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前世を思い出したわがまま姫に精霊姫は荷が重い  作者: 星河雷雨


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第96話 幻惑



 ジルベルトが聖騎士候補となった。


 その信じがたい話を耳にしたのは、王宮で近衛騎士たちが話している場に、アーノルドが偶然通りかかったときだった。


 ジルベルトの名が出た瞬間、アーノルドは反射的に足を止めた。


 アーノルドが剣の名門であるコア家の出身だということは、王宮内では知らぬものはほとんどいない。近衛騎士たちの目に触れ、弟のことだからと、呼び止められるのは不快だった。


 アーノルドはすぐに踵を返し、別の通路から目的地に行こうとした。だが、近衛騎士たちの口から出た言葉に、歩みを止めた。


 そして、アーノルドはすぐさまその噂の真相を確かめた。



「本当なのか……本当に、ジルベルトが聖騎士候補に」



 まだ聖騎士に決まったわけじゃない。ただの候補だ。そう自分に言い聞かせることで、アーノルドは心の均衡を保った。腹の底から湧き上がってくるのは怒りだ。


 許せない。そう、アーノルドは思った。


 アーノルドを差し置いて、なぜ、弟が聖騎士候補になるのか。なぜ、アーノルドの未来を奪ったことを忘れて、剣の道に戻ったのか。


 アーノルドは昔から、他人が自分より優位に立つのが気に入らなかった。それは幼い弟であっても例外ではない。


 幼い頃より優秀だったアーノルドは、己が少々他人とは物事の感じ方が違うということに気がついていた。


 アーノルドが感じることが出来る感情は、怒り、そして喜びだ。悲しみや驚き、恐怖などはたとえ感じたとしても一瞬のこと。次の瞬間にはすぐに忘れてしまう。


 そのことは祖父や両親、聡い妹にはすぐにばれてしまったが、しかし、それも大した問題にはならなかった。アーノルドは己の感情の乏しさを補うすべを知っていたからだ。


 顔には常に、笑顔を張り付けておけば問題ない。大抵のことはそれで乗り切れた。悲しんでいる人間にも、笑顔で励ましの言葉をかければ感謝された。怒っている人間に対しても常に笑顔を絶やさなければ、相手の怒りは次第に治まっていった。


 そんなアーノルドを忌み嫌う勘の鋭い人間も中にはいたが、そういう人間のほうが、大抵ほかの人間からつまはじきにされた。


 何と簡単で、何とつまらない。


 何事に対しても興味のわかないアーノルドだったが、唯一剣だけは異なった。


 その唯一のもので、誰かに後れをとるわけにはいかない。そんなことはアーノルドの矜持が許さなかった。




「君の気持ちは分かるよ。アーノルド」




 座り込んでいたアーノルドに、誰かが声をかけてきた。見上げると、そこには何度か話をしたことのある男――マークスがいた。

 大聖堂付きの精霊士であるマークスは、学園の教師となる以前から父親の代理としてよく王宮に出入りしていた。


「マークス先生……」


 アーノルドの、どこにでもいるような焦げ茶の髪と青い瞳とは違う。ダークブロンドと黒目の珍しい組み合わせ。


「僕もね、自分より下だと思っていた相手が自分よりも才能があるって、ある日気づいちゃったんだ。本当にショックだったよね」


 色気のある表情で、マークスは悲し気に瞳を伏せた。ダークブロンドの髪が、さらりと顔にかかる。


 アーノルドもそうだった。自分より下だと思っていた弟に、ある日突然、生涯叶わないであろう才能を突き付けられた。


 すぐに分かった。これから先、アーノルドが寝る間を惜しみ研鑽を積んだとして、決して、叶う才能ではないということが。


「……先生はどうやって、克服を?」


 アーノルドは逃げた。弟のことがどうしても許せなかったのだ。弟が、自分より秀でた才の持ち主であったということが。


 こうやって他人に教えを乞うことも、本来ならアーノルドにとってはとても許せることではない。だが、マークスには己に近いものを感じるのだ。だからこそ、望むことを素直に口に出すことが出来たのかもしれない。


「やっぱり、僕の方がすごかったんだって、分かったからだよ」


 うっとりと、何か大切な記憶を思い出すかのようにマークスは目を閉じて笑った。











 マークスの運命を決定的に変えてしまったあの日のことは、今でも鮮明に思い出せる。


 恐怖と、憎悪と、認めがたい嫉妬。それらをすべて糧にして、今のマークスがあるのだ。




 フェスタ伯爵家は古くから続く精霊士の家系。カラビナ全土を見渡しても、フェスタ家より精霊に愛される家は存在しない。


 マークスには兄がいたが、兄はマークスよりも才能で劣っていた。だが、兄は良いのだ。兄はマークスを誇りこそすれ敵対視などはしなかったし、それほどに、兄とマークスの才能の差は兄に嫉妬心など呼び起こさせないほどに圧倒的だったのだ。


 だが、ある日マークスは、分家の次男として紹介されたトーランドと出会った。


 最初は兄同様、自分の相手にはならないと侮っていた。だから、弟のように可愛がった。それが間違っていたと気づいたのは、二人で入った森で野犬の群れに襲われた時だ。


 マークスが契約した水の中級精霊では、野犬の群れには手も足も出なかった。経験が足りなかったこともあるだろう。今ならば、色々と戦い方を知っているが当時は違った。


 精霊士は基本、戦闘には参加しないが、身を護る術くらいは学ぶものだ。今ならば、野犬の肺に水を入れ、窒息させることも出来るし、体内の水分を操り、卒倒させることも出来る。  

