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迷宮保険  作者: 井上啓二
第三章 アンドリーナの逆襲
98/659

16ブロック

 黒衣の指揮官に率いられた約一〇〇〇人の兵士と、探索者ギルドによって選抜された七〇名の探索者が “(Edge of)外れ(Town)” で見た光景は、各人の想像を超えていた。

 迷宮の入口――大地穿たれた縦穴を覆っていた雨よけの覆いはもちろん、見慣れた衛兵たちの屯所もない。

 荒野に巨大な(縦穴)がポッカリと空いている以外、周囲には何もなかった。

 その巨大な坑が昨日までの迷宮の入口だとはとても思えないし、思いたくもない。

 あの小さな縦穴をこれ程までに拡げてしまう存在を相手に、これから “戦” を挑まねばならないのだから。


 設営隊によって野営用の天幕が張られ、臨時の指揮所が設けられる。

 すぐに五人の中隊長と一五人の小隊長、そして六人の探索者パーティリーダーが指揮所に集められた。


「作戦の目的は、迷宮最上層の南西区域(エリア)――いわゆる “駆け出し区域(ビギナーズエリア)” の制圧と防衛拠点の構築だ。南西区域をまるまる基地化する」


 広い指揮卓を挟んで、各部隊長とパーティのリーダーにアッシュロードが言った。

 指揮卓には、軍事作戦用に描かれた地下一階の大きな地図が広げられている。

 迷宮への逆侵攻は、“帝国軍” でも常に想定され可能な限りの準備がなされていた事態なのだ……あくまで “攻勢” の意味においてだが。


「そのために、まずここに橋頭堡を築く。座標 “()9、()8”。“駆け出し区域” を出てすぐのブロック(区画)だ」


 アッシュロードは指揮卓に身を乗り出し、分厚い戦闘用の黒革の手袋に包まれた指先で地図の一点を指し示した。


「探索者なら知ってると思うが、“駆け出し区域” はこの “E9、N8” の西にある扉で他の区域と区切られている。逆に言えば他の区域から “駆け出し区域” に侵入するには、この扉を越える必要がある。橋頭堡はこの扉を背に築く」


 橋頭堡とは “敵陣に打ちこまれた自軍の拠点(クサビ)” である。

 敵にしてみればこれを排除しなければ戦場での主導権を握れない。

 ここから自陣に攻め込まれる危険があるので、こちらが攻めるにしてもまずこの橋頭堡を落とさなければならない。

 放置すればいいように後方を攪乱させれてしまう。

 喉に突き刺さった魚の骨のような物で、些細だが気に障る痛みを常に感じ続けることになる。

 アッシュロードら “帝国軍” にしてみれば橋頭堡を築ければ戦いの場を集約でき、“迷宮軍()” の選択肢を大幅に奪うことができる。


 座標 “E9、N8” は、東と南を分厚く頑丈な煉瓦の内壁に囲まれ、西に “ビギナーズエリア” に繋がる扉が設置されている。北は暗黒回廊(ダークゾーン)の入口がある東西二区画(ブロック)、南北四区画の縦長の広場に面している。

 以前、エバ・ライスライトとホビットのパーシャが “犬面の獣人(コボルド)” と遭遇し、パーシャが負傷した場所だ。


「――ここに橋頭堡を築ければ、この戦争を局地戦にすることができる。万が一橋頭堡が落とされた場合は、背後の扉を閉ざして初段の防衛線とする」


「作戦の要諦は理解できた。戦略的には理に適っていると思う。しかし、実際にどんな橋頭堡を築くのだ? 土嚢や鹿砦(ろくさい)程度では “犬面の獣人(コボルド)” や “オーク(ゴブリン)” 程度ならまだしも、巨人族(ジャイアンツ)竜属(ドラゴン) に襲撃されたらとても防ぎきれないぞ?」


