二日酔いの失態
なんとなく時間が過ぎ、月曜日になった。
いつも通りレッスンをして過ごした後、メガネをかけてブラクストンホテルに向かう。
この前、ライザが言っていた通り、多分、ドレスコードがあるホテルだろうから、この前、アパルトマンに戻った時にメイベルがハンガーにかけていた布をショール代わりにして、服を隠してホテルに入る。
前から見たら、あまり服が見えないはずだ。
……後ろから見たら、スカートが見えるけど。
先日、ブルーノの宮殿にいる、メイドにこの服を数着見てもらった。
「服の形がちょっと古くて堅苦しく見えるだけで、数着は生地も仕立ても良い物が入っておりますから、お気になさらなくても大丈夫です。そもそも、クローゼットを使う時点で、前の持ち主の方はそれなりのお家の方だったに違いないのではないですか?」
と言われた。
「だって庶民は、タンスに片づける量の服しかないから、そんなクローゼットなんて持つ必要ないじゃないですか」
確かにそうかもしれない!
そう思ったから、ちょっと安心している。
でも念のためショールをかけた。
何度か足を運ぶ私の顔をホテルの方々は覚えてくれたのか、挨拶をしてくれる。
何かこの格好が恥ずかしくて、堂々とできずに挨拶を返した。
スイートルームをノックするとコリンヌが出てきた。
「社長がお待ちですよ」
そう言って笑っていた。
案内されて中に入ると、応接セットに数人の男女がいた。
年齢もバラバラだ。
「今日から、我が社のために危険を犯してもらうのに、何かあってはヘイスティングス氏に顔向けができないから、うちの使用人にカフェに居てもらう事にした」
そう言って1人ずつ紹介してくれた。
「社員では誰がどこのスパイかわかりないからな。それで、救援信号は、爪でテーブルを3回叩いてくれ。会社も大切だけど。それ以上に人命も大切だ。だから、君がホテルに出入りする時も気を配ってもらえるようにホテル側にお願いしてある」
カーネギー氏はそう言った。
だから、私の顔を覚えて挨拶してくれるのね。
そして、跡をつける人がいないか見てるんだわ。
カーネギー氏の作戦は、テレビで見る、本人を誘き寄せる時に警察が使う手段みたいだ。
護衛役は、一度に2人までカフェにいるらしい。
カーネギー氏の話によると、あのカフェの夕方の利用客は本当に少ないらしい。
そのため、今ここにいる彼らが私と同じ月曜日だけ表れたのでは不自然だから、これから不定期でカフェに行って様子を見てくれるそうだ。
「あと、もう一つ。カーネギー産業の受付は毎日違う者に座らせる。そうしないと月曜日や水曜日だけ現れる君に不信感を持たれては困る。今日から全社員で日替わりだ」
その決断に驚いて開いた口が塞がらない。
「カーネギー産業ってあのビルに何人いるんですか?」
私の質問にカーネギー氏は笑った。
「そうだね、だいたい500人くらいかな」
「じゃあ、全員が受付を経験しても2年近くは同じ人が座らないわけですね」
「そうだ。これで君の安全は確保した。後は、スパイの洗い出しも同時に進めていく」
その言葉に私はにっこり笑った。
「コリンヌ、君の安全を心配して君の代わりにスパイを買って出てくれる友達がいるなんてすごいな!」
「ええ。クロとはまだ知り合ったばかりなのに、なんだか昔から知っているみたいな感じがするんですよ」
そう言ってコリンヌが笑った。
「カーネギーさん、一つだけ、教えてください。なぜ、『教員になるのだけは反対』なんですか?」
私の質問にカーネギー氏は顔色が変わった。
「コリンヌが我が社に来る前の話だ。私は今は住宅や商業施設が立っている今宅地を拡大している地域の土地を買おうとしていた。そこに当時は聖クリチャード学園があった。学園はなかなか用地買収に応じてくれなかった」
ヴェロニカの事件の話だ。
「その時、不幸な事件が起きた。1人の生徒が学園に紛れ込んだ魔物に噛まれて亡くなったんだ。学園は閉鎖。一部の教師は責任を取らされ退職。そして学園は移転を決めた。このままでは困るだろうと、私は新しい土地を用意して、そこに移転してもらった。その後、旧学園の周辺を全て解体し、まだ草むらだった丘も含めて山狩をしたが、魔物は見つからなかった」
知らなかった。カーネギー氏が魔物を探したなんて。
「酷い話だ。人が1人無くなった。その魔物が見つからないからと教師に責任を取らせたんだ。そして探しもしない。もしも、野外授業で、教師が魔物に遭遇したら子供を守りながら逃げないといけない。そんな仕事にコリンヌには就いて欲しくはないから」
カーネギー氏の顔は怒りを含んでいた。
これでヴェロニカの犯人とは無関係だとわかった。
「その生徒を知っていたの?」
「ああ。社会実習で亡くなるまでの間、会社に来ていた子だ」
「話してくれてありがとうございます。では、スパイに行ってきます。尾行される可能性も考えて、今日はそのまま帰りますから。そして明日、また来ます」
「ああ、お願いする。今日は護衛は配置済みだ」
「ありがとうございます!そうだ。他の日はウインナーコーヒーはメニューにないんですか?」
私は疑問に思った事を聞いた。
「ああ。驚きだが、コーヒーすら無い」
私は思わず変な顔をしてしまい、そして部屋を後にした。
そして、ダナハービルのカフェに向かうと、今日もウインナーコーヒーがあったので注文した。
スパイの受渡用だと言うとカッコいいけど、ようは私専用。
そう思うとなんだか面白くなってきた。
ナプキンには、『データーを渡すから、それを差し替えよ。正しいデーターをこちらに寄越せ。期限は木曜日』
と書かれていた。
また一方的な。
呆れるわ。まあ、役員の椅子と、株主議決権が欲しい人は一方的だと思わないよね……。
私がコーヒーを飲んでいると、店員の男性がこちらに来た。
先日と同じ男だ。
「先日のお忘れ物です」
と言って、私に本を渡してきた。
「あっ、ありがとうございます」
私は本を受け取った。
そして15分ほどカフェにいた後、ブルーノの馬車で宮殿に戻ってきた。
ブルーノは馬車に乗るなり、保管袋をくれたので本をその中に入れた。
それから、目に見えない透明な手袋を外す。
その後でメガネも外した。
「これで、相手の指紋や詳しいデータを取れるけど、それを希望するかはカーネギー氏次第だな」
「明日、聞いてみるわ。お値段はいかほどで伝えればいい?」
「値段か。明日までに考えとくよ」
「それで尾行はついていたの?」
「途中までは。でも貴族街に入ったらいなくなったよ。ここは、怪しい馬車はすぐに通報されるからな」
なるほど。
お貴族様にはそれぞれに事情があるのね。
聞けば、貴族街には専用の憲兵がいて、すぐ駆けつけるらしい。
それじゃ尾行は無理ね。
「クロはもしかして楽しんでるのか?」
「当たり前じゃない!スパイかぁ……。なんだかドキドキするわ」
「カーネギー氏から安全対策を取っていると聞いているからいいけど、元々、命を狙われてたんだ。その自覚はあるのか?」
「一応、あるわ。ねえ、なんだか今日は飲みたい気分なの。景色を見ながらがいいわ」
私の言葉で、ディナーがバルコニーに運ばれてきた。
「クロは自覚が無いからな」
「何が?」
そう話しながらワインを開ける。
夕陽が沈みかけの空は白ワイン越しに、少しぼやけて見えた。
「なんか楽しい!」
そう言ってから一口飲んだ。
「クロは、カーネギー氏をまだ疑ってるのか?」
「いえ。疑ってないわ。カーネギー氏は犯人じゃない」
「クロは無自覚に人を振り回すからな」
「それはメイベルの外見だからでしょ?」
「そんな事は関係ない」
ディナーを食べながらワインを飲む。
「あー!レモン酎ハイをグッと飲みたい!」
「なんだそれは?」
「私の世界のお酒。大きなグラスに入れてね、勢いよく飲むの。あっ!この世界にビールある?」
「ビール?」
「黄金色で発泡しているアルコール度数の低いお酒よ」
「ああ!エールの事か!」
「あるのね!それでもいいわ!ぐぐぐっと飲みたい!」
そう言って私は笑い外を眺める。
毎日会社に行ってパソコンに向かっていた日々はどこに消えたんだろう?
私のお気に入りの映画や音楽は?
友達とランチに行ったり、ドライブに行った日々は?
なんか虚しくなってきて、突然大泣きをした。
大声で泣いた。
ブルーノはそんな私に何も聞かずに、隣にいてくれた。
それでも涙が止まらずに嗚咽を漏らして泣いた。
「帰りたいな……」
小さな声で呟くと、ブルーノは頭を撫でてくれた。
広いバルコニーにある椅子に腰掛けると、ブルーノも横に座った。
それでも尚外を眺めた。
「仕事が遅く終わるとね、同期と一緒に飲みにいくの。駅前にはいっぱい居酒屋があってね、チェーン店は選ばないのよ!フフフ。それから、カウンターの飲み屋に入って、レモンサワーを頼むの。そして、唐揚げと、枝豆も………。私、何故、死んじゃったのかな」
そう言って笑った所までは覚えている……。
目が覚めると朝だった。
あれ?いつの間に寝たんだろうか?
多分、泣きながらお酒を飲んだのかもしれない。
その痕跡として、服を脱ぎ散らかしてあった。
多分、気分が悪くなって吐こうとしたんだ……。
次のお話と少しつながらなくなるので、変更しました。
すいません