第21話 行くとこないから来ましたが…
その後、特別クラスまで案内すると言ってきかないロイドをどうにかいなし、フィーラはひとりで特別クラスの扉の前までやってきた。
――さすがに緊張するわね。同じくティアベルトの精霊姫候補だった人以外は直接の顔見知りはほとんどいないと思うけど……わたくしの以前の噂は知れ渡っているでしょうし。
フィーラは一扉の前で一度深呼吸をし、力を抜いてから扉に手をかける。
ギィっと音が鳴り、扉が開いてゆく。
フィーラが知る教室の扉は引き戸だったが、この世界の教室の扉は開き戸だ。しかも扉が立派な分、なかなかに重い。当然開け方もゆっくりとしたものになる。
――うう。こっちの方がギリギリまで中の人の顔が見えない分、緊張するわ。それにしても、この扉重いわね。
せっかく余計な力を抜いたところだったというのに、今のフィーラは震えるほどに、腕に力を入れている。
だが、扉はすぐに軽くなった。先ほどよりも断然早い速度で開かれる扉の向こう側に、男子生徒の制服が見える。どうやら扉を開けてくれたらしい。
しかし開け放たれた扉の前に立っていたのは、美少女だった。
「あの、ありがとうございます。助かりましたわ」
多少混乱はしたが、男性だろうと女性だろうと、助けてくれたことには変わりない。フィーラはせいいっぱいの笑顔でお礼を言う。
以前の言動で世間に悪いイメージを広めている分、第一印象は少しでも良くしなければと思ったフィーラは、常に笑顔を心がけている。そうすると不思議なもので、表情に心がつられていくのだ。おかげでフィーラの機嫌はいつでも上々だ。最近ではあまりため息もついていない。
――ため息を吐くと幸せが逃げるというものね。気をつけなくちゃ……。
「……ああ」
フィーラの礼に答えてくれた美少女の口から聞こえてきたのは、なかなかの低音だった。
――……美少女じゃなかったわ。
肩まで伸ばした銀髪に可愛らしい顔だけを見るとまるで女性のようにも見えるが、声は間違いなく男性のそれだった。
「……よく女性ひとりの力でこの扉を動かしたな」
「えっ。まあ、……確かにとても重かったですわね、この扉」
「この教室の扉は、女性がひとりで開けられるものじゃない」
「えっ? そんなの不便ではなくて? 何故そんなつくりに?」
――もしかして欠陥工事? それは直したほうが良いのでは……。
「……特別クラスは精霊姫候補と、王族、それに精霊士しかいない。精霊姫候補に扉を開けさせることなど、普通はない……ということらしいぞ」
「えっ、そうなのですか?」
「……まあ、普通はそうだというだけだ。俺はどうかと思うがな」
「ですわよねぇ。いざというときには女性ひとりで逃げなければならないこともあるでしょうに」
防犯としてはまったくいただけない扉だ。それとも高貴な女性は常に守られているのが当たり前なのだろうか。
――……まあ、当たり前かも知れないわね。以前だったら、わたくしも自分では開けずに、そこらの男子生徒を捕まえて開けさせていたかもしれないわ。
「……それよりも、早く席に着いた方がいいぞ。残っているのはあんただけだ」
男子生徒の言葉に、はじめてフィーラは教室内を見た。
焦げ茶を基調とした配色の机と椅子は、フィーラの知っている高校の教室というよりは、大学の講堂のようなスタイルだ。後ろの席の生徒も授業を受けやすいように、段差が作られている。
しかも、机も椅子も一人分ずつ区切られているので、席に座る際、誰かに一度席を立ってもらわなくても済むようだ。
どうやらフィーラとこの男子生徒以外はすでに皆席に着いているようだ。教室の中央にはサミュエルと、サミュエルの隣の席に、先ほどロイドの怒りを買った美少女の姿が見えた。
――あの子、特別クラスだったのね。精霊姫候補かしら? それとも精霊士?
