第80話 理由
一話投稿します。
昼休みの図書館で、フィーラはジルベルトと向かい合って座っていた。
昨日の今日だったのでジルベルトは来ないかもしれないと思っていたが、図書館へと来てみればジルベルトはいつも通り座って本を読んでいた。
エルザは今日、ジルベルトに余計な圧を与えてしまうからと言ってここには来ていない。クレメンスも用事があったので同席していない。今、ここにはジルベルトとフィーラだけだ。
――聞くなら今よね……。
「ねえ、ジルベルト……。どうして剣をやめたか聞いてもいいかしら?」
「……」
フィーラはジルベルトの言葉を辛抱強く待つ。
ジルベルトは一見頑なに見えるが、その実、迷っているようにフィーラには見えた。
だが、時期というものはある。
何か辛い出来事や、心に傷を負った場合、他人に話せるようになるには時間がかかるものだ。それこそ、自分の中ではすでに納得できていると思っていても、いざ口にしようとすると、まだどうしても抵抗があることに気づく。自分の中で、まだ完全には消化できていないことに気づいてしまう。
「……どうしても話したくないのならいいわ。これ以上は聞かない」
フィーラの言葉に、ジルベルトの口元がわずかに動いた。ジルベルトはゆっくりと息を吐きだすと、とつとつと話し始めた。
「……俺には兄が二人いる。前に話したよな」
「ええ」
「上の兄は、近衛騎士団に所属している。……下の兄は、文官だ。……だが、下の兄も以前は騎士を目指していた。その道を絶ったのが俺だ」
「どういうこと?」
「剣の手合わせ中に、兄に怪我を負わせてしまった」
「……それは」
「命に別状はない。普通の生活を送るにも支障はない。だが、騎士として生きていくことは出来なかった。……それでも兄は、笑って許してくれた。だが、だからといって、兄が俺のせいで剣を絶ったのに、俺がのうのうと騎士として生きていくわけにはいかないだろう? ……それに、兄が騎士になるのをやめると言った時の父の言葉。あの言葉が、今でも頭から離れない」
「……お父様は、なんと?」
「……恥を知れ。父は兄にそう言ったんだ」
「そんな……」
「父の言葉を聞いた時、俺に騎士として生きて行くことは無理だと思った。いや、騎士になどなりたくないと思った。怪我を負わされた相手を恨まず許した兄が、何を恥じる必要があるんだ。騎士がそういうものだというのなら、俺は騎士にはなりたくない。……兄に怪我を負わせ、兄の目指した騎士を否定する俺に、剣を握る資格などないんだ」
「ジルベルト……」
ジルベルトは、やはりまだ完全に剣と決別することを悩んでいる。そうでなければ、資格がない、などとは言わないだろう。剣が嫌いだ、ではないのだ。騎士というものを否定はしていても剣自体を否定しているわけではない。
だが、資格がないというジルベルトの言葉が、フィーラは理解できてしまった。
迷ったまま剣を握ることは、本人だけではなく、守るべき相手すら危険にさらすかも知れない。ジルベルトはきっと、そのことがわかっている。だからこその「資格がない」なのだろう。だが……。
「ねえ、ジルベルト。これはわたくしの独り言。何の責任もない、第三者からの意見。不快だと……間違っていると思ったら、無視してしまっていいわ。でも、少しでも心に引っかかる言葉があったら、もう一度剣を握ることを考えてちょうだい」
「……フィーラ」
「迷ったままの心で剣を握ることは、自分も、相手も、その剣によって守るべき人間だって危険にさらしてしまうかもしれないわよね。でも、迷ったままの心でこれからを生きることも、そう変わらないのじゃないかしら? だって、ひとつの問題に決着をつけられないまま、またこれから起こるだろう問題に、決着をつけることって出来るのかしら? 出来たとしても、それは最善かしら? 問題ってね。逃げるとまた同じ問題が出てくるのよ。人生に何度も何度も、同じような問題が出てくるの。ねえ、ジルベルトにとっての問題って何でしょうね? それはわたくしには分からないけれど……今あなたが迷っていることはわかるのよ。エルに剣が嫌いになったのかと問われたとき、ジルベルトは苦しそうだったわ。騎士にはなりたくない、でも剣を嫌いにはなれない。その迷いを、解決してみない?」
「どうやって……」
「あなたが騎士になりたくないと思った原因……それと向き合うの」
「俺が、騎士になりたくないと思った原因……」
「お父様の言葉よね」
「今更……」
吐き捨てるようにジルベルトがいう。
「お父様とは話し合ったの?」
「口をきいていない」
「ずっと?」
「……そうだ」
――これは根深そうね。そもそも、お父様との確執がなくなったとしても、お兄様に怪我を負わせたことはなかったことにはならないわ。でも、資格がないなんて……まだ剣が好きだとしたら、辛いでしょうね……。やっぱり、まだ向き合うには早いのかしら……。
「……ジルベルト。今回の模擬戦の話は忘れてちょうだい。無理強いをしたいわけじゃないの」
「……いや。それがそうもいかない」
「どうしたの?」
「サミュエル殿下からも誘いを受けた」
「え⁉ サミュエルから?」
ジルベルトの視線で、フィーラはまたサミュエルを呼び捨てにしたことに気づいた。
「いえ、サミュエル殿下から……?」
「殿下からの誘いを断るわけにはいかない」
「……ジルベルト、やっぱりわたくしたちの組で模擬戦に出てちょうだい。わたくしたちから最初に声をかけられた。サミュエル殿下にはそう言って断ればいいわ。でも、あなたは実際には戦わなくてもいい。不戦敗でいいわ。でもサミュエルのもとでそれは通用しないもの」
「だが、それでは君たちが負けることになるかも知れない」
「構わないわ。そもそもこれはお兄様とサミュエル殿下が始めたお遊びよ。本来なら誰かを傷つけてまですることじゃないわ」
――お兄様が言っていた、サミュエルの考えって……もしかしてジルベルトを模擬戦に出すことだったのかしら? わたくしは知らなかったけれど、サミュエルならジルベルトが近衛騎士団長の息子だって知っていた可能性は高いわ。ううん。知っていたと思っていた方が良いわね。……だとしたら、ジルベルトが剣を絶ったいきさつも、サミュエルは知っているということよね。それなのに、ジルベルトを模擬戦に出そうとするのは一体何のため……?
「……悪い。迷惑をかける」
「迷惑なんかじゃないわ! むしろわたくし達の方があなたに迷惑をかけているのよ。サミュエルがごめんなさい……」
「君が謝ることじゃないだろう? もう婚約者候補じゃないんだ」
「そうなんだけど……一応は従兄妹だし」
「そうか……そうだったな。君とサミュエル殿下は従兄妹だった。婚約者候補ではなくなっても、つながりが切れるわけじゃないのか……」
「まあ……そうね。わたくしが除籍でもされない限りは……」
「なぜ、そこで君が除籍されるという発想になるんだ」
――ありえそうだから……とも言いづらいわ。まあ、今のわたくしなら大丈夫。と思いたい……。
「まあ……色々とあって。それよりも、今の話。エルにもお兄様にもわたくしから話しておくわ。ジルベルトも、サミュエルのことは気にせずに、ちゃんと断ってね」
「ああ……ありがとう。すまないフィーラ」
「いいのよ。ジルベルトが謝ることなんて何一つないわ」
「……君たちの助けになれない」
「何度もいうけど、これはお遊びよ。お兄様とサミュエルのね」
それでもどこか申し訳なさそうに去っていくジルベルトを見送り、フィーラはうなだれた。
――ジルベルトにはお兄様とサミュエルのお遊びとは言ったけれど……わたくしも同罪だわ。模擬戦と聞いて気持ちが高ぶったもの。まさかこんなことになるとは思わなかったとはいえ、少し軽率だったかも知れないわね……。
模擬戦と聞いて血が騒いでしまったことに言い訳はできない。自分が出るわけでもないくせに、お気楽なものだ。
――サミュエルは本当にジルベルトを模擬戦に出す気でいたのかしら? でも、なぜ? なぜジルベルトを模擬戦に出す必要があるの?
ジルベルトは確かに近衛騎士団長の息子だが、長兄がすでに近衛騎士になっている。剣の名門であるコア侯爵家を継ぐ人間はすでにいるのだ。無理やりジルベルトを剣の道に戻す必要性はない。
それとも、それほどにジルベルトの剣の才能は惜しまれるものなのだろうか。フィーラは見たことがないので何とも言えないし、実際に見たところで、真にジルベルトの才を理解できるとも思えないが、エルザの様子を見ると、それが正解なのかも知れないと思う。
もし、何らかの才能ある人間が、何らかの理由で自らの才能を封印しようとしていたら、きっとフィーラも勿体ないと思うはずだ。
本人にとっては、大きなお世話かもしれないし、有難迷惑かもしれない。けれど、やはり勿体ないと思ってしまうだろう。
もしかしたら、サミュエルもそう思っているのだろうか。それとも、別の思惑があるのだろうか。
――考えてみれば……コア侯爵家は安泰だとしても、王族や国を護る騎士団に、優秀な人材はいくらいても良いのだわ。才能ある人間を見つけ重用するのも、上に立つものとしての責務なのかしら。
たとえ、そこにジルベルトの気持ちが伴わないとしても、国に望まれたなら、いつかは剣を持たざるを得なくなる日が来るかもしれない。
それならば、フィーラとしてはジルベルトが心から納得し、過去に折り合いをつけられたうえで、もう一度剣を握ってほしいと思っている。
――今回のことが、その切っ掛けになればいいのだけれど……。




