ライザの過去
馬車から降りると、2人でエントランスホールからスイートルーム専用のエレベーターホールに向かって歩いていた。
スイートルームへ行くエレベーターは、それ専用だから、他のお客様と乗合になることはない。
なんだか今日はエントランスホールに人が多いな、と思っていた時だった。
「あら!ライザじゃない?没落伯爵の娘!」
びっくりして振り返ると、そこには着飾った貴婦人が立っていた。
ライザはすごく卑屈な顔をしている。
「まさか、今日のパーティーに貴方も呼ばれたの?そんなわけないわよね?貴方如きに招待状なんて送られないわよね。それにその安いドレス!古着なの?レースも薄汚れてるし」
馬鹿にして笑っている。
すごい見下し方で頭にきた!
「ちょっとオバサン!なんて失礼なの?ライザに謝りなさいよ!」
するとライザは私の手を引っ張った。
「あら、貴方もみすぼらしい子ね。2人とも、その汚いドレスでこのホテルに入っていいと思ってるの?ブラクストンホテルよ?ドレスコードがあるの。出直してきなさい」
女性がライザの前に来て、扇子を振り上げた。ライザが打たれる!
その時、男性がその扇子を止めた。
ダークブラウンの髪を綺麗にオールバックにして、このホテルの制服とは違う格式高い服装をしているが、胸に付けたバッヂはホテルのマークと同じだ。
年の頃は20代後半だろうか、整った顔の男性だった。
多分、ホテルのマネージャーだ。
「ジャロフ子爵夫人。格式ある当ホテルの中ではお静かにお過ごしください」
マネージャーらしき男性は、穏やかにそう言ってジャロフ子爵夫人と呼ばれた女性を止めた。
「格式あるホテルなら、この子達を追い出しなさいよ。こんなドレスでホテル内をうろつくなんて、ドレスコード違反よ!」
この夫人は自分が責められて怒りが収まらないのか捲し立てた。
「ジャロフ叔母様!揉め事は起こさないでください!」
その声と共に、若い男性がやってきた。
私達を見るなり、気まずそうな顔をした。
「ライザ……ひさしぶりだね。叔母が酷いこと言ってごめん。でも、君には招待状は……送ってないから。こんな風に押しかけられても困るんだ……だから今すぐに帰ってくれ」
燕尾服を着たイケメンが何故かワケのわからない事を言っている。
でも、ライザを見る眼差しは、ちょっと困ったような見下したような、可哀想な物を見るよな!
なんというか腹立たしい物だった。
この人、見たことある。
男性は、イデオン・サーストンだった!!
金色の瞳に蜂蜜色の髪のイケメンだ。確かポロの選手だったはず。
何度もタブロイド紙で見た!
メイベルの容疑者候補の1人!
そのイデオン・サーストンの後を追いかけて、綺麗な女性がやってきた。恋人だろうか?気の強そうな美人だ。
その女性は、私達を見て、鼻で笑った。
明らかに見下している!
「パーティーに紛れ込もうとしたネズミね?みすぼらしい」
凄く酷いことを言われた!
なんだか膠着状態になりかけたその時だった。
「お嬢様方、エレベータが参りましたよ」
いいタイミングでエレベーターが来た。
マネージャーの男性は、私達を丁寧に案内してくれて、一緒に乗り込んでくれた。
そして、スイートルーム行きのエレベーターに乗って振り返った。
イデオン・サーストンとその恋人らし女性と、ジャロフ子爵夫人が、あっと驚いている。
まさかスイートルーム専用のエレベーターに乗るとは思わなかったようだ。
ふふん。貴方達に用は無いわ。
エレベーターのドアが閉まった。
ライザは泣いているようだ。
そりゃそうだ!なんなのよあれは!
「ライザ。大丈夫?」
私はライザの背中を撫でた。
「お客様、少し落ち着くまでティールームにご案内しますか?」
マネージャーの男性が優しく声をかけてくれた。
ライザは何も言わない。
「ええ。お願いしていいかしら?」
私の言葉に男性はにっこり微笑む。
「かしこまりました」
そうして案内してもらったのは、3階にある広い屋上の温室だった。
「こちらは、別館の屋上になります。宿泊棟は本館でございます」
そう言って、男性はお茶を入れてくれて、小さなハンドベルを置いた。
「ごゆっくりどうぞ。お部屋への案内をご希望の際は、こちらのベルをお鳴らしください。それと今後、困ったことがございましたら、当ホテルどちらの支店でも構いません。こちらの名刺をお見せください」
そう言って『ブラクストンホテル チーフマネージャー:ネイサン・ナガー』と書かれた名刺を私とライザ、それぞれにくれた。
「あの料金は?」
「こちらはスイートルームのサービスに含まれております」
そう言って男性は人差し指を立てて、口元に当てた。
内緒なのね。
少し落ち着いてきたライザはフフフと笑った。
ライザが言うまでは聞かないでおこう。
これはちょっとセンシティブだわ。
何も聞かずに空を見た。
「綺麗な夕陽ね」
私の言葉にライザは頷いた。
「あのね、私の生家はコトフ伯爵家なの。今は伯爵じゃないけどね」
さっき暴れていたのが、子爵家のオバサン。
子爵より伯爵が上?
確かそのばす。
私は爵位の話は曖昧にしかわからないから頷くしかできない。
「さっきあそこに居たのは、イデオン・サーストン。一歳上の幼馴染と、ジャロフ子爵令嬢のリアーナ。あの強烈だった夫人の子供よ」
「あの気の強そうな美人と、感じの悪い夫人が親子なの?」
私は驚いて声が裏返った。
「そう。イデオンは、サーストン伯爵家の三男なの。サーストン家とジャロフ家は親戚よ。私は単なるご近所だけど。そして、彼は三男だから爵位は継げないわ。もっと言うと、私達3人はそれなりに上手くいってたの。子供の頃、イデオンと私は婚約者だったのよ」
私は何も言わずにライザを見た。なんだか横顔が傷ついているように見える。
「ある時、父がギャンブルにハマって。コトフ家は破産して、爵位返上、一家離散したの。私はその時13歳だった。12歳からメイドとして働くのは普通の事。だから、イデオンの実家であるサーストン伯爵家でメイドを始めたの。もちろん。婚約破棄よ。それからよ、あの酷い態度を取られるようになったのは」
そう言って力なく笑うライザはいつもと違った。
「この街に出てくる時、イデオンに手紙を出したの。『先生になりたいから、この街に来る』ってね。そしたら『教師はダメだ。帰れ』って手紙が返ってきてそれっきり」
ライザは何かを飲み込むように紅茶を飲んだ。
「サーストン伯爵家はね、聖クリチャード学園って言う学校を持っているの。そこの教師にしてほしいって懇願されると思ったのかな?そんな事お願いしないのに」
そしてライザは自らの手をぎゅっと強く握った。
「自分の未来は自分で決めたいじゃない?」
「当たり前だよ!頑張ってるライザってすごいよ。でも何で教師に?」
「資格が有れば、生きるのに困らないでしょ?他にどんな資格があるのか、どんな道があるのかわからなかったのよ」
「確かにそうね。他にどんな資格があるのかしら?」
私の言葉にライザは笑った。
「クロは、この街の常識から学ばないといけないものね。あっ、この事、コリンヌには内緒ね。外に出られないあの子は、余計にいろんな事考えてヤキモキしそうだから」
「わかったわ。では、コリンヌが待ってるから行きましょう」
私はそう言ってベルを鳴らした。
すると、可愛らしいホテルの制服を着た女性がスイートルームまで案内してくれた。