第2話 謝罪
「そこで何故か、濡れていた床ですべって転んで頭を打ったというわけね」
不運と言えば不運。もし打ちどころが悪ければ最悪死んでいた可能性だってあるのだ。けれど、おかげで前世の記憶を思い出せた。
これまでの状況を確認し終えたフィーラは、ずっと寝転がっていたままの姿勢から、ゆっくりと身体を起こした。
勢いよく転んだと思ったのだけれど、別段、身体に痛いところはない。
――結構頑丈ね、わたくし。深窓の令嬢を地で行っていた筈なのに。
公爵家の令嬢ともなれば、王家に次ぐ地位を持つ。
中でもメルディア家の歴史は古く、王家との繋がりも強い。さらには精霊姫を二人も輩出していることから、公爵家の中でも格が高かった。
そんな名家に生まれ、蝶よ花よと育てられたフィーラは、深窓の我儘姫に育っていた。
「それにしてもまいったわね……昨日までのわたくしには。一体何をやっていたのかしら? もうすぐ成人になるというのに、ちょっと奔放過ぎじゃないかしら? しかも公爵家の令嬢だっていうのに……」
これまでの己の所業を思い出すと、もうため息しかでない。
前世のフィーラは酸いも甘いも嚙み分けた、妙齢の女性だった。具体的な年齢はあまり思い出せないし、思い出さなくても良い気がする。
とにかく、前世のフィーラからしたら、昨日までの自分の振る舞いは到底看過できるものではない。
――今のわたくしから見たら、恥ずかしくてこのまま失踪したいくらいだわ。これは早急に手を打たなくてはいけないわね。まずは迷惑をかけた関係者一同に謝罪をしなくちゃ。
決意を新たに聖堂の扉を開くと、ちょうどこちらへ向かってくる護衛の青年と侍女を見つけた。
会話をしながら歩いていたらしい二人は、フィーラの姿を認めると小走りでこちらへ駆けてきた。
「「お嬢様!申し訳ございません!」」
二人はフィーラの前に来るなり、がばっと勢いよく頭を下げて謝った。
二人の剣幕に一瞬驚いたけれど、昨日までのフィーラに対する行動としては正解だ。
昨日までのフィーラだったら、間違いなくこの二人に怒鳴り散らしていただろう。自分で一人にして欲しいと言っておきながら、放っておいたことを職務怠慢だなどと難癖をつけて。
我ながらとんでもない我儘娘だ。
「何を謝っているの? あなたたちは謝るようなことは何もしていないわ」
フィーラがそう言うと、二人とも大きく目と口を開けて、そのまま固まってしまった。
よほど予想外の出来事だったのだろう。まあ、その気持ちは分かるのだが。
「二人とも、大丈夫? まあ、あなたたちの気持ちも分かるわ。昨日までのわたくしは最低だったもの。精霊姫の候補を外されたのも仕方のないことよね」
フィーラがそう言うと、二人は我に返って口々に慰めの言葉を口にした。
「そんなこと……ありません! お嬢様」
「そうです! お嬢様。名誉あるメルディア家の御令嬢を候補から外すなど……」
「二人とも……気持ちは嬉しいけれど、メルディア家に生まれたことは、わたくしの功績ではないし、わたくし自身は、名誉あるメルディア家に相応しい行動を今まで取ってこなかったわ。あなたたちにも、だいぶ酷いことをしたし、酷い言葉をぶつけてしまったわ。今までごめんなさい」
フィーラは二人に心を込めて謝った。心からの言葉は、二人の心にも響いたのだろう。
アンの目にみるみる涙が浮かんだ。
「アン。あなたは一番わたくしの近くにいてくれたわね。その分、わたくしの癇癪の被害を一番被ったのもあなただったわ。本当にごめんなさい。あなたが望むなら、わたくしの侍女を離れてもらっても構わないわ。もちろん、解雇という意味じゃないわよ」
アンはフィーラに仕えてもうじき一年になる。これまでのフィーラ付きの侍女が数か月と持たなかった中、それは驚異的なことだ。芯の強い子だというのが、それだけでも分かる。
「たくさん、苦労を掛けてしまったわね。今までありがとう、アン」
フィーラがそう言った瞬間、アンはとうとう泣き出してしまった。
フィーラはアンが泣き止むまで背中を撫で続けた。そんなフィーラたちの様子を、護衛の青年がポカンとした様子で見続けていた。