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迷宮保険  作者: 井上啓二
第三章 アンドリーナの逆襲
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みーんなで悪あがき

 閃光と、それに続く轟音。

 絶対零度の息吹によって永久凍結されたV字に切り立った峡谷の末端が、今度は宇宙開闢(原初)の力によって打ち砕かれた。

 深く狭隘な渓谷全体に充ち満ちた雪解けの清水が、すべてを呑み込む土色の濁流となって遙か下流へと解き放たれた。


 トリニティ・レインは魔法を放った安全な高台から、自らが現出させた壮大で破壊的な光景を見つめていた。

 本来ならすぐにでも “転移(テレポート)” の呪文を使って帝都に帰還せねばならなかったが、さすがに “転移” “絶零(アブソリュート・ゼロ)” そして “対滅アカシック・アナイアレイター” とこうも高位魔法を連続で唱えては、彼女とて疲労する。

 正確な座標指定をせねばならない “転移”は、高度な精神集中を必要とする。

 疲労して集中力が散漫な状態で使えば、城の堀の中に出現して溺死するか、もっと悪ければ “石の中” だ。

 トリニティは杖に寄りかかりながら、高台に座り込んだ。


 あとは彼女のかつての(リーダー)がどうにかしてくれるだろう……。

 言ったことは、“曲がりなり” にも必ず実行してみせる男なのだから。


◆◇◆


 轟々たる土石流が大地を呑み込む大津波となって押し寄せてきたとき、アッシュロードは自分の “悪運の強さ” と “運の悪さ” の両方を呪った。

 これで自分は、狂王の留守中に城塞都市に迫った “迷宮軍” を壊滅させた、希代の英雄だ。

 そして一〇〇万都市と謳われる世界有数の大都邑を滅ぼした極悪人として、後世にまで謳われる “大とんま” だ。


 “犬面の獣人(コボルド)” や “オーク(ゴブリン)” 、はては “トロル” や “巨人” に至るまでが、次々と人為的に作り出された自然の猛威によって押し流されていく。

 その先にあるのは、凄まじい水圧に翻弄されての溺死だけだ。

 幻想的な蒼白き満ち月の夜に、魔物たちの阿鼻叫喚の地獄絵図が描き出されていた。

 変転に次ぐ変転。

 逆転に次ぐ逆転。

 わずかの距離を開けてアッシュロードと対峙していた紫衣の魔女が、最初は静かに、やがて心の底から楽しげに笑い出した。

 その声は鉄砲水の轟音に掻き消されてアッシュロードの耳には届かなかったが、それは心が満たされた者だけが上げることのできる満ち足りた笑い声だった。

 それから魔女はアッシュロードに向かって妖艶に微笑むと、濁流に呑み込まれる瞬間に “転移” の呪文を唱え、彼女の城である迷宮へと還っていった。


「――ドーラッ!」


 アッシュロードは彼と同様、“対滅” の衝撃波で吹き飛ばされたくノ一に向かって叫んだ。

 彼女は軟土の草むらに叩きつけられ意識を失っていたが、その声にパチッと目を開けるとその瞬間には跳ね起きていた。

 すぐ眼前を濁流が大河となっていたが、こんなことを仕出かす奴はこの世界にひとりしかいないので驚きもしない。


「最悪のタイミングだね!」


 ドーラは城門があった空間に向かって走るアッシュロードにあっという間に追いつき、並走しながら苦笑した。


「ああ、最悪だ!」


 走りながら、アッシュロードが苦虫を噛み潰した顔で答える。

 城塞都市外郭城門は、迷宮軍が布陣していた土地よりもわずかに地相が高い。

 これは少しでも城壁の防御効果を増すように工夫された結果だが、そのお陰で濁流の直撃を受けずにはすんだ。

 だが、それも時間の問題だ。

 すぐに低い地形に収まりきらなかった泥流が、城塞に向かって溢れ向かってくる。


 アッシュロードの当初の目論見では、強大にして巨大、堅牢無比な外郭城門でこれを防ぎ耐える予定だった。

 そして恐らくはそれでも危険だろうから、さらに加護や呪文で強化するつもりでもいた。

 エバ・ライスライトが以前に迷宮で使った手の超特大版だ。

 そのライスライトも “対滅” に巻き込まれて生死は不明。

 肝心の城門にいたっては消し飛んでしまっている。

 だが、それでもやるしかない。

 そうしなければ魔物の大軍よりも怖ろしい敵によって、城塞都市は壊滅する(水浸しだ)


「ドーラ!」


「分かってるよ! 可能な限り集めてみる!」


「頼む!」


「アイ・アイ・ニャー!」


 ドーラは一瞬で加速し、瞬く間にアッシュロードを置き去りにして場内に消えた。

 アッシュロードは “城門があった空間” を背に立ち止まり、振り返った。

 そこには巨大な空隙があるだけであり、頼みとしたかった城門は瓦礫と化して、つかの間彼の指揮下にあった兵士たちの屍と共に周囲に散らばっていた。


 ――クソ喰らえだ。


 自分の尻は、自分で拭く。

 自分の仕出かした始末は、自分で着ける。


 ()()()()()()()()


 アッシュロードは自分の持てるすべての加護を使って、ポッカリと口を開けた空隙に障壁を張った。


◆◇◆


「――ドーラ!」


「レティか! いいところで会った! 集められるだけの探索者を集めとくれ!」


「それならすぐそこの広場に集まってる。王城からの指示で予備隊を編制しろとかでな――それよりも城門は一体どうなっている? 物見に出した斥候(スカウト) が戻ってこない。敵は? 戦況は?」


 探索者ギルドに向かって疾駆していたドーラは、途中で “カドルトス寺院” に襲来した魔物を撃退し、鉦鼓の合図によって城門に集合しようとして突然の命令変更で足止めされていた “スカーレット・アストラ” に呼び止められた。

 天佑だった。


「運が良ければ城門の近くでノビてるだろうさ。悪けりゃ……。とにかく城門はアンドリーナの “対滅” で消し飛んじまった」


「なんだと!? それじゃ魔物が――」


「雪崩れ込んでくるのは “水” だ。魔物はアッシュロードが()()()()()よろしく流しちまったよ」


 ドーラは事のあらましを端折りに端折ってスカーレットに伝えた。

 絶句するスカーレット。

 魔女も魔女なら、あの男もあの男だ。

 ()()()()()()()()()()()()()


「運が良かったね。城門に集合していたら巻き添え食ってお陀仏だったかもしれないよ」


 言いながらドーラは内心舌を巻いていた。

 探索者ギルドの指示を変更して城門から離れた場所に探索者を集めたのは、アッシュロードかトリニティか(おそらくトリニティだろう)。

 どちらにせよ、その判断が探索者たちを救い――ひいてはこの城塞都市を救うことになるかもしれない。


「とにかく出来る限りの探索者を集めて城門に行っとくれ。特に障壁を張れる聖職者が必要だ。アッシュは今たったひとりで城門に栓をしている」


 スカーレットは即座に、探索者たちで臨時編成した予備隊に指示を出した。

 指揮官など最初から決められてはいないので、もっともレベルが高く、もっとも腕っ節が強く、もっともそれらしい見栄えの彼女が必然的にその役目に就いていた。


「ドーラ、あんたはどうする気だ?」


 城門とは反対方向に走り出しかけたドーラに、スカーレットが訊ねる。


「“カドルトス寺院” だよ。あそこには聖職者が腐るほどいる。実際腐ってるけどね」


「無理だ。奴らがあそこから出てくるものかっ」


 スカーレットは吐き捨て、今度は彼女が寺院でのあらましを説明した。


「――あの因業坊主ども!」


 だが、それでもやるしかない。

 どれだけ悪あがいても、今はあがき足りないのだ。

 ドーラは疾風となって、再び駈けた。


◆◇◆


 熟練者(マスタークラス)君主(ロード)であるアッシュロードが願える防御系の加護は、


 第三位階の “神璧(グレイト・ウォール)” ×6

 第二位階の “光壁(ホーリー・ウォール)” ×8

 第一位階の “祝福(ブレス)” ×9


 ――だ。


 アッシュロードは “神璧” の加護から願いまくり、目の前に迫る濁流に向かって祝詞を唱えまくった。

 五回障壁を張ったところで、濁流が城門跡の空隙に押し寄せてきた。

 五重に張った魔法の壁が水を堰き止めている間に、新たな祝詞を唱えて障壁を強化・上書きしていく。

 だが圧倒的なまでの純粋な力に、アッシュロードの張った障壁は呆気なくその()()()()()()()()()

 何百、何千トンに及ぶ水の圧力は、アッシュロードの想像を遙かに超えていた。


 だが、それがどうした。クソ喰らえだ。

 悪あがくと決めた以上、最後まで悪あがく。

 “神璧” を使い切ったアッシュロードが四度目の “光壁” の嘆願を始めたとき、彼の左右に人の気配が立った。


 左に、そこが自分の定位置です――だと言わんばかりに、山吹色の髪をしたエルフの僧侶(プリーステス)が。

 そして右には、白と青の僧服をまとった豊かで艶やかな黒髪の、やはり僧侶(プリーステス)

 ソプラノとメゾの見事な重ね掛け(ユニゾン)で “神璧” “ の加護を帰依する女神に嘆願すると、膨大な水圧と神の御業による障壁がほんの一瞬だけ拮抗する。


 しかし意思なき水の暴力はどんな些細な傷跡も見逃さず、引き裂きに掛かる。

 城門を両脇から支え、今は形だけを留めている半壊した防御塔に、鋭い爪を突き立てた。

 障壁ではなく、その両側の構造物が崩れ始める。


 その時、猛烈な冷気がアッシュロードたち三人を背後から追い越した。

 防御塔を引き裂きに掛かっていた濁流を瞬時に凍りつかせ、逆に崩壊寸前の塔を補強する。

 駆け付けてきたスカーレットら探索者の魔術師(メイジ)が放った、冷凍系の攻撃呪文である。

 魔術師たちの先頭に立つヴァルレハが、自らの所属するパーティ名の如く、矢継ぎ早に “氷嵐(アイス・ストーム)” の呪文を唱え、これに他の魔術師たちも “氷嵐” や “凍波(ブリザード)” の呪文を重ねていく。

 その隙に僧侶(プリースト)司教(ビショップ)たちがアッシュロードらに加勢し、共に祝詞を唱え始める。


 一〇〇パーセント正念場。

 さあ、思う存分悪あがけ。

 さもなきゃ、仲良く墓の下。



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[良い点] 緊迫感と勢いがあってわくわくドキドキします
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