公爵家次男の前世の記憶
犬です。ウエストハイランドホワイトテリアです。勇猛果敢で自立心が強く社交的な主人公です。
「俺は虹の橋を渡った筈なんだが……。」
「お坊ちゃま、又寝惚けてらっしゃいますか?」
その声の方に頭を巡らせると、俺の従者のオルフェが俺を見下ろしていた。
「寝惚けてはおらん。これは俺の重大な記憶であってだな。」
「はいはい、重大な前世の記憶に関する熟考は又になさって下さい。今日は、大切なご婚約者様との顔合わせなんですよ。」
オルフェに布団を引っ剥がされて、俺は渋々ベッドを降りた。すかさず現れたメイド達がささっと俺の夜着を脱がせてキンキラした衣装に着替えさせられる。
「本日はご婚約者様とのお茶会がございますので、準正装でご準備致しました。」
「うん。分かった。」
服を他人に着せられる事に違和感は無い。何しろ前世でもそうだったからだ。次に鏡の前に座らされ、濡れた布で顔を拭われ、髪を整えられる。きらきら銀糸の混ざる白い髪にも、鳶色の瞳にも違和感は無いのだが、その顔全体の造形には未だに違和感が拭えない。そこにある通った鼻筋も、健康的なバラ色の唇も、何より少し日焼けした白い肌が違和感半端ない。なぜならそれは、一般的なイケメンと言われる種類の人間の顔なのだ。
「……人間の顔だ。」
「トーマ様、その台詞はご婚約者様の前ではお控え下さい。」
俺はがっくりと肩を落として頷いた。
「よろしいですか?お坊ちゃま……トーマ様はこのラングドブルグ王国の公爵家、ウエストハイランド家の直系であらせられるのですよ。」
「分かっている。」
身なりを整え、食堂に向かう俺に従いながら、オルフェはいつになくしつこく俺の家柄、身分を自覚しろ、と説教してくる。
「おはようございます。父上、母上、兄上。」
食堂に入ると、既に席に着いている両親と五つ年上の兄に挨拶する。
「うむ。良き朝だ。席に着きなさい、トーマ。」
まだ三十五歳の若き公爵クワッド・ウエストハイランド。その美貌と剣技で結婚後も王国の女性の憧れの的と謳われ、国王陛下の腹心と言われる右大臣。俺の父だ。
「良く眠れましたか?トーマ。」
その妻アネモネ・ウエストハイランド公爵夫人。結婚前は『ウエストハイランドの秘めたる薔薇』と呼ばれた麗しき令嬢で、その美しさにとち狂った当時の皇太子と父上が決闘までしたと噂の美姫。俺の母上である。
「緊張しているのかい?トーマ。」
公爵家嫡男アーサー・ウエストハイランド。十五歳で王国近衛騎士団に入団を許された神童と名高き剣士。父上譲りの美貌で数多の美姫を虜にしている美丈夫。俺の兄だ。三人共ウエストハイランド家特有の銀混じりの白髪と鳶色の瞳を持つ俺の家族。母も遠縁の出ながら、同じ特徴を持つ為、四人揃ってなんだがそっくりな家族である。
「昨夜はしっかり眠りました。ただ、少し女性へのマナーに不安がありましたので、復習しておりました。」
ここで朝っぱらから前世を思い出していた、なんぞと言えば説教の嵐になるのは間違い無いので、当たり障りの無い応えを述べておく。今生に生まれて十年。前世の記憶を口にしては、家族を怒らせ、心配させ、悩ませて来たので、流石にそれを隠匿するスキルは身に付いた。今では赤ん坊の頃からの乳兄弟であり、従者のオルフェの前でうっかり口にしてしまう位である。そう、俺の前世の記憶は、公爵家次男として、否、人として決して口にしてはならない種類の物なのだ。
『言えないよな……前世が犬で、虹の橋を渡ったら人間の赤ん坊になってたなんて。』
大筋だけ決まった所でスタートしてしまいました。
のんびりやって行こうと思います。