第14話 うめぇ料理を作りたい
放課後、夕日射す家庭科室、今日は珍しく枕崎さんと汐月さんが背後ではなく料理をしている俺の手元が見える位置に座っていた。が、特段俺の料理に興味がある様子もなく、二人して漫然とこちらを眺めているだけのようだった。
そんな中、昼休みは何のミスもなく乗り切り、放課後の献立の鮭のムニエル、白米も作り終え、残るオニオンスープもあとは仕上げだけだからと油断していたのだろうか、それは最後の最後に起こった。
仕上げに味を調えようと、味見をしながら慎重にオニオンスープにコショウを振っていたときのことだった。突然ポチャンという音がして、コショウの蓋がゆっくりとスープの中に沈んでいくのが見えた。そして、蓋に続けとでも言わんばかりに、今度は中身の方がサラサラとすごい勢いでスープの中に流れ込んでいく。
よし、もう部活休もう!
目に映る全てがスローモーションになった世界で、流れゆくコショウの滝を見ながら思ったことはそれだった。
空になったコショウの容器を脇に置いて、枕崎さんと汐月さんに向かって宣言する。
「すいません、今日からしばらくの間部活休みます」
「ああ? 突然何言ってんだ? んなことよりも、そのスープ何とかしろよ」
「スープ? 何のことですか? これはただのコショウの墓場です」
「さ、桜井くんの頭がおかしくなっちゃった……」
「失敬な! 俺はいつだって冷静です。だから、早くこの場から立ち去らせてくれませんかね?」
「……お前、冷静にテンパってたんだな……謎に器用なやつだな」
二人の感心と呆れが入り混じった視線が痛い。
顔を背けた上で、さらに顔を隠すために手のひらを前に突き出す。
そんな目で俺を見んな。むしろ笑えよ。さぞかし滑稽だっただろう、今日は失敗しなかったぞと言わんばかりにルンルンで料理していたところで、最後の最後にコショウが全てオニオンスープの中に流れ落ちていく様はよ。
「こっち見ないでください! もうやだ。おうち帰る。明日から部活に来なくても気にしないでください、心の平穏を保つために家に引き籠ってるだけですから!」
言いたいことだけ言って出口まで走り、引き戸に手をかけたところで、背後から声がかかる。
「おい、桜井!」
振り返ると、枕崎さんが立ち上がって真剣な顔で俺を見つめている。
何か引き止めるような言葉をかけてくれるんだろうか。
かまってちゃんではなかったはずなのに、枕崎さんの顔を見ているとそんなことを期待してしまう。
そうだよな。だって、所持金がないときでさえ俺の作った飯が食べたくて、汐月さんからの借金の申し出を断るぐらいだもんな。枕崎さんにとっては、俺はもはや無くてはならない存在と言えるだろう。そんな俺が突然部活に来なくなったら、喪失感のあまり泣いてしまうかもしれない。
でもね、枕崎さん、それこそが『本当に大切なものは失って初めて知る』っていうことなんですよ。そうやって人は大人になっていくんですよ。申し訳ないけど、枕崎さんの成長のためにも俺は引き籠らせてもらいます!
「オレの飯はどうすんだ?」
……知らねぇー。残飯でも食ってろ。
全然引き止める気ねぇじゃねぇか。ちょっと期待した俺が馬鹿だったよ。
「残飯でも食ってろ」
やべっ。心の声がそのまま漏れてしまった。
枕崎さん本人よりも汐月さんからめっちゃ睨まれてる。違うんです。悪気はないんです。ただ、思ったことをそのまま口にしてしまっただけで。
「今朝見かけた、購買部裏のゴミ箱を漁っている人が脳裏を過って、そのまま口に出ちゃっただけなんです。悪気はなかったんです」
「オレはあったかい飯が食いてぇ」
意外にも枕崎さんはさほど怒った様子がなく、冷静にそんな我儘を言ってくる。対して、汐月さんの目はどんどん険しくなっていっている。
「残飯も電子レンジで温められますよ」
なんかさっきから口が勝手に動く。煽るつもりがないのに、煽ってるとしか思えない発言になっていく。ちょっと落ち着け、俺。
「……できたてが食いてぇんだよ」
さすがに枕崎さんもイラっとしてきたのか、声に苛立ちがにじみ出てきた。
「大丈夫です。どれだけの時間経過をもって、できたてではなくなったとするかは、食べる人の気持ち次第です。例え数日前に製造されたものでも、できたてだと思えばそれはできたてのものです。よかったですね、これからはいつでもできたての残飯が食べれますよ」
俺の舌すごいな。今日、絶好調じゃないですか。ほんと、こんなときに限ってどうしたんですか? お願いだからそろそろ止まってくれませんか?
そろそろ汐月さんからは人を殺せそうな視線が飛んできてるし、枕崎さんの顔もどんどん歪んできているんだが……
もう目を合わせられないよ。どうしてくれんのほんと。
二人の顔を見るのが怖くて下を向いていると、枕崎さんもとうとう限界を迎えたのか、急に言葉を発しなくなる。無言の時間がしばらく続き、恐怖が増していく中、枕崎さんが息を吐く音が聞こえた。
殴られるかな、殴られるよな。あんだけ好き放題煽ったもんな。これで怒らなかったら聖人君子だわ。
「オレは――お前が作った飯を食いてぇ」
枕崎さんの言葉にはっとなり、顔を上げる。
その表情は少しも怒った様子はなく、ただただ真剣に俺のことを見つめていた。
「――だから、明日も来い。ちゃんと毎日作れ」
それだけ言いきると、枕崎さんは窓際の席まで行って、俺に背を向けて座る。
なんすか、そのプロポーズみたいなセリフ……
こんなの引き止めの言葉とすら言えない。自分が飯食いたいから部活休むななんて、本当に我儘極まりない言葉だ。
ただ枕崎さんの願望をぶつけられただけだ。しかも命令形で。
なのに、今、こんなにも料理がしたいと思ってしまうのは、こんなにも心が晴れやかなのはなんでなんだろうか。
ああ、そうか。
俺はこれほどまでストレートに自分が作る料理を求められたことなんてなかった……
そもそも俺自身が本当の意味で誰かのために料理をしたことなんてなかった。
枕崎さんたちの他に、俺が作った料理を食べたことがあるとしたら、それは俺を食道楽への道に引き込んだ例の友人ぐらいだと思う。しかし、それは、二人で飲んでるときに俺が食いたいものを好きに作っただけで、決してあいつのために作ったわけではない。
この料理部に入ってからだってそうだ。俺はほぼ毎日料理をしてきたが、どこまでいっても俺が食べることしか意識してなかった。だから、味付けだって枕崎さんの好みなんて知ったことではなかったし、最悪枕崎さんがまずいと言おうが俺がうまいと思えるのであれば、他はどうでもいいと心の奥底では思っていた。
けれども、今俺の中には、せっかく作るなら枕崎さんに『うめぇ』と言ってもらえる料理が作りたい、そう思う自分がいる。
この気持ちは明日になったら冷めてしまうのか、それともこの料理部にいる間そう思い続けるのか分からない。
でも、ほんの僅かな期間であったとしてもそんな風に思える自分がいるというのは我ながら驚きだった。
少なくともこの気持ちがある間は枕崎さんのことも考えて料理をしてみてもいいのかもしれない。
「枕崎さん」
「なんだよ」
そう言って振り向いた枕崎さんの耳が赤く染まって見えるのは夕日のせいだけではないんだろうな。
「また、大ポカやらかして碌に食べられもしないものを作るかもしれませんよ。それでもいいですか?」
「そんときはしゃあない。お前がオレのために作ったもんだろ。ならオレが全部食ってやるよ」
ああ、少し悔しいな……俺の方が年上のはずなのになあ。
いつぞや聞いたセリフを吐きながら、にかっと笑う枕崎さんを不覚にも頼もしいと思ってしまった。
どこか清々しい敗北感に、仕方がないからこう呼ぶことにした。
「じゃあ……今からオニオンスープを何とかするんで少し待っててください、枕崎先輩」
いつもと違う呼び方をしたことに気づいたのか気づかなかったのか、何か引っかかるような顔している枕崎さんを無視して、コショウまみれになったオニオンスープのもとへと向かった。