。
『ライフライン』。…もう荒さん達は、今やこの街のヒーローなんすよ」
羨望、期待、崇拝、憧れ。男の吐露は荒を呑み込まんとして、止まることを知らない。
「皆…皆思ってるっすよ。お三方の力になりたいって。痛みに慣れて、気付く前に壊れるかもしれないって、不安だったんすよ。
……なんで裏切られんすか。そんな風にタカ括ってるつもりなんすか?」
そう、止まらない。
例え羨望が嫉妬に、期待が落胆に変わろうとも。一度『そう思ってしまえば』。無意識の内に『敵意』に変わったとしても、止める事が出来ない。
「……うるせぇ」
それを荒も感じ取っていたからこそ、聞く耳を持たなかった。




