第48話 デュ・リエール5
「メルディア公爵家ご来場です」
ドアマンがベルを鳴らし、大きな声でメルディア家の到着を知らせると、会場中の視線が一斉に扉へと注がれた。
ギイっという音とともに、ゆっくりと扉が開かれる。扉が徐々に開け放たれていくにつれ、人々の間から、ほうっという声にならない吐息が漏れた。
扉の向こうから現れたのは、紺と白を基調としたドレスを纏う、見たことのない美しい令嬢と、同じ色調のタキシードを着たロイドだった。
会場内がざわめきに包まれる。
(…誰だあれは…?)
(…なんて美しい…)
(…まるで夜の女神だ…)
(…まさか…我儘姫か?…)
人々が次々に疑問と感想を口にし合う。
会場内は一種の混乱に陥っていた。
―ああ、ものすごく注目されているわ…。
会場の中央へと進み、会場内を見渡したフィーラは、思わず怯みそうになった。
最後から二番目の会場入りなど、目立つに決まっている。しかも、最後は王家なので、実質臣下としては最後の入場だ。
しかも隣には微笑みの貴公子と名高いロイドがいる。
「見てみなよフィーラ。皆君に注目している」
「お兄様を見ているのですわ。あと、実質最後の入場者ですもの。注目されるに決まっています」
「まだそんなことを言っているのかい?しょうがないなぁ」
ロイドが楽しそうにフィーラに微笑みかける。その瞬間、遠くで悲鳴が聞こえた。
―さすがだわ、お兄様。
ロイドは公爵家の跡取りでもあるため、できるだけ学園の休みと合うパーティには出席するようにしているのだが、すでに社交界では注目の的となっているらしい。
普段から、女性からのダンスの誘いが絶えないと、以前クリスから聞いたことがある。
―デュ・リエール以外で女性からダンスに誘うのだもの、相手は本気よね…。…いえ…むしろあれかしら、アイドルに対するそれのように本気ではないからこそ、気軽に誘えるのかもしれないわ。…どちらにしろ、お兄様がモテるのには変わりないけれど。
「まあいいさ。でもフィーラ、今日はきっと大変だよ?」
「何がですか?」
「うーん。僕が許した相手とは、ダンスをしてもいいかな?」
「お兄様?」
「でも最初は僕と踊るんだよ?」
「?それはもちろんですわ」
リンリン、と今度は別のドアマン―舞踏会場内にある王宮へと続く扉だ―の持つベルがなった。
いよいよ王家の来場だ。
会場に集まっていた人々が、一斉に鈴が鳴らされた扉に体を向け、注目する。
「…来たか」
「お兄様…不敬では?」
「ふん。この程度」
兄はどうしてもサミュエルのことが嫌いらしい。悪態をつくロイドに、フィーラはおかしくなって、くすくすと笑った。
「王家ご来場です」
リンリン、とベルが鳴り終わると、すぐさま扉が開かれる。
その瞬間、会場中が一斉に頭を下げた。
国の主催のパーティでは、必ず三人以上の王族が出席する。今回は最低でも王、王妃、そして王太子は出席するはずだ。
あとは、今年十歳になる王女も出席するという話だ。まだ踊ることは出来ないので、見学だけのようだが。
しかし全員が揃うのはほんの一瞬。一か所に王族が集うのは、防衛上大変よろしくない。
聞いた限りではあるが、ここ数年では、王は挨拶のみで去り、王妃は途中退場、王太子は最後まで残るそうだが、年の離れた王女は、眠くなったらご退場らしい。
―サミュエルは今日も最後まで残るのでしょうね。
コツコツと数十秒続いた靴音が止んだ。
王家の面々が、壇上へと上がり、それぞれが所定の位置に着いたところで、王から言葉がかかった。
王の許しを得るまでは、臣下は頭を下げたままだ。
「面を上げよ」
低く、人に命令することに慣れている声。
「今日、そなたたちは真の貴族となる。そのことを心に刻むがよい。私からの言葉は以上だ。あとは王妃に任せよう」
王は簡潔に言葉を紡ぐと、続きを隣に座る王妃へと託した。
「皆、そんなに緊張しなくてもいいのよ」
王妃の言葉に、緊張していた令嬢たちは力を抜いたようだ。会場の雰囲気が一気に柔らかくなった。
「わたくしも王と同様、今日、あなたたちが社交界の一員となることを嬉しく思います。今日からは貴族としての矜持と、貴婦人としての心を持ち、わたくしたちとともに歩んでください」
社交界は基本、王よりも王妃の管轄であるため、この後のデュ・リエールは王妃が中心となって取り仕切ることとなる。王はほどなく、去っていくだろう。
今日この場で、王と王妃からの言葉を賜ったことで、成人の儀としてのデュ・リエールは終了だ。
あとは、本格的な社交界への前段階として、パーティを楽しむだけ。
「さあ。舞踏会を始めましょう」
王妃の言葉が終わると同時に、会場中を包み込むように壮大な音楽が鳴り始めた。
ファーストダンスはエスコート役と踊ることが決まっているため、皆すぐさま臨戦態勢へと入る。
フィーラも差し出されたロイドの手を取った。
「美しいお嬢様。僕と踊っていただけますか?」
ロイドが重ねられたフィーラの手をとり、手袋越しに軽く口づける。
「ええ、もちろん」
ステップを踏み、音楽に乗って動き出す。
令嬢たちは皆、この日のために、幼い頃からダンスの練習に励んできたと言っていい。それはフィーラとて例外ではない。
―さあ。舞踏会の始まりよ。
きっと夢のような一夜になるだろう。この時はまだ、フィーラはそう思っていた。




