城壁の戦い★
アッシュロードの視線の先 “獣人連合軍” の頭上、蒼い夜空にそれは最初 “点” のように現れ、急速にその数を増し、すぐに雲霞の如くにまで膨れあがった。
直援隊に守られた攻撃隊や爆撃隊。
さらには――。
無数の “ガーゴイル” や、大柄な “翼竜” に吊り下げられた巨大な “食人鬼” たち。
ほとんどの “食人鬼” が青い肌をした間抜け面だが、酷いのになると二匹のワイバーンにロープで吊された緑の肌のもいる。
間抜け面に比べて身に着けている鎧の質もよく、やっかいなことにその面には、明かな知性が見て取れた。
「弓兵隊、射撃用意。目標は “食人鬼” を吊ってる “翼竜” だ。集中的に狙え」
アッシュロードはかたわらに控える城壁隊長に命じた。
あれに城壁を越えられたら厄介なことこの上ない。
「はっ!」
城壁隊長が直ちにアッシュロードの指示を部下たちに命じる。
当初の猜疑心に溢れた態度は影を潜め、上官に忠実な謹厳実直な上級騎士の顔になっている。
城壁隊長にしても、これだけの数の魔物を相手に自分が適切な指示を出せるか自信がなかった。
表面上は眉ひとつ動かさない目の前の “筆頭近衛騎士” に、依存心を出してしまうのは仕方のないことだった。
当のアッシュロードは、城壁での水際作戦 が不可能であることを最初から理解していた。
端から航空優勢を奪われているのだ。
都への侵入を防げるわけがない。
彼の頭にあるのは、ただひとつ。
如何にしてあの地上部隊の外郭内への侵入を防ぐか。その一点に尽きていた。
そしてそれは是が非でも成し遂げなければならない、至上命題だった。
「ギリギリまで引きつけろ。いくら “翼竜” でも “食人鬼” をぶら下げてたんじゃ、速くも高くも飛べん。毎日の訓練よりもよほど楽だ――皆に伝えてやれ」
アッシュロードは、すべての指示を城壁隊長を通じて出す。
兵たちにしてみれば、いきなり現れた素性も知らぬ 肩書きだけの自分から指示を受けるより、日々その指揮下で動いている上官からの方が安心できるに決まっている。
なにより城壁隊長は、アッシュロードよりよほど威厳のある顔をしていた。
城壁隊長が頷き威厳のある声で、アッシュロードに言われたままを弓兵たちに伝える。
胸壁に守られた歩廊に並ぶ射手たちの篝火に照らされた顔から、ふっと緊迫した空気が散った。
張り詰め引き絞るのは、長弓の弦だけで十分だ。
そしてアッシュロードは命じた。
「――今だ。放て」
いずれも腕利きの射手から放たれたの無数の矢が、蒼い月夜の下に最接近した翼竜に殺到し、その巨体に雨のように突き刺さった。
一個の礫で(あるいは武器で)二羽の鳥を殺したことでも知られるアカシニアス・トレバーンは、紛れもなく狂っているが決して愚かではない。
自らの居城の目と鼻の先に世界有数の魔物の巣窟があるのに、何の備えもしないわけがなかった。
(“抜かりのない” という意味では、この男ほど抜かりのない人間は世界でもそうは見当たらない)
トレバーンは自分の城の一番の脅威が “飛行系” の魔物であると、迷宮の出現と同時に看破した。
彼はすぐに帝国中、ひいてはルタリウス大陸全土に布令を出し、優秀な射手を求め集めた。
彼らは “城壁を守るためだけの専門の弓兵隊” として組織・編成され、”宙空を高速で飛翔する物体” を射落とす訓練が徹底的に課された。
そしてその訓練法も、日夜研究・改善が重ねられ続けた。
以来二〇年。
戦場で損耗することもなく、その練度は今や “技、神に入る” 域にまで達していた。
「GiGyAAaaaaa!!!」
腹に爆弾や魚雷、あるいは物資を抱えた鈍重な爆撃機や攻撃機、輸送機は迎撃する側からすれば格好の標的であり、目標である。
全身に矢を受けた “翼竜” が吊り下げた “食人鬼” ごと、次々に友軍の上に墜落して巻き添えにしていく。
「――いいぞ、その調子だ!」
声を弾ませ叱咤激励するのは、城壁隊長だ。
アッシュロードは戦闘用の分厚い黒革の手袋越しに、左手に嵌めた指輪の具合を確かめながら、接近してくる敵影 を凝視している。
遅く低くしか飛べない “翼竜” に、外郭城壁を飛び越えさせるには――。
“緑竜” や “幼竜” が対空陣地を潰すべく、城壁の上に向かって急降下からの竜息 攻撃を仕掛けてくる。
――そう来ると思った。
あの地下八階での “翼竜” との戦いで、この戦術には嫌というほど晒されている。
アッシュロードは急降下してくる竜の群れに向かって左手をかざし、魔法の指輪の力を解放させるための真言を呟いた。
“滅消の指輪” が封じられていた魔力を解き放ち、今まさに竜息を吐きかけた竜たちの前面に、広範囲におよぶ致死性の有毒物質をまき散らす。
この目に見えぬ極小の粒子は、吸い込んだ生物一瞬にして塵にしてしまう凶悪無比な成分を宿している。
生命力の低いネームド未満の魔物は、耐呪することすら出来ずに全滅するしかないのだ。
有毒粒子の中に飛び込んだ竜属たちが、まるで不可視の壁にぶち当たったかのように次々に霧散していく。
城壁の上に僅かに配属されているレベル9以上の魔術師たちが、同じように “滅消” の呪文で発生させた有毒物質の帯域によって、急降下してきた “緑竜” や “幼竜” を消し去っていく。
その一瞬、城塞都市外郭の前面に、目には見えないもうひとつの鉄壁の城壁が出現していた。
“緑竜” にしろ “幼竜” にしろ、馬鹿ではない。
仮にも竜属に連なる種族なのだ。
“緑竜” はレベル1の魔術師と同程度の知能を有しているし、“白竜” の子である “幼竜” はすでに “緑竜” 以上の体躯を誇り、脳の容積もそれに比例している。
残りの群れはすぐに身をひるがえして再上昇し、破滅をもたらす致死の壁より逃れた。
代わって守備兵たちの脅威となったのは、翼を生やした人型の魔獣 “ガーゴイル” である。
人間大で “竜属” よりもよほど小柄で小回りの効くその魔物は、有毒物質の広域帯の下を掻い潜り、アッシュロードや魔術師が二の矢を放つ前に胸壁に取り付いた。
たちまち城壁の上のそこかしこで、激しい白兵戦が巻き起こる。
アッシュロードはすでに鞘を払っていた右手の長剣―― “悪の曲剣” で、胸壁を這い上ってきた “ガーゴイル” の頭部を唐竹割りにして城壁の下に突き落とした。
すぐ側で大剣を振るう城壁隊長もすでに二匹を仕留めていて、足元に石塊にして転がしている。
この魔獣は、死ぬと石に代わるのだ。
“ガーゴイル” と呼ばれる所以である。
「コイツはいい! 石つぶての補給が向こうからやってくるぞ! ドンドン殺して、ドンドン下の “犬豚” に投げつけてやれ!」
城壁隊長もノッてきたようだ。
しかし、敵味方入り乱れての乱戦になったことで、これまでの様に弓兵による効果的な弾幕は張れなくなった。
決死の形相で “ガーゴイル” と格闘する守備兵たちの間から、弓兵が隙を見て長弓を放つも、もはや上空を悠々と飛び去る空挺部隊を阻止することは敵わなかった。
“翼竜” に吊り下げられた “食人鬼” が二体、城壁の内側すぐ近く降り立つ。
「隊長、ここは任せる!」
アッシュロードは四匹目の “ガーゴイル” を仕留めると、城壁隊長に怒鳴った。
「はっ! ――閣下は!?」
「俺は下だ! 城門の内側を死守する!」
今し方降下した二体の “食人鬼” は、城門を中からこじ開けようと巨体を揺らして門へ殺到していた。
アッシュロードは行きがけの駄賃にさらに一匹の “ガーゴイル” を両断すると、防御塔の螺旋階段を駆け下りる。
◆◇◆
三打ち、三打ち、三流れ――の鉦鼓が打ち鳴らされる中、わたしたちのパーティは探索者ギルドから割り振られた担当区画に向けて走っていました。
外郭城門すぐ西側の、比較的貧しい人たちの暮らす居住区です。
「――見て!」
走りながら、フェルさんが城門のある南の夜空を指差しました。
“翼竜” や “緑竜” そして初めて見るそれらより大きい “白い竜” が、城壁を越えてこちらに向かってきます!
「よし!」
「どうしたの、パーシャ!?」
「まだ運がいい! 炎を吐く奴がいない! 火事だけは避けられるよ!」
パーシャの説明によると、“緑竜” は酸の息、“白い竜”が氷の息だそうです。
「それでも住民どころか俺たちだって、その運がいい竜息を浴びたらあの世行きだぞ!」
走りながら、ジグさんがもっともな答えを返します。
「当たり前でしょ! 仮にも竜息なんだから!」
「どうやら目を付けられたみたいだぞ!」
先頭を走っていたレットさんが立ち止まり、 剣を抜きました。
“緑竜” が二頭と “幼竜” が一頭、わたしたち目掛けて急降下してきます。
通りに出ていたのがわたしたちだけなのですから、それも当然でしょう!
「――まかせて!」
パーシャが通りの真ん中に立ち止まり、右手の親指を迫り来る竜の群れに向けました。
「近づけて――近づけて――近づけて――今っ! 頼むわよ、あたいの “いとしいしと”!」







