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第13話 胃が痛む日々

 次の日の昼休み、焼魚定食を作りに、颯爽と教室から抜け出した。


 前日の枕崎さんとの遠慮のない会話が、クラスメイトの野次馬根性に再び火をつけてしまったらしく、また休み時間になるとすぐに人が寄ってくるようになっていた。

 またしても、蒼斗のボッチスキルが活用される場面である。ただ、前回と違い便所飯をしなくてもいいのは不幸中の幸いかもしれない。

 まあ、汐月さんと顔を合わせることと便所飯とでは、どっちが嫌かと言われると難しいところなのだが。


 家庭科室に着くと、当然のことではあるが、枕崎さんだけでなく汐月さんもいる。

 胃が軋む音がした気がした。


 無理やり気持ちを切り替えるために、手を動かしながら何を作るか復習する。

 初回ということで魚は定番の塩鮭を使うことにした。味噌汁は昨日のうちに作ったものが冷蔵庫にあるので、温め直すだけだ。米は今朝少し早めに学校に来て、炊飯予約をしておいたので、もうすでに炊けているだろう。

 三品だけというのも寂しいし、明日からは放課後のうちに常備菜を作っておいて、それも出すようにしよう。


 早速、鮭を焼いていく。

 まずは皮目を下にして中火で三分ほど焼く。その間に、味噌汁も冷蔵庫から取りだし、火にかけて温め直していこう。


 三分経ち、鮭をひっくり返すと、焼いていた面にほどよく焼き色がついていた。いい感じだ。次いで、フライパンに水を少量足し、蓋をして蒸し焼きにする。


 蒸し焼きにしている間は暇だしなと、炊飯器までご飯をよそいに行ったところで衝撃の事実が発覚する。



 やべぇ、ご飯が炊けてない。



 どうやらスタートボタンを押していなかったようで炊飯器の表示画面は予約時刻を指したまま動いていなかった。


 これは——枕崎さんに殺されるんじゃないか?


「お二人に大事な話があります」


「なんだ?」


「きゅ、急に改まってどうしたの?」


「ご飯が炊けてませんでした。すんませんした」


 そう言って、二人の反応を見る前に腰を九十度に曲げてお辞儀をする。確か、謝罪会見では五秒以上は頭を下げる必要があると聞いた気がするので、心のうちで五数える。


「はあ? お前マジで言ってんのか?」


「マジです。すいません」


 五秒経っていなかったので、頭を下げたまま答えた。


「どうすんだ? 鮭を米なしで食うのかよ」


「今から早炊きすれば……三十五分後に炊けるみたいなので、それまで待ってもらえますか」


 頭を上げて枕崎さんの顔を見ると、思ったほど怒っていないみたいでよかった。汐月さんも怒っている様子はない。


「ったく、しゃあねぇなあ」


「ほんとすいません」


「つ、次からは気をつけてね」


「次回以降は、ちゃんとボタン押せてるか確認するようにします」


 そんな会話をしながら早炊きボタンを押していると少し焦げた臭いがしてくる。

 しまった。鮭を焼いていたのを完全に忘れていた。


 慌ててフライパンのもとまで行くと、鮭が若干焦げていた。が、表面の一部が軽く焦げているという程度なので、その部分を避ければ食べられそうだ。

 よかった。これで鮭を黒焦げにしていたら、流石に本当に枕崎さんに半殺しにされていたかもしれない。


「大丈夫です。セーフです。食べられます」


 セーフとジェスチャーをしながら振り返ると、二人の呆れかえったような顔が目に飛び込んでくる。

 これ以上ないほど分かりやすく感情が伝わってくる二人の顔に、しばらくの間はこの光景を忘れることができそうにない。


 何とか食事は昼休みのうちに終えることができたのだが、二人に負い目を感じて発言をするのが憚られたせいか、会話がほとんどないまま、昼休みは過ぎ去っていった。


 食後は、もちろん俺から「片づけやりますよ」と申し出た。昨日は、汐月さんの申し出をイケメンに断った枕崎さんも今日は「おう、そうだな」と言ってあっさり片づけを俺に譲ってくれる。


 * * *


 その日以降、俺のお料理ライフは散々なものとなった。

 本当にろくでもない失敗をし続けたのだ。

 

 昼休みに冷凍庫を閉めたつもりが開きっぱなしになっていて、放課後気付いたときには中身が全て解凍されてしまっていた日があったかと思えば、次の日には鍋の取っ手のねじが外れ、ひっくり返して味噌汁を全部台無しにした。

 さらには、今度は炊飯器に水を入れ忘れ、パッサパッサの生米が炊きあがっていたなんてこともあった。

 

 最初はしゃーねぇなといった感じで生暖かい目で見守ってくれていた枕崎さんも一週間もこんなミスが続いた結果、冷たい目で俺を見るようになった。そして、ついに昨日、サバの味噌煮を作る際、砂糖と間違えて塩を入れてしまい、食べられないほど塩辛くなり食材を無駄にしたときには、一言短く「死ね」と言われた。