美少女はサミュエルを見上げ、何やら一生懸命話しかけている。対するサミュエルは聞いているのかいないのか、美少女には目もくれず、ずっと前を向いたままだ。
ふと、サミュエルが後ろを振り返った。フィーラと一瞬、視線が絡む。が、すぐさまサミュエルの方から目を逸らした。
――わたくしなどに興味はないってことね。
フィーラとて、今更サミュエルと仲良くなろうなどとは思っていない。権力に関わっても、碌なことにはならないのだ。
「……わたくしの席ってどこかしら?」
「今はまだ自由だ。俺の隣が空いている。一番端だからな、人気がない」
「まあ、ありがとう」
フィーラの席は後ろの扉に一番近い席だ。次に近いのがこの男子生徒。
――だから、この扉を開けてくれたのね。わたくしが苦戦しているのに気付いて。
「改めて、お礼を言わせて。先ほどはありがとう。助かりましたわ」
「……気にしなくていい」
男子生徒は気恥ずかしいのか、白い頬を淡く染めてそっぽを向く。肌が白いので余計に目立つ。
「わたくし、フィーラ・デル・メルディアと申します。これからどうぞよろしく」
フィーラが自己紹介をすると、男子生徒がこちらを振り返った。美しいライトブルーの瞳には驚きが浮かんでいる。
「あんたがメルディア家の我儘姫?」
男子生徒の言葉に、教室内がざわついたのがわかった。やはり、フィーラの噂は学園にも流れているらしい。
ざわざわとした音声の中から時折、「…見て。メルディア家の我儘姫よ」や「…どうしてここにいるのかしら?」、「…候補から外されたと聞きましたわ」などという声が聞こえる。
やはり精霊姫候補が集まるこのクラスでは、フィーラが精霊姫を外されたことを知る者は、少なからずいるらしい。フィーラは心の中で苦笑した。
――お兄様の言っていた通りね。でも仕方ないわ。その通りだもの。
学園に来る前に、ロイドがフィーラに忠告してくれた。心無いことを言う輩がいるかもしれないが、気にする必要はないと。
フィーラは自分が世間でどのようにいわれているかをもう知っている。そしてそれを受け入れている。今の自分は以前の自分とは明らかに違うが、周りはそれを知らない。ならば、これからの自分を見て、判断して貰うしかないのだ。
――前世のわたくしも、黒歴史のひとつやふたつ持っていたもの。よく、突然思い出しては叫び出したい気持ちになったものだわ。
あの頃のことを思い出すと、ついつい渋い表情になってしまう。
「……悪い。人の噂をそのまま真に受けていた。俺はクレメンス。クレメンス・ダートリーだ、メルディア嬢」
――なんて良い人なのかしら、わたくしが我儘姫だったのは本当のことなのに……。
「ありがとうございます、ダートリー様」
「……クレメンスでいい」
「では、わたくしのこともフィーラとお呼びください」
「子爵家の者が公爵家のご令嬢を呼び捨てには出来ないだろう?」
「あら? わたくしが良いと言っていますのよ? わたくしのお願いは聞いてはいただけないのかしら?」
先ほどの我儘姫という言葉にかけて、冗談めかしていう。一瞬ののち、クレメンスが笑い出した。ちゃんと意図は汲んでくれたらしい。
「なるほど。確かに我儘姫だな」
「ええ。わたくしが我儘姫だという噂は本当のことですわ」
過去の過ちは、むやみに隠すより認めてしまった方がよい。隠せば余計にそれを探りたがる人間が出てくるからだ。
「信じられないな」
クレメンスがパチパチと目を瞬く。そんな仕草も、まるで女の子のようだ。
「わたくしは子どもだったのです。自分で感情の抑制が出来なかった」
「そうか……だが、今はもう違うんだろう?」
「頑張っている最中ですわ」
「そうか」
クレメンスがまるで幼子でも見るような目でフィーラを見つめている。
――アルカイックスマイルの美少女……。尊いわ。
友人一号になってくれそうな人物がとても美少女だったことに、フィーラは内心小躍りしそうなほどに喜んでいた。




