第16話 今日は俺のせいじゃないです!(多分)
「お疲れ様です」
六時間目の授業が長引いたため少し家庭科室に行くのが遅れてしまった。案の定、枕崎さんも汐月さんもすでに部活に来ており、いつものように窓際の席に座っている。
「おっす。今日は何だ?」
「今日はチキンステーキにしようかと思ってます」
「おっ、肉じゃねぇか!」
「肉って言っても牛じゃなくて鶏ですよ? そんな喜ぶところですか?」
あまりにも嬉しそうな様子が気になって思わず質問してしまう。
「だって、お前が作んの魚とか野菜ばっかで肉が全然出てこねぇじゃねぇか」
「いや、一昨日作った肉野菜炒めに豚肉入れてたと思うんですけど」
自分でも肉をメインとした料理を作る頻度が少ないのは自覚がある。だから、その分、炒めものをする際には、こま切れ肉やミンチなどをできるだけ使うようにして、肉類を食べる機会をこまめに作っているつもりだ。
なのに、こんな風にクレームをつけられるなんて心外である。
「お前、あれ、ほとんどモヤシだっただろうが! よくあんなんで肉入れてたなんて言えるな!」
「三口に一切れぐらいの割合では入ってたでしょ! 料理名も肉野菜炒めですよ! 肉料理の一種と言っても過言じゃないでしょうが!」
「どう考えてもただの野菜炒めだろうが、あんな量の肉で『肉野菜炒め』なんて名乗ってんじゃねぇよ」
安さのあまり大量に買い込んでしまったモヤシを消費期限ギリギリで無理やり消費するために、大量にフライパンにぶち込んだとは言え!
モヤシに対する肉の割合が一割を下回っていたとは言え!
肉が入った野菜炒めである限りそれは肉野菜炒めには違いないのだ!
不都合な事実は隠し、最後の主張だけを押し通しそうとしたのだが枕崎さんは納得せず、逆に今日のチキンステーキを鶏もも肉三枚分にするという条件を取り付けられてしまった。
本来の予定であれば、枕崎さん鶏もも肉二枚、俺が二枚、汐月さんが一枚だったのに、俺の鶏もも肉が一枚奪われた形だ。
ちなみに、汐月さんが元から一枚なのは、嫌がらせしようとしたわけではない。ただ、小食な人なので気を使っただけである。
肉を大量に食べられるということで満足した枕崎さんは機嫌良さそうに鼻歌を歌っている。
そして、その横で、汐月さんはそんな枕崎さんを見つめながら、何が楽しいのかニコニコと幸せそうな笑みを浮かべていた。
いや、ほんとに何がそんなに楽しいんだろうか。
それにしても、汐月さんが通常運転でよかった。
昨日の放課後は少し様子がおかしかったように思えたが、俺の気にし過ぎだったのかもしれない。
汐月さんの様子に一人安心していると、鶏肉が焼けるいい匂いがしてくる。
鶏もも肉は皮目を下にして焼いていたので、上から見ただけでは火の通り具合が分からない。一枚試しにひっくり返してみると、まだまだ皮に焼き色が付き始めたぐらいで、パリパリにするにはもうしばらく時間がかかりそうだ。
次に、先に作り始めていたコンソメスープの様子も見てみる。
水に、ジャガイモ、ニンジン、タマネギとコンソメスープの素を入れて、そこそこの時間煮込んでいたのだが、ジャガイモやニンジンにもしっかりと火が入って柔らかくなっていた。
というわけで、キャベツとソーセージを加えて、引き続き煮込んでいく。
さて、鶏もも肉が焼き上がる前にタレを作ろう。
タレはガリバタ醤油にしようと思う。材料は、バター、おろしニンニク、醤油、みりん、料理酒だ。
鶏もも肉が焼き上がる前に、とは考えたものの、いざ手をつけるとたいして時間のかかるものでもなくすぐに出来上がってしまう。
工程を言葉にすれば、溶かしたバターにおろしニンニクを加え、さらに少しして醤油とみりん、酒を合わせて沸騰させる、以上だ。
それにしても、ソースだけでもいい香りだ。うまそう。
問題ないとは思うが一応味見をしておこうと口に含み、思わず首を傾げてしまう。
……おかしい。
疑問を感じながら再度口に含む。
……やっぱりおかしい。
妙に甘い。
今回の味付けで甘みの素となるものと言えばみりんだが、そんなに量を入れたわけでもないのにここまで甘いのは変だ。
そもそも俺自身が甘みよりも塩みの方が好きということもあって、本来の一般的なレシピよりもみりんは控えめに、醤油は多めにしているので、こんなに甘くなるはずがない。
俺が料理部に入ってからずっと使っているみりんなので、みりんの味自体が想像以上に甘くて、少なめに入れたにもかかわらず想定よりも甘くなったなんてことも考えにくい。
何度も一人で首を捻っていたからだろうか、枕崎さんから声をかけられる。
「お前……また、やらかしたんか?」
その声には多分に呆れが含まれていた。
「いや、今回はミスる要素なんてなかったはずなんですが、妙にタレが甘いんですよね」
振り向きつつ返事をすると、ジト目で俺を見つめる枕崎さんと目があった。
「確かに昨日、『全部食ってやる』とは言ったけどよ。次の日ぐらいはまともなもん食わせてくれよ……」
「いやいや、さっきも言いましたけど、こんな味になるわけないんですよ。今回は絶対俺のミスじゃないですって」
慌てて否定するが全然信じてくれる様子もなく、さらに疑いの目が強まっていく。
「どうせ、また、塩と砂糖を間違えたとかじゃねぇの?」
「砂糖も塩も使ってないのに間違えようがないですって」
「じゃあなんで甘いんだよ?」
「それが分からないんですって! あるとしたら、みりんの入れすぎですけど……」
匙で量って入れたわけではないので正確には言えないが、醤油の三分の一にも満たない量しか入れていないと思う。それでこんなに甘くなるか?
