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迷宮保険  作者: 井上啓二
第三章 アンドリーナの逆襲
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この人を助けてください

 刀折れ矢尽きた探索者たちの眼前で、それは起こった。

 今や唯二人、押し寄せる “水” の暴力に抗い続けていた漆黒の鎧の男と白い僧服の娘。

 その娘の長く艶やかな黒髪が、周囲の狂乱に似つかわしくない柔らかさでふわふわと優しく漂い始めると、輝く銀色に変わっていったのだ。


 探索者たちは目を疑った。

 疲労し、敗北し、絶望した自分たちの()()()が作り出した、幻影なのではないかと。

 例え聖職者と言えど、奇跡を信じ当てにするほど彼らは信仰家でも夢想家でもなかった。

 そうあるには、彼らが日々潜っている地下迷宮は現実的(リアル)すぎた。

 彼らは皆楽天家ではあったが、同時に悲しいまでに実際家(リアリスト)だった。


 しかし、彼らが目にしていた光景は幻でも夢でもなく現実だった。

 奇跡は起こっていた。

 少なくとも、起こりつつあった。


◆◇◆


 フェルさんを初め、周りの聖職者の人たちが次々に倒れ昏倒していく中、アッシュロードさんはすぐ目の前の “防御障壁” に遮られ打ち付けられる濁流を、睨み続けていました。