 自分でも「俺は何年料理してんだ」と落ち込んでいたところに、止めを刺され本気で死にたくなった。

 ちなみに汐月さんは二日目の時点から冷たい目をしていた。


 胃が痛い。

 家庭科室に行って枕崎さんや汐月さんと顔を合わせるのを想像するだけで胃がキリキリと痛む。

 汐月さんに料理を出すのが嫌だった時期とは比べ物にならないくらい、しんどい。あのときは、汐月さんに口撃されることはあっても、枕崎さんは素直に「うめぇ」と喜んでくれていた。

 やらかし始めた初期のころは、次は気を付けてこんなしょうもないミスはしないようにしようと思えた。しかし、今は、何を作っても、何をやっても、やらかした結果、冷ややかな目をした枕崎さんに「死ね」と言われるところしか想像できない。


 働いていたころに同じような状態になった新人を見たことがある。有名大学出身のいかにもといった風体をしたエリートで、最初は意気揚々と入社してきた。しかし、いざ社会に出てみると学問として学んだ知識だけでは全く通用せず、自信を喪失するとともに、失敗の原因を周囲の人間に求めて八つ当たりし始めた。今の俺は、八つ当たりこそしないものの、自信を失い、憔悴していた彼にそっくりだ。


 その後、彼は、なまじ頭が良かっただけに、自分に責任があることは理解していたのだろう、次第にひどく卑屈になっていき、細かいことも含めて指示がなければ全く動けないようになった。そして最後には、うつ病となり、会社から去っていった。


 彼と同じルートを辿るかは別として、このままの状態が続くと俺もうつ病になる可能性というのは十分にあり得る。

 ではこれからどうするかだが、ぱっと思いつく対処法は次の二通りだ。


 一つ目は対処法と言えないかもしれないが、このまま我武者羅に料理をし続けることだ。

 そもそも、この一週間、普段の俺なら絶対にしないような自分でも信じられないミスが続いているわけで、偶々ミスが重なっているだけであり、このまま料理していれば、自然とミスをしない元の俺に戻ると信じて料理を続けるのは、言うほど悪い考えではないと思う。

 だが、このまま料理を続けて、万が一、ミスも続いた場合、うつ病への道まっしぐらな気がしてならない。


 もう一つは、料理部から離れることだ。

 今回気持ちが沈んでいる主な原因は、ミスをしているということもあるが、二人にちゃんとした料理を提供できていないというのも大きい。気持ちが落ち着くまで料理部から距離を取れば、少なくとも俺がうつ病になることはないだろう。

 離れている間は自宅で料理をしておけば、ミスをしなくなったかどうかも確認できる。


 登校中そんなことを考えていたらいつの間にか学校に着いていた。傍から見たらずっと上の空だったんじゃないだろうか。


 昇降口で上履きに履き替えたところで、階段に向かって歩いている汐月さんと目が合う。

 

 また、胃がズキリと痛んだ。

 

「おはようございます」


「お、おはよう」


 目が合って挨拶してしまった以上、俺を無視していくのが気まずかったのか、壁際に寄って俺を待ってくれている。

 正直、さっさと行ってくれた方がありがたかったのだが……


「すいません、お待たせしました」


「う、ううん」


 お互い気まずい雰囲気の中、無言で階段まで進む。

 俺たち一年の教室は四階だが、汐月さんは三年のため二階に教室がある。少しでも早く別れられるし、階が違ってよかった。


 二階まであと少しだ、と自分を鼓舞しながら階段を上り始めたところで、気まずい雰囲気に耐えきれなかったのか、汐月さんが話しかけてくる。


「さ、桜井くん、最近料理うまくいってなさそうだけど、つ、疲れてない? だ、大丈夫?」


「疲れてるんですかね。正直、自分でもあんなにミスする理由がいまいちよく分かってないんですよね」


「そ、そっか、無理だけはしないでね」


 優しい言葉に涙が出そうだ。

 できれば、料理部でミスしたときも、あんな冷たい目をせずにこんなふうに優しい言葉をかけてもらえるとうれしいです、汐月さん。


「お気遣いありがとうございます。正直、このままだとお二人に対してご迷惑おかけしっぱなしになりそうなので、一度料理部をお休みさせていただくのも有りなのかなとは思ってます」


「そ、それもいいかもしれないね。じゃ、じゃあ、また、お昼休みにね」


「また、後ほど」


 ちょうど二階に着いたため、汐月さんと軽く挨拶して、俺はそのまま四階まで階段を上っていった。


 なお、席に着いたと同時に炊飯予約をし忘れていたことに気づき、すぐに一階の家庭科室まで戻る破目になった。


 自分のポンコツさが憎い。

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