 だが、当時のマークスにその知識はなかった。闇雲に水の礫を野犬に向けて放ち、すきをつくって逃げるだけ。


 そんな状況が長く続くわけがなく、すぐに周囲を野犬に囲まれてしまった。トーランドに期待は出来ない以上、二人はここで命を落とす以外にない。


 群れの中から、一匹が飛び出し、マークスに襲い掛かってきたとき、マークスは覚悟を決めた。だが、いつまでたっても痛みも衝撃もマークスを襲うことはなかった。


 恐る恐る目を開けたマークスが見たのは、大きく渦巻く水球に全身を包まれ、もがく野犬たちの姿だった。


 水球の中で、野犬たちは手足をばたつかせ、懸命に喘いでいる。声さえ遮断された水壁の向こうで、その命は徐々に失われていった。


 これは何だ。


 そう、マークスは思った。


 自分は、あの水球を出していない。マークスの精霊の力では、あのような大量の水は引き出せない。

 マークスは野犬に飛び掛かられたときと同じくらいに、心臓が脈打つのを感じた。嫌な予感がして、体中の血の気が引いていく。


 自分が出したのではない水球。では一体誰があの水球を出したのか。


 答えなど、とっくに分かっていた。だが信じたくない気持ちの方が大きくて、実際にその現実を見るまではと、自分の中でどうにか心の均衡を保っていた。


「……マークス」


 しばらくそうして呆けていたが、後ろからかけられた声に、マークスはゆっくりと首を動かした。

 振り向いた先では、涙で顔をぐちゃぐちゃにしたトーランドが、自らの手を見つめ呆けていた。


――ああ、やはり。


――あの水球は、トーランドが出したものだったのだ。


――あれは中級精霊の力ではない。上級精霊の力だ。


 精霊士が契約するのは、下級、中級がほとんどだったが、稀に上級精霊と契約を交わす者もいる。

 それは、歴史の長いフェスタ家の系譜にも、過去に一人か二人、その名が刻まれる程に少ない。


 それを、分家であるローグ家の息子が、トーランドが、成し得てしまった。本家であるフェスタ家のマークスではなく、ローグ家のトーランドがだ。


 マークスはこみ上げてくる吐き気と必死に戦った。トーランドがいなければ、その場で嘔吐していただろう。

 

 だが、その姿をトーランドに見せるわけにはいかない。トーランドの力に、衝撃を受けているマークスの姿を、見せるわけにはいかなかった。


「……マークス」


「うるさいっ‼」


 マークスのあげた大声に、トーランドの身体がびくりと震える。トーランドの乾きかけた涙の筋に、また新たな涙が流れた。


「……マークス」


「黙っていろ、トーランド! このことは誰にも言うな。お前が契約しているのが上級精霊だとは、誰にも言うな!」


「……上級精霊?」


 目を見開き驚くトーランドに、マークスの心臓が跳ねる。


「知らなかったのか……?」


「……僕の精霊が、上級精霊?」


 トーランドが訝しむように眉根を寄せたが、その表情すらマークスには持てる者の余裕と映った。


「いいか、黙っていろ、トーランド。お前は精霊士になるんだろ? 聖騎士じゃない。契約した精霊が中級だろうと上級だろうと、精霊士としてやることは変わらないんだ。別にいちいち申請しなくても問題はない」


 自分でも滅茶苦茶なことを言っている自覚はあった。契約した精霊が中級と上級では、精霊士としての格が異なる。

 トーランドの精霊はすでに精霊教会に中級精霊として認定されている。認定は一度きりのため、トーランドの精霊が上級精霊だとわかったとしても認定は消えないだろう。しかし、それは今のところという文言がつく。


 もし、中級精霊とした認定が間違っていたと容認されたら、トーランドの精霊が上級精霊として再認定される場合も考えられた。


 このままトーランドが上級精霊と契約していることが周囲に知られては、自分の存在意義がなくなるのではないか。そう思うと必死だった。


「いいな! トーランド!」


 トーランドの肩を掴み、ゆさぶる。頷け。はやく頷けと気持ちばかりがはやる。


「……わかった」


 トーランドが小さく頷く姿を見て、ようやくマークスに生き延びられた実感が湧いてきた。


 


 マークスの中で野犬の群れに襲われた恐怖と、トーランドの力への恐怖が重なった。その日以来トーランドの姿を見るとマークスの手は勝手に震えだす。


 だから、トーランドとは極力関わらないように、視界に入れないように、ずっと避けて生きて来た。

 それが逃げだとわかってはいたが、いつ、トーランドの口からあの日の事が話題になるかと思うと、どうしても正面から顔を合わすことは出来なかった。






 そこまで話終えたマークスは、どこまでも澄んだ瞳でアーノルドを見つめる。


「つらかったよ……トーランドに怯えながら生きる日々は。でも、もう大丈夫。僕はもうトーランドを脅威とは思っていないよ」


 マークスの夢見るような微笑みに、アーノルドは憧れを抱いた。


「今の君よりも強くなれるとしたら……僕たちに手を貸してくれるかい?」


 自分も、弟への気持ちを吹っ切りたい。そしてもし、嫉み、羨み、憧れたあの才能を、自分も手に入れることが出来たなら――。


 その時にはきっと、アーノルドは、ジルベルトをまた弟として愛せるだろう。



「マークス先生……僕はどうすればいいですか?」



 アーノルドは生まれてはじめて誰かに縋りたいと思った。その想いをこめてマークスを見つめる。マークスの顔には慈愛を含んだ穏やかな微笑みが浮かんでいた。


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