 とっくに嘆願できる加護は祈り尽くしてしまっているのに、逃げようともその場に座り込もうともしていません。

 この城門を守る指揮官だからと言うこともあるでしょう。

 でもそれ以上に、この人の中にある “絶対に破らない・破れない決まり” がそうさせているのだと思います。

 この人だけの、馬鹿みたいな決まりが……。


 女神様……ニルダニス様。

 わたしは……あなたへの信仰が本物なのか自信がありません。

 フェルさんや他の聖職者の人のように、心の底からあなたに帰依しているのか毎日疑問に思っています。

 ですが、あなたの存在は感じることができます。

 とても大きな温もりと慈しみを感じます。

 だから、お願いします。


 この人を助けてください。


 このガサツで不器用でぶっきら棒で、いつも周りを誤解させて怒らせてばかりいる、涙が零れそうになるほど真面目な人を……。

 死にかけていたわたしの心を救ってくれた、この人を……。


 グレイ・アッシュロードを助けてください。


◆◇◆


 万策尽きて、万事休す。

 すべての加護を嘆願し尽くしたアッシュロードに残されたのは、ただ眼前で逆巻き濁る暴れ水を睨み付けることだけだった。

 自分の能力を遙かに超える存在と事象を前に、散々悪あがき、散々悪巧み、場をかき乱すだけかき乱した結果がこれだ。

 多くの人間を巻き込み巻き添えにして、最後には破滅を招き寄せた。


 ――まったく “無能な働き者” の典型だ。


 組織において、集団において、社会において、もっとも他者に迷惑と被害を与える人種。

 自分が置かれている状況が見えずに、ただ無闇やたらに動き回り、結果として被害を拡大させる “頭の悪い働き者” 。他者の幸福のために、まっさきに処分されるべき存在。

 それが自分だ。

 アッシュロードは、ここに至ってようやく自嘲した。

 やれるだけやった……などという虚無的な満足感すらそこにはない。

 自分の周りには、自分の後ろには、この身の愚かさ故にその生を終わらせる人間が、何千、何万といるのだから。


 だが……それでも……。

 もし自分のこの愚かさを見て、神々が憐れみを、あるいは苦笑じみた可笑しみを覚えてくれるなら……。

 自分の傍らに立つ、この娘を助けてほしい……。

 この娘を、この娘が生まれ育った世界に戻してやってほしい……。

 たった一度黄泉の国から呼び戻してやっただけで、水鳥の雛が生まれて初めて見た存在を親だと思い込むように、無頼な自分に懐いてしまったこの娘を……。


 その時、アッシュロードは感じた。

 手で触れられるほどの神聖な気配を。


 ハッとして右を向くと、唯一人今の今まで自分に寄り添ってくれていた少女の黒い髪が、優しく柔らかく浮かび上がり、キラキラと輝きながら銀色に変わっていくところだった。


 アッシュロードは直感した。

 今、自分の直前で “奇跡” が起こりつつあることを。

 自分は助かり、自分が巻き込んだ探索者は助かり、この城塞都市は助かる。

 そしてその代償としておそらく、いや確実にこの娘の――エバ・ライスライトの命は失われる。

 サクリファイス(自己犠牲)は、聖女の専売特許だ。

 愚かな自分に、神々が下す罰としてはこれ以上のものはないだろう。

 アッシュロードは慟哭した。


 おい、やめてくれ!

 せめて――せめて一緒に死なせてくれ!


◆◇◆


 パーシャは見た。

 パーティの仲間で、親友で、今の彼女にとって何よりも大切な存在(少女)が、その身に “女神” を降臨させようとしている姿を。

 銀色に変わった髪が明るく輝きながらフワフワと漂い、清浄無垢な蒼白い聖光が身体から溢れ出す。

 そしてホビットの少女は、黒衣の君主(ロード) 同様に直感した。

 彼女の親友は今、その命を犠牲に奇跡を招こうとしているのだと。


「――やめてえっーーーーーーーえぇっっっ!!!」


◆◇◆


 自然がもたらす破滅と、神々が差し伸べる救済。

 どちらも、人の意思がもたらしたものだった。

 ならば、そこに割って入ったのが人の意思だったとしても、それは必然であり、この一連の事象の当然の帰結ではなかっただろうか。


 崩れかけた城壁の壊れかけた胸壁の上に、彼女が現われたことに気づいた者は誰もいなかった。

 しかし彼女が現出させた魔法という名の力が、神々の奇跡に代わって自分たちを救ったことは、翌朝には城塞都市に暮らすすべての人々に知れ渡った。

 それほど彼女の顕現させた事象は、都市の住人に篤い感謝と同等の畏怖を抱かせた。


 “絶対冷凍波” が城門跡の空隙に襲い掛かる濁流に投射され、一瞬にしてその周囲を凍てつく白銀の世界に変えた。


◆◇◆


 アッシュロードは刹那の時間で、何が起こったのか理解した。

 呼気どころか、吸気ごと肺まで凍りつくような圧倒的な冷気。

 瞬時にして凍結した目の前の暴れ水。


 トリニティ・レインが “絶零(アブソリュート・ゼロ)” の呪文を使ったのだ。


 瞬間的に凝固したことによって体積を増した濁流が、崩れかかっていた防御塔を押し潰し、さらには周辺の城壁をも呑み込んで蒼白い氷塊と化した。

 アッシュロードはエバ・ライスライトとエルフの僧侶(プリーステス)フェリリルの細腰を両脇に抱えると、迫り来る氷塊から飛び退いた。

 足元に倒れていた探索者たちを可能な限り蹴り飛ばして、巨大な氷の膨張から遠ざける。

 やがて……濁流の凝固が収まり膨張が止まったとき、氷塊はアッシュロードの鼻先にまで達していた。

 両脇にふたりの少女を抱えたまま、ヘナヘナと無様にその場に座り込むアッシュロード。

 見ると、ふんわりと漂い銀色に輝いていたライスライトの髪が、元の艶やかな黒髪に戻っていく。

 ホビットの少女魔道士が、親友たちの名を呼びながら駈けてくる。


 こうして後の世に “火の七日間” と呼ばれることになる騒乱劇の、最初の一日は終わった。

 城塞都市側の……辛勝だった。



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― 新着の感想 ―
[一言] もの凄いスペクタクルに興奮です。複数視点のカット割りが映像的でカッコいい!
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