そんなはずないとは思うものの、枕崎さんに問い詰められ少し自信がなくなってきた。
「今度はちゃんと量って、もう一度作ってみます」
「じゃあ、今あるタレどうすんだよ?」
「甘みが強すぎることには違いないですが食べれないことはないので、チキンステーキにはこのタレを使います。お二人を巻き込んでしまうのは申し訳ないですけど……ただ、この味になった原因が気になるので、少量だけ作り直してみます」
「ならいいけどよ……絶対に捨てんなよ」
昨日全部食べると言ったから、俺がタレを捨てないかどうか気にしてるんだろうか。
だとしたら、本当に一本筋が通った人だな……ちょっとかっこよすぎるんだが?
「もちろんです」
早速、先ほどと同じようにバターを弱火で溶かしてからすりおろしたニンニクを加えていく。さらに、匙を使って、何杯入れたか数えながら醤油も足す。
続いて、みりんを入れるが、こまめに味を確認しようと思い、想定している分量の半分を加え一度味見をしてみる。
……甘い……
今の時点でさっきのタレに近いぐらいの甘さが感じられる。
いや、これは流石におかしい。
この分量でこんなに甘くなるはずがない。
マジでおかしいぞ?
みりん自体が俺が思っている以上に甘いのか?
さっき自分自身で否定したはずのことにすら自信が持てなくなり、みりんを直接味見してみる。
これぐらいの甘さだよな。
思っている味からさほどずれることはなく、ほぼ想定どおりであった。
じゃあ何が原因だ?
料理酒はまだ加えていないし、ニンニクは生のものをすりおろしているのでありえない。他に可能性があるとしたら、バターと醤油だが、どっちもこんなに甘くなるものではない。しかし、候補がその二つしかないのも事実であり、どちらが原因なのか試してみるしかない。
まずはバターから。冷蔵庫から取り出し、少しかじってみる。うん、特別甘いということはない。
続いて、ありえないとは思いつつも、醤油を少し小皿に出し、啜ってみる。
ちょっと待て――甘いんだが。
いやいやいや、俺の味覚がおかしいのか?
そう思いもう一度啜り舌の上を転がしてみるがやっぱり甘い。
「枕崎さん、汐月さん、この醤油少し試飲してみてもらえませんか?」
「はあ? 何言ってんだ、お前? 頭大丈夫か?」
「さ、桜井くん、やっぱり昨日のコショウ事件がショックで頭おかしくなっちゃったの?」
「違うんですって! この醤油が甘いかどうか確認してもらいたいんですよ」
「だから、何言ってんだ、お前。醤油が甘いわけねぇだろ」
「そ、そうだよ、桜井くん」
「なんでもいいから、とりあえず一口お願いしますって!」
そう言いながら醤油の入った小皿を二つ、二人に差し出すと、ちっと舌打ちしながらも枕崎さんが小皿を受け取り、試飲してくれる。
その様子を見た汐月さんもおずおずと小皿を受け取って試飲する。
「……甘ぇな……」
「た、確かに甘いね」
「……ですよね……」
三人して無言で固まる。
しばらくして、枕崎さんが何か思いついたのか、はっとしたような顔をして、俺に問いかけてくる。
「桜井、お前もしかして……間違えて醤油に砂糖入れたんか?」
んなわけねぇよ!
なんで、そんな発想で『閃いたっ!』みたいな顔ができるんだよ。
「いや、そんなアホじゃないですよ。てか、ボトルに入った醤油に砂糖なりなんなり調味料を加えるような状況って想像つかないんですけど」
「じゃあ、なんで甘いんだよ。醤油が甘いなんておかしいだろ」
「……醤油が甘いこと自体はそこまでおかしくないんですよね……」
「普通におかしいだろうが」
「そうでもないんですよ。九州とかだと、甘口醤油と言って、砂糖とか甘味料が入った醤油がスーパーで普通に売ってたりするんで」
「じゃあ、お前、今までその甘口醤油とやらを使ってたのか?」
そう問題はそこだ。
俺が試飲し、二人に差し出した醤油のボトルのラベルにはちゃんと濃口醤油と書いてある。当然のことながら、原材料の欄には砂糖を含む甘味料に類するような名前は一切書かれていない。
この醤油、みりん同様に俺が料理部に入った初日から使い続けているもので、昨日の昼食でホッケの開きにおろし醤油を添えたときにも使っている。
だから醤油が甘いわけがないと思っていた。もし、これほど甘味のある醤油だったのなら、流石に昨日の時点で絶対に気が付いていたはずだ。さらに、料理部に入ってからで言うと、気が付くであろうタイミングは他にいくらでもあった。
となると、昨日の昼食後から今までの間で、濃口醤油からこの醤油へとすり替わったとしか考えられない。
しかも、外観の特徴的な部分が昨日の昼食時点から変わっていないことからすると、誰かが意図的に中身だけを入れ替えたと考えるのが自然だ。ボトルのラベルの剝がれかけている位置やキャップが少し潰れている様子まで再現できるとは思えない。
そこまで考えてふと頭を過るものがあり、右の方に顔を向ける。
「どうかした?」
根拠があったわけではないし、こんなことをした目的は当然のこと、理由だって全く分からない。
でも、その顔を見た瞬間、俺は確信した。
そこにはいつもと違いどこか大人びた様子で艶やかな笑みを浮かべる汐月さんがいた。