 探索者のスカーレット・アストラが発言した。

 見目麗しい顔に、困惑の表情が浮かんでいる。

 許可も求めず指揮官に発言することは軍では処罰の対象だが、彼女は軍人でも軍属でもない。

 探索者にしてみれば、あの迷宮で “陣地” に籠もって戦うなど考えられない。

 軽快な機動を実現できる最大単位(六人)で確立されている、パーティプレイの長所を完全に殺してしまう。

 しかし迷宮に不慣れな兵士にしてみればまったく逆で、陣地なしで魔物と戦うなど猛獣のおりに裸で放り込まれるのと変わらない。


プラトーン(六人パーティ)がもっとも機能するのは強襲&強奪(ハック&スラッシュ)においてだ。襲うにしてもケツをまくるにしても身軽に動ける。だが状況が変わった。もう敵が強いからといって逃げることはできない。迷宮側が数で押してきたら今の探索者のやり方じゃ対応できん」


 不満げなスカーレットの気配を察し、アッシュロードは言葉を継ぎ足した。


「そこで役割を分担する。陣地に籠もっての防衛は兵士が担当し、探索者は状況に応じて陣地を出て遊撃戦を行う。そのために “E9、N8” の北側に高さ七メートル、幅一〇メートル、厚さ三メートルの防壁を築く」


 天幕内の空気が揺らいだ。

 迷宮の内部にそんな大掛かりな()()をするだって!?


「――それも一日でだ」


 アッシュロードのトドメの言葉に、今度こそ本当に天幕の中が騒ついた。


「出来るっ!」


 幕内の動揺を打ち消したのは、老いたドワーフの大喝だった。

 その老ドワーフ――設営部隊を預かる工兵隊長は爛々とギラつく目で、騒ぎ立てるひよっこ共をギョロリと睨み付けた。


◆◇◆


「――ここを離れます! 急いで!」


 セダが再びエバを背負うと、ハンナたちは駈け出した。

 とにかく、逃げなければ!

 でも、どこへ!?

 もちろん王城 へ!

 でも跫音(きょうおん)は、そちらから迫ってくる!

 救いは彼女たちの足元からやってきた。


「――こっちニャ! 早く! こっちニャ!」


 さらに奥まった街路に続く裏路地。

 その半地下式の住居の窓から、まだ幼女と言っていい猫人(フェルミス)の少女が顔を出して激しく()()()をしていた。


「ノーラ!」


「早く! 早くニャ!」


 ドーラ・ドラの娘の “ノーラ・ノラ” が、毛を逆立てて叫んでいる。

 躊躇している暇はなかった。

 ハンナは狭い窓に身体を滑り込ませる。

 すぐに手を伸ばし、セダから昏睡状態のエバを受け取る。


(乱暴にしてごめんなさい!)


 胸の内で謝りながら、ハンナはぐったりと弛緩したエバを室内に引き摺り込んだ。

 エドガー、セダ、リンダの順で、次々に半ば地面に埋もれた部屋に飛び込んでくる。


「――先に行けっ!」


 ダイモンが最後まで守りを固めていたクリスに怒鳴った。

 クリスが窓に鎖帷子(チェインメイル)を着込んだ身体をねじ込み、ダイモンもそれに(なら)った。

 パーティで一番大柄な上に鎖帷子を装備していたダイモンは漫画のように窓に挟まり、仲間たちに無理やり引きこまれた。

 ダイモンの身体が地下室の床に落ちると、即座にノーラが窓を閉める。

 窓は木製なので外から中を覗き込むことはできない。

 数瞬の間をおいて激しい跫音が窓のすぐ外を通り過ぎ、その音が聞こえなくなるまでダイモンは擦り傷だらけの顔を埃っぽい床に押し付けていた。


「……行ったか?」


「……足音は聞こえなくなった」


 ダイモンは顔を上げると、ペッペッと口に入った埃を吐き出した。

 顔中がヒリつき、クローズドタイプの兜が本気で欲しくなる。


「――ありがとう、ノーラ。本当に助かったわ」


 ハンナはホッと胸を撫で下ろすと、感謝の眼差しを幼い猫人族の娘に向けた。


「にゃんの、にゃんの。“情けは猫のためならず” にゃ」


「え?」


「にゃー、昨日の夜この人たちに助けられたにゃ。だからそのお返しにゃ」


「え? あ――それじゃ、お前、あの時の!」


 大人ぶった態度ノーラの物言いに、ダイモンがようやく目の前の猫人の幼女が誰なのか思い当たった。


「その節はどうもお世話になったのにゃ」


 昨夜は戦闘の混乱で言葉を交わす余裕もなかった。

 ダイモンたちは皆キレてしまっていて、“食人鬼(オーガ)” を挽肉にすること以外は眼中になく、結果的に自分たちが助けた中年の人族(ヒューマン)の女と猫人族の少女がその後どうなったかなど、正直今の今まで忘れていた。


「ノーラ、ここはいったい? ドーラさんの家じゃないわよね?」


 自分の上衣を枕にしてエバを床に寝かせると、ハンナがノーラに訊ねた。


「違うにゃ。ここはマーサの妹の家にゃ」


「マーサ?」


「ノーラの子守り(ベビーシッター)にゃ。でも昨日の夜、家が燃えてしまったんで妹の家に居候してるにゃ」


 えっへん!


 と腰の両脇に手を当てて、なぜか自慢げな幼女猫 。

 その時、地下室に福々と肥えた中年の女がふたり、下りてきた。

 ノーラのいう子守のマーサと、その妹だ。


「昨夜は世話になったね。安心おし。ここは妹のポーラの家だ」


「それにしてもいったいなんなんだい。外じゃ見かけない連中が血相変えて走り回ってるよ。薄気味悪いったらありゃしない」


 マーサに続いて、顔を顰めたポーラが外の状況を説明する。


「どういう事情かは聞かないけど、今は外に出ない方がいいよ。すぐに見つかっちまうから」


「……そうですか」


 それから匿ってもらった礼を述べた後、ハンナは考え込んだ。

 王城に向かっていると宣言したのはミスだったと(ほぞ)を噛む。

 今ごろ “カドルトス寺院” の連中は、あの場にいあわせた人間からその話を聞き出して、“王城(レッドパレス)” に続く、街路という街路、路地という路地を監視しているだろう。

 目的地までは、ほんのわずかな距離だというのに。

 おそらく二〇区画(ブロック)ないだろう。


「……なんとかトリニティ・レイン様と連絡が取れればいいんですけど」


「それって、もしかしてお城のお偉いお大臣様のことかい? ちょっとした言伝ぐらい頼まれてやりたいけどね。さすがにあたしらには荷が勝ちすぎるよ」


「ええ、わかっています。ありがとうございます」


 ハンナはよく似た顔立ち、よく似た体型の中年のふたりの姉妹に、弱々しく微笑んで見せた。


「こういう映画観たことあるな…… “ダイハード” ()()主演してた。裁判の証人だかを運ぶ警官が警察署から裁判所までほんの少しの距離なのに、妨害にあって辿り着けない話」


 エドガーがポツリと呟いた。

 ダイモンは思った。その映画なら自分も観たことがある。

 タイトルはなんだったか。

 確か “15ブロック” ……?


「? ハンナ、お城に行きたいのかにゃ?」


「うん、でも外には恐い人が沢山いるし、言伝を頼みたくてもトリニティ様は身分の高い方だから、普通の人じゃ会わせてくれないのよ」


「そんなの問題にもならないにゃ。“ノーラにお任せ!” なのにゃ」


 ノーラの胸に自分の猫パンチが炸裂する。


「え?」


「だって()()()()()()は、ノーラの “名付け親(ゴッドマザー)” にゃんよ。いつも遊びにいってるから顔パスにゃ」


 全員が呆気に取られた。



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― 新着の感想 ―
[一言] タイトルで突っ込んでいたとは……真似したい!w
[一言] 言及されてる映画、「ガントレット」かと思ったけど出演者が違いましたね。あとブロック数1足りてない…w
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