第11話 イケメン過ぎるんよ
「こ、こんにちは」
「お疲れ様です」
家庭科室に行くと弁当を食べている汐月さんがいた。
汐月さんとは、あの日以来、ずっと一方的に気まずい。
たぶん、というか、絶対に嫌われてる。
例えば、この間、湯豆腐を作ったときに、最初は「おいしい」と言ってくれたのに、二言目には「き、季節感はおかしいけどね」などと一刺ししてくるのだ。
これが一回や二回なら、俺も嫌われているなどとは考えなかったと思うが、料理を提供する度に何か小言を言われているため、さすがに勘違いではないのだろう。
汐月さんの口撃のきつい点は全てが正論パンチであることだ。
反論の余地がなく、一方的にダメージを食らい続けるだけという、やられる側としてはただただ辛い状況だった。これが原因なのか、汐月さんに料理を出すときに、手が震えている自分がいることに、つい先日気がついた。
「これからペペロンチーノを作りますけど、汐月さんも食べますか?」
「わ、私はこれだけで十分だからいいよ」
弁当をこちらの方へ少し傾けながら答えてくれる。
それはそれは可愛らしい所作で、大半の人は顔をほころばせ、しばらくの間デレデレとしてしまいそうな光景だった。
だが、俺にとっては汐月さんの分は作らなくてもいいという事実の方が重要だ。安堵するとともに、内心二ッコニッコになる。
……大丈夫だよな、顔に出てないよな。
「了解です。枕崎さんは三人前ですよね」
「おう」
枕崎さんの答えは待つまでもなく分かっているので、返事が返ってくる前にパスタ四人分をパスタケースから取り出しておいた。
俺自身は枕崎さんが来るまでの間にパンを三つも食べてしまっており、腹自体は膨れてしまっているが、作るからには意地でも一人前は食べる。
早速、鍋に水と塩を入れ沸騰させていく。
ペペロンチーノの作り方は簡単だ。
ざっくり言うと、オリーブオイルにニンニクとトウガラシの風味を移してオイルソースを作り、茹でた麺と絡める。これだけ。
時間と手間のかかる工程がないため、麺を茹でるのとオイルソース作りを並行してやれば十分程度で作ることができ、今日みたいに時間がないときには特に重宝する。
さっき火にかけた鍋が沸いたようなので、麺を投入していると、スススと汐月さんが寄ってきて、横に立つ。
どうしたんだろうか? できれば、こっちに来ずに枕崎さんの方に居て欲しい。
「和奏、どうしたんだ?」
枕崎さんも俺同様に和奏さんの行動を珍しく感じたようだった。
「ぺ、ペペロンチーノって一回作ってみたかったから、け、見学させてもらおうかなと思って」
「どうぞどうぞ。いくらでも見てってください」
前言撤回。それならば、いくらでもそばで見ていってもらってかまわない。
料理をする身としてはこうして興味を持ってもらえるのは素直にうれしい。
それに汐月さんが料理できるようになれば、俺一人で毎日枕崎さんの晩飯を作っているこの現状が変わるかもしれない。
料理自体は嫌いではないのだが、毎日となるとレパートリーがすぐに尽きてしまいそうで少し不安になっていたところだった。
「……桜井だけじゃなくて、和奏も料理できたのか?」
枕崎さんを背に立っているため顔は見えないが、自分だけ料理ができないという事実に、分かりやすくショックを受けているのが伝わってくる声だった。
「ぜ、ぜ、全然できないです。ほ、包丁に触ったことすらないです」
自分の発言で枕崎さんがショックを受けてしまったことに慌てているのか、汐月さんはいつも以上にどもりながら、明らかに嘘と分かる発言をしていた。
先週、小学生のころに調理実習でカレーを作ったことがあると言ってたのに。
十年近く保持されていたはずの記憶は、たった一週間も経たないうちにどこかにいってしまったんですか?
「そうか」
そっけなさを装っているがその声からは隠しきれない喜びがにじみ出ていた。
そんなに自分一人料理できないのが嫌なら少しは練習すればいいのに、と思ってしまう。
そしたら、汐月さんもしょうもない嘘をつかなくてよくなるし、ウィンウィンの関係だ。
「はい、そうなんです! ペペロンチーノの作り方を勉強するのはやっぱりやめます」
ほっとした様子の枕崎さんを見て汐月さんも安心したようで、やたら元気のいい声で枕崎さんに対する忖度を宣言して、枕崎さんの隣の席まで戻っていった。
初めて会った日から薄々察していたことだが、汐月さんは枕崎さんのことを相当敬愛しているらしく、枕崎さんをとにかく甘やかすのだ。
枕崎さんがジュースが欲しいと言えば冷蔵庫から取ってきてコップに注ぐし、お菓子を食べたいと言えばあーんとしてあげる。
さらにひどいことに、宿題をやってあげたりもしてるらしい。しかも、枕崎さんにはそのことがばれないうちに終わらせ、かつ、知らない間に提出しているそうだ。だからだろう、枕崎さんに俺が宿題をやっているところを見られて、「宿題なんかしなくても呼び出しとかもねぇし、無視すればいいんだよ」と言われたことがある。
あのとき、うるせぇお前は黙ってろ、と言いたくなった俺は何も間違ってないと思う。
そんなこんなで、俺は汐月さんを完全に彼氏を甘やかしてダメにするタイプの人間だと確信した。
まあ、俺は一度も甘やかされたことないが……
そうこうしている間にできあがっていたオイルソースにパスタの茹で汁を加えて乳化させ、麺とソースが絡みやすくなるようにする。
ちょうど茹で上がった麺をフライパンの中でオイルソースと軽く和えて、完成だ。
「はい、どうぞ」
皿に盛りつけたペペロンチーノを枕崎さんがいる調理台に並べる。
枕崎さんは、いただきますと軽く手を合わせると、フォークを使ってパスタを巻き取っていく。一口大の量を巻き取ったところで、フォークを口に運んだ。
「うま……くねぇ」
思わず苦笑いしてしまう。
食べた直後の枕崎さんの感想で「うめぇ」やそれに類する言葉以外を聞いたのは初めてだ。
「どこが美味しくなかったですか?」
少し意地悪な質問してみる。
「どこが?…………分かんねぇ。けど、まずいわけじゃねぇんだ。ただ、うまいとは思えなかったんだ……なんでだろうな?」
曖昧だけどどこまでも素直な答えにさっきとはまた違う種類の笑みがこぼれる。
「味見した感じだと、たぶん塩が足りなかったんだと思います」
「じゃ、じゃあ塩を足せばよかったんじゃないの?」
汐月さんのその指摘はごもっともだと思う。
でも、それができなかったのは俺のプライドの問題だ。
「ペペロンチーノって本当にシンプルな料理なんです。材料はパスタ、ニンニク、唐辛子、オリーブオイル、そして塩。これだけなんですよ。だから、一つ一つの味のバランスが少し崩れただけで途端に美味しくなくなる。シンプル過ぎる故に難しく、料理人の本当の腕が試される。ペペロンチーノっていうのはそんな料理なんです」
一度そこで間を置く。
目に映るのは今しがた俺が作ったどうにも締まらない味をしたペペロンチーノだ。
「そんな料理だからこそ、一度で全ての味を決めたかったんです。塩でいうと、麺を茹でるときの塩分のみで味を入れたかったんです。なんとも個人的なこだわりで中途半端なものをお出ししてしまってすいません。残りは僕が食べます」
「いや、いいオレが全部食う」
「この味で三人前はきつくないですか?」
「問題ない。お前がオレのために作ったもんだろ――ならオレが全部食う」
……その発言はイケメン過ぎるんよ。
俺が中身おっさんじゃなかったら惚れてたかもしれん。