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迷宮保険  作者: 井上啓二
第三章 アンドリーナの逆襲
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火の七日間

 ――三日後。


「……出て来ないな」


 一区画(ブロック)四方の玄室。

 その西側の壁の前に置かれた “フードを被った人間型の彫像” を調べた斥候(スカウト)のジグさんが、しばらくした後に呟きました。

 彫像の前には祭壇が設置されていて、焚かれたお香の残り香が微かに漂っています。

 いつもならこの彫像を調べれば “固定モンスター” が現れて、逃走不可能な強制戦闘になるのですが……。


「…… “トモダチ(貴族の亡霊)” もいないなんて」


 パーシャが小さな指先で結びかけていた印呪を解きました。

 レットさんやカドモフさんは(ロングソード)を構えたまま、なお周囲を警戒しています。

 でも、その切っ先もやがて下ろされました。


「これで、地下一階には魔物の姿はなしか」


空白地帯(未踏破区域)に入る手段があるならそこにいるかもしれないけど、“永光コンティニュアル・ライト” を唱えても隠し扉(シークレット・ドア)が見つからないんだから、望み薄だろうね」


 頑丈な煉瓦塀の内壁に隔てられた、侵入不可能な空白地帯(未踏破区域)

 入り口もないその内部を探索するには “転移(テレポート)” の呪文で飛ぶ必要があるのですが……。

 指定した座標が “紫衣の魔女(大魔女アンドリーナ)” の手によって迷宮化がなされていない地中のままだったとしたら、転移が完了して実体化した瞬間にそのパーティは消失(ロスト)してしまいます。

 そんな馬鹿な真似をする探索者はいません。

 ですから、迷宮の各所にある未だ探索者たちが足を踏み入れたことのない領域は、これからもずっと地図に記されないままでしょう。


「とにかく地下一階で探索可能な場所はすべて調べた。ギルドからの依頼は達成だ。報告に戻ろう」


 わたしたちが装備の修繕を終えて、迷宮の探索を再開してから三日。

 それは同時に、迷宮から魔物の姿が消えて三日が経ったことを意味します。

 迷宮の魔物に対する 強襲&強奪(ハック&スラッシュ)で日々の糧を得ている探索者にとってそれは即日廃業を意味しており、 特にわたしたちのような貧乏で蓄えのない日銭稼ぎ組には、 クリティカル・ヒットに等しい迷宮の手のひら返しでした。


 探索者ギルドがそんなわたしたちの窮状を救うために、臨時の “迷宮再調査” の依頼を出してくれたので、ひとまず路頭に迷うことだけは回避できたのですが……割り当てられた地下一階の探索が終わり、その依頼もこれで完了です。


「……迷宮から魔物がいなくなるのが、あたいらにとって一番の脅威ってどういうことよ」


 パーシャのぼやきに他の全員が、


(((((……まったくだ)))))


 と、心の底で心の底から同意しました。


◆◇◆


「それで、明日からどうするよ?」


 その日の夜。

 ギルドへの報告を終えたわたしたちが、“獅子の泉亭” のいつもの席で、いつものように(つま)しい夕食を摂っていたときでした。

 気のない風に麦粥(オートミール)の皿を掻き混ぜながら、ジグさんが重めの口火を切りました。


 ギルドから出た報酬で、あと一週間はどうにか食いつないで行くことはできそうです。

 逆に言えば、あと一週間しかわたしたちはご飯が食べられないということになります。

 当然寝る場所も簡易寝台から馬小屋へと、レベルドレインを受けています。


「取りあえず、“冒険者ギルド” に登録してみようとは思ってる。競争相手は凄いことになりそうだが」


 冒険者ギルドは、迷宮の外で活動する冒険者を支援するための民営の組合です。

 討伐・護衛・奪還・輸送・採取・採掘――ギルドを訪れた依頼人のあらゆる要望に応じた冒険者を斡旋・紹介し、両者の間を取り持つ互助組織。

 探索者の主たる収入源が迷宮での強襲&強奪(ハック&スラッシュ)であるのに対して、冒険者のそれは依頼を達成してギルドから受け取る報酬です。

 魔物相手の “切った張った” ばかりの探索者に比べて実入りは悪いようですが、その分危険も少なく、迷宮に挑む前にまずこちらで経験を積もうと考える人や、逆に探索者を辞めた人(または諦めた人)が所属することも多いようです。


「今ギルドに登録していて実際に迷宮に潜っている探索者は約二〇〇人ほど、パーティにすると三〇ほどが活動しています。その大部分が冒険者に鞍替えしたら、それはそうなるでしょうね」


 ここ最近、仕事が終わると毎晩酒場に寄るようになったハンナさんが、ラム酒(強いお酒です)の入ったグラスを弄びながらレットさんの言葉に頷きました。


「うへぇ……あたい、まさか “犬面の獣人(コボルド)” だの “オーク(ゴブリン)” だのが恋しくなるとは思わなかったよ」


 パーシャが顎を円卓につけて、まさしく “うへぇ……” といった顔でぼやきます。


「ギルドの方でもなんとか次の支援策を考えてはいるのですが、予算の関係もあって。追加の予算を願い出たくても今は王城の方が……」


「“戦争” の真っ最中ですものね。ほんと野蛮だわ」


 フェルさんが嫌悪感を隠さずに憤ってみせます。


「上帝陛下自らが戦場に発っているのですから……その支援が最優先で、むしろ迷宮から魔物がいなくなってお城ではホッとしているのではないでしょうか」


「……だとしたら、城の連中の頭は “ゴブリン” 以下だな」


 わたしの言葉に、エール酒をチビチビやりながら、カドモフさんがブスッと呟きました。

 王城の対応が腹立たしいのか、お金がなくて思う存分お酒を飲めないのが不満なのか……もちろん両方でしょう。


 ですが、カドモフさんの言うとおりです。

 これは明かな異常事態です。

 迷宮で何かが起こっている以上、いざという時に対応できるのは探索者と、それを支援する探索者ギルドだけです。

 今王城からの助けがなければ、酒場から探索者の姿が消えてしまいます。

 そうなってから迷宮にさらなる異変が起こっても、もう潜れる人間はいないのです。


「ハンナさん、探索者ギルドの方では今回の迷宮の異変について……」


「……」


「ハ、ハンナさん……?」


 ハンナさんはわたしの声が聞こえないどころか、他の人が “見てはいけない” 表情を浮かべて、“悪” の戒律の人たちが騒ぐ席を見つめています。

 視線の先には……。


◆◇◆


「アッシュ、はい、あ~んにゃ!」


「ひとりで食える」


「だめにゃ、ニャーが食べさてあげるにゃ。だから、あ~んにゃ!」


「そうそう、ニャーが食べさせてあげるにゃ。だから、あ~んにゃ!」


◆◇◆


 ノーラちゃんとドーラさんに挟まれて、左右から “あ~ん!” されているアッシュロードさんがいました。

 まるで仲の良い親子のようです……。

 その様子を見ていたハンナさんは、やにわにラム酒の入ったグラスをグググッと飲み干すと、


「ちょっと行ってきますね」


 と “他の人が見てはいけない笑顔” を浮かべて、アッシュロードさんたちの円卓へと見事なウォーキングで歩いていきました。

 これが……後に “火の七日間” と呼ばれ、わたしたち探索者を――そしてこの城塞都市に生活するすべての人々を震撼させる、大事件の幕開けだったのです。


◆◇◆


「――同席、よろしいですか?」


「あ、ハンナにゃ!」


「こんばんは、ノーラ」


「こんばんにゃ!」


「なんだい、お嬢。こっちは家族団らんの最中なんだ。邪魔するでないよ」


「団らん……? ()()の間違いじゃないですか? 保険屋同士の」


 ザワ、ザワ。


「もしそうだとするなら、これは探索者ギルドの職員として見逃せませんね。勤務時間外ですが、わたくしがここで、管理・監督・監視・説諭させていただきます」


「ほう、最近毎晩ここで目にするようになったと思ったら、どうやら男でもないくせに()()()()()ようじゃないか。結構なこったね」


「あらあら、相変わらずお下品ですね、()()()さん」


「……なんかふたりで話があるみたいだから、俺とノーラはあっちに……」


「ここにいな」「ここにいてください」


「……」


「こ、これはキャットファイトの匂いがするにゃ!」


◆◇◆


 いつしか、ザワついていた酒場の中が静まりかえり、フロアの全員が固唾を飲んでドーラさんとハンナさんの “話し合い” を見つめています。


「……おい、なんかヤバくないか」


「……そうだな。早々に引き上げた方がよさそうだ」


「……同感」


 ジグさん、レットさん、パーシャが荷物を持って立ち上がりました。


 そして、フェルさんは……。


 ガッ、と、パーシャの飲んでいたエール酒の陶杯をつかむと、大半が残っていたそれを()()()()と一気に飲み干して、プハーッと豪快に息を吐き、グイッと()()()()口元の泡を拭いました。


「――行ってくるわ」


「い、行ってくるって、あっちは “悪” の席だぞ……」


「なればこそよ。彼女たちがどうなろうと()()()()()()()()()けど、わたしには()()()を正しき道に導くという “使命” があるの。そのためにはこの身が引き裂かれようと後悔はないわ」


 そして、ズンズンズンズンと、聖戦の場へと向かいました。


「……信仰とは死ぬこととみつけたり。おお、工匠神よ。汝の髭にかけて、俺はドワーフの女以外は愛しません」


 その後ろ姿に、カドモフさんが祈りの言葉を呟きます。


◆◇◆



「お嬢、あんた随分とこの朴念仁にご執心のようだけど、栄えあるバレンタイン侯爵家のご令嬢たるあんたには、ち~っとみすぼらし過ぎやしないかい?」


「あらあら、城塞都市最強のマスターくノ一ともあろう方が、意外と見る目がないんですね。アッシュロードさんは磨けば最高級のアダマンタイトのように()()()()()()に輝く男性ですよ。ええ、それはもう()()()()()()に」


「けっ、何がアダマンタイトだい。そもそもあんたとは身分が違い過ぎるだろうが。それとも何かい。いわゆる “貴族にとって恋愛と結婚は別” ってやつかい? 随分とアッシュを馬鹿にした話じゃないか。おい、アッシュ、あんたアバンチュールの相手だってよ」


「……」


「だ、誰がそんなことを言いましたか! わたしはそんなカビの生えたような価値観なんて、アッシュロードさんの髪の毛の先のフケほども持っていません!」


「言うじゃないか。それじゃなにかい? あんた、そのご大層な身分を捨てて、この 朴念仁と駆け落ちでもしようっていうのかい?」


「わたしは、バレンタインの家名を捨てるつもりはありません」


「へっ、それじゃどうやってこいつと “添い遂げる” っていうのさ。まさか愛人にして別宅にでも囲うつもりかい?」


「ドーラさん。あなた、なにか大切なことを忘れていませんか?」


「大切なこと?」


「アッシュロードさんは、この “大アカシニア神聖統一帝国” の統治者である上帝アカシニアス・トレバーン陛下の “筆頭近衛騎士” なんですよ。言うなれば今のこの帝国で最も陛下から評価されている人なんです。まさしく我が バレンタイン家 にこそ相応しい男性ですわ」


「本当に言うようになったじゃないか、お嬢。あたしゃ嬉しいよ」


 シャーッ!


「どうやら、積年の決着をつける時が来たようですね」


 フーッ!


「い、いよいよ、本当のキャットファイトにゃ!」


「……(部屋に戻りてえ)」


「――さっきから聞いていれば、愛人だの囲うだの、まったく耳が穢れるわ。あなたたちも女性ならもっと慎みを持つべきよ」


「な、なんだい。今度はエルフのお嬢かい。ここは “悪” の席だよ。あんたが来ていいところじゃないよ」


「そ、そうです、フェルさん。“善” の皆さんが見てますよ」


()()()()()()()()()()


((……))


((……言い切っちゃったわ、この娘。仮にも僧侶(プリーステス)なのに……))


「わたしには()()()を再び正しき “善” なる道に連れ戻すという崇高な使命があるの。それに比べれば人々の不理解の視線など()()()()()()()()()()


「ちょほいとお待ち! 正しき “善”ってのはなんだい、正しき “善” ってのは! それじゃなにかい、今のアッシュが間違っているっていうのかい!?」


「誰がそんなことを言ったかしら! ()()()はいつだって間違ってなどいないわ! “善” の戒律に戻るということは()()()()()()()()()()()()()()()!」


「ちょっと待ってください、フェルさん! だいたいなんであなたはいつもアッシュロードさんをファーストネームで呼んでいるんですか! いくら命を助けられたからといって馴れ馴れしすぎやしませんか!?」


()()()()()()よ! わたしにとってそれ以上であってそれ以上なの!」


「頭の先から尻尾の先まで、まったく意味が分かりません!!!」


◆◇◆


「……駄目だよ、あれは。もう手が着けられない。大火事だ」


 パーシャがこのところ患っている顔面神経痛を再発させて後ずさりしました。


「……焼け死ぬ前に逃げよう。急がないとあたいたちも巻き添えだよ」


「仕方ありませんね。ちょっと行ってきます」


 わたしは口元を清潔なハンカチーフで拭うと、やれやれ困った人たちですね――と立ち上がりました。


「はぁ!? なにいってんの! あんたまで行ったら、大火事どころか山火事になっちゃうでしょ! 報告会の時のこと忘れたの! 駄目! 絶対に駄目!」


「パーシャ、大火事に巻き込まれた時に生き残りたいなら、取る手はひとつよ」


「な、なによ」


「自分でもっと大きな火を起こすの