魔軍襲来★
カンカンカンッ! カンカンカンッ! カンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンッ――。
カンカンカンッ! カンカンカンッ! カンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンッ――。
カンカンカンッ! カンカンカンッ! カンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンッ――。
夜の城塞都市に響き渡る、激しくも正確な “金鼓” の音。
三打ち……三打ち……三流れ……。
魔物が大挙して迷宮から溢れ出たことを知らせる、緊急警報……。
「おい、これはなんの冗談だい?」
ドーラさんが見えない鉦鼓の音に視線を巡らすように、辺りを見渡しました。
「わたしはギルドに戻ります。すぐにギルド長や他の職員も駆け付けてくるでしょうし」
ハンナさんがそれまでとは一転した、凛とした声と表情で言いました。
「あなた方はすぐに装備を調えて、いつでも行動できるように準備をしていてください――これは “魔軍襲来” です」
“ビシージ” ――それは、迷宮から魔物が溢れ出た際に発生する “籠城戦” を意味する言葉です。
この “ビシージ” が発生――発令された場合、わたしたち探索者は探索者ギルドの指揮下に入ることが決められています。
しかし探索者ギルドが設立されて以来、わたしが知る限りそれが発令されたことはないはずです。
探索者登録する際の “一番最初に説明される死文化された取り決め” のはずでした……今の今までは。
でも、わたしたちは探索者です。
“何かの間違いだろう” ――そんな希望的観測は絶対にしません。
絶望的観測の元に希望を捨てない――それが探索者です。
そうやって探索者は、あの迷宮で生き残ってきたのです。
生き残っているのです。
「よし、酒場に戻るぞ。へべれけになってる奴は “解毒” をかけるなり解毒薬を飲ませるなりして、とにかく素面に戻せ。どっちもなけりゃ、水をぶっかけろ」
アッシュロードさんがハンナさんの言葉を受けて、全員を見渡します。
その顔はいつものヤサグレて疲れた果てた表情ではありませんでした。
緊張感の漂う、厳しく引き締まった顔。
あのアレクさんと戦っていたときでさえ、ここまでの表情は見せたことはありません。
事態は、それほど緊迫しているのです。
わたしたちはギルドに戻るハンナさんと別れて、酒場に向けて再び走り出しました。
酒場に戻ると、フロアは騒然としていましたが決して混乱してはいませんでした。
多くの探索者が、武具を装備するために階上の宿屋へと階段を駆け上がっています。
「マンマ!」
店内で唯一怯えた顔をしたノーラちゃんが、今にも泣き出しそうな顔でドーラさんに駆け寄ってきてしがみつきました。
「ドーラ、おまえは娘を子守に預けてこい。落ち合う場所は――」
「大丈夫。ちゃんと心得てるよ。あんたこそ “例の物” を忘れるんじゃないよ」
「わかってる」
ドーラさんはアッシュロードさんと短い会話を交わすと、ノーラちゃんを負ぶって一瞬のうちに酒場から消え去りました。
「――ライスライト」
「は、はい!」
いきなりアッシュロードさんに向き直られて、慌てて背筋を伸ばします。
「おまえら探索者は装備を整えてここで待機だ。ギルドから指示を待て。指示が来ないようならせっつけ。いざとなったら――」
「はい、自分たちで考えて勝手にやらせていただきます!」
アッシュロードさんは頷くと、押し合いへし合いしている階段の人たちの頭上を踏み越えて、自室に戻っていきました。
そして再び戻ってきたときには、その身体にはいつものくたびれた中古の板金鎧ではなく、最高級の漆黒の魔法の鎧に包まれていました。
左右の腰に佩いているのも、やはり漆黒の曲剣と短剣です。
呆気に取られている他の探索者たちの間を、鎧を鳴らし黒いマントをなびかせたアッシュロードさんが早足に酒場を出て行きます。
胸には見慣れぬシェブロンが鈍く光り、探索者ではないその身分を示していました。
◆◇◆
アッシュロードは酒場から出ると、すぐに外郭の城門に向けて走った。
“魔軍襲来” を告げる鉦鼓は相変わらず打ち鳴らされていて、何事かと不安げに通りに出る住人たちを、衛兵たちが駆け回って “家から出ないように” 命じていた。
――それほど混乱はしていない。初めてにしてはマシか。
アッシュロードはそう考えて、思い直した。
(想像力が追いついていないだけだ。一匹でも魔物の侵入を許したら鉄砲水のように大混乱が一気に拡がる)
アッシュロードは都大路に出るなり、堂々とその中央部を駈けた。
彼だけでなく、城塞都市内での騎乗を許された伝令兵が何騎も、城門と王城 “レッドパレス” の間を往復している。
アッシュロードは、長い年月と巨費を投じてドワーフの匠たちが築きあげた巨大で堅牢無比な外郭双塔城門、その防御塔の片側にたどり着いた。
強化石で築かれたやはり巨大な防御塔の基部にある入り口から、長い螺旋階段を使って、城門・城壁の上へと登る。
「だ、誰だ!」「何者っ!」
入り口を警備するふたりの衛兵が、槍を交叉させて見慣れぬ黒衣の戦士の足を止めた。
すでに城壁の内側のそこかしこに、無数の篝火が赤々と焚かれていた。
「近衛だ。筆頭騎士、グレイ・アッシュロード」
「「筆頭……? ――か、閣下っ!!」」
アッシュロードの言葉を反芻し、その胸のシェブロンを見たふたりの衛兵が顔色を変えて槍をひっこめ、敬礼をする。
近衛騎士は全員が当然ながら上級騎士であり、貴族出の将軍などとっくの昔に淘汰されたこの “大アカシニア神聖統一帝国” では、場合によっては戦場で一軍を指揮する身分である。
故に彼らの敬称は “閣下” なのだ。
「通るぞ。城壁隊長は上か?」
「は、はっ! 塔最上部の指揮所であります!」
アッシュロードはそれきり衛兵たちには見向きもせず、塔内部の螺旋階段を三段飛ばしで駆け上った。
そして防御塔最上部の指揮所に到達すると、またしても警備の衛兵に誰何され、再び一蹴する。
「―― “筆頭近衛騎士” だと?」
城壁隊長――外郭の城壁・城門すべての守備兵を指揮する騎士が、露骨にうさん臭げな顔を、アッシュロードに向けた。
年はアッシュロードと同じか少し上。
栗色の髪を短く刈り上げた、厳つい顔つきの男だった。
「知らぬな。おまえのような男の顔は王宮でも閲兵式でも見たことがない。そのシェブロンとて本物かどうか。こういう状況では流言飛語の類いが乱れ飛ぶ。おまえがあの魔女のスパイでないと証明できるのか?」
こういう態度を採られるだろうということは “想定の範囲内” なので、驚きはしない。
「俺は先日都大路で、出陣する上帝陛下から直接留守を任された」
アッシュロードはそういって、わざと指揮所の中を見渡した。
指揮所に詰めている兵士たちに、自分の顔を見せつけるために。
兵士たちが彼の顔を凝視し、その内のひとりがハッとした顔つきで城壁隊長に駆け寄り、耳打ちした。
アッシュロードの耳に、『間違いありません……自分は見ました……』などといった囁きが聞こえた。
城壁隊長の顔が見る見ると変わる。
彼の名誉のために言っておくが、決して人に媚びへつらうような軽薄な男ではない。
仮にも帝都の城壁の守備を任されるほどの男である。
だがその彼をして、”上帝トレバーンに留守を任された男” への無礼は心胆を寒からしめ、背中に冷たい汗を流させた。
「し、失礼いたしました。知らぬこととはいえ――」
「謝罪は無用だ。俺も城には一〇年以上登城していない。それよりも伝令を頼む。王城の “トリニティ・レイン” と 探索者ギルドのギルド長にだ」
アッシュロードは伝令兵に簡潔な伝言を与えて送り出すと、城兵隊長他に再び向き直った。
「これより外郭城門の指揮は、この “グレイ・アッシュロード” が執る」
◆◇◆
“獅子の泉亭” 一階の酒場には、装備を整え終えた探索者たちが続々と集まってきました。
邪魔な円卓と椅子代わりの洋樽は、従業員や手空きの探索者自身の手によって運び出されたり、フロアの脇へと寄せられていきます。
代わって運び込まれてきたのが、幾つもの頑丈そうな木箱に梱包された大量の水薬の類いでした。
“ボルザッグ商店” からの差し入れです。
「――探索者ギルドからの指示を伝えます! 探索者の皆さんはこれからパーティ単位で街に出て、侵入してきた魔物を各個に迎撃・掃討してください! また、その際にパーティに聖職者がいない、または “癒し” や “解毒” の加護をまだ授かっていない場合は、ここにある水薬を支給しますので受け取ってください! 各パーティが担当する区域はこれから発表します! なお、これは現在外郭城門の指揮を執っている、筆頭近衛騎士 “グレイ・アッシュロード” 様からの指示でもあります!」
ハンナさんの最後の言葉に騒めきが起こったのものの、
“――もう城門が破られたのか!?”
などと、とんまなことを言う人はいません。
わたしたちがこれから相手にするのは、“人間の軍勢” ではないのです。
ハンナさんと共に酒場に派遣されたギルドの職員さんから自分たちの担当する区域を聞き解毒薬を三本受け取ると、
「――よし、行くぞ」
と、レットさんが他のメンバーに言いました。
全員がうなずき酒場から出掛けたとき、ちょうど酒場から出て行く “緋色の矢” の人たちと行き会いました。
「レット、死ぬなよ」
「君もな、レティ」
「あんたたちは、どこ?」
「“カドルトス寺院” よ。あそこを焼かれたら大事だから」
レットさんとスカーレットさんが親しげに微笑み合い、同じ魔術師のパーシャとヴァルレハさんが言葉を交わします。
「ヴァルレハ、この指輪だけど……」
「大事に使いなさい。壊れにくいとはいっても “永久品” じゃないのだから」
「わ、わかった! ありがとう!」
パーシャのいう指輪とは、例の事件の折にスカーレットさんから餞別としていただいた、“滅消の指輪” のことです。
前衛のレットさんが持っていても仕方のないということで、救出行の際に装備していたわたしを経て、今はパーシャの指に嵌められています。
「頼むわよ、あたいの “いとしいしと”」
パーシャが親指の指輪に向かって話しかけたのを機に、スカーレットさんとわたしたちは互いの無事を祈り合って別れました。
――さあ、“今度は戦争” です。
◆◇◆
その足音は地響きとなって、城壁上部の胸壁に守られた歩廊に立つアッシュロードの全面に押し寄せてきた。
雲ひとつない煌々とした月夜に現われた、何千、何万という数の “犬面の獣人” や “オーク” 大軍勢。
土煙が舞う中を “街外れ” から城門に向けて、横陣で津波のように押し寄せてくる。
「閣下! レッドパレスの財務大臣様より伝令です! “敵の数知らせ” ――以上であります!」
「数か」
伝令兵からの伝言を聞き、アッシュロードは数瞬考えたあと、
「“敵が七分に地面が三分” ――だ」
「は? ――は、はっ! “敵が七分に地面が三分!” 確かに承りました!」
伝令兵が復唱し、螺旋階段を駆け下りていく。
大地を “七分” まで埋め尽くした普段は犬猿の仲である “犬面の獣人” と “オーク” 連合軍を見てアッシュロードは、
(……あの時は、これの布石だったってわけか)
と、エバやパーシャを危機一髪で救った場面を思い出した。
だがアッシュロードは怖れない。
この程度の数の軍勢で、この難攻不落の城壁は抜けやしない。
彼が怖れ、危惧しているのは……。
「来たか」
アッシュロードの視線の先 “獣人連合軍” の頭上、蒼い夜空にそれは最初 “点” のように現れ、急速にその数を増し、すぐに雲霞の如くにまで膨れあがった。
直援隊に守られた攻撃隊や爆撃隊。
さらには――。
無数の “ガーゴイル” や、大柄な “翼竜” に吊り下げられた巨大な “食人鬼” たち。
「……空挺までいやがる」
アッシュロードは、腰の曲剣を引き抜きながら吐き捨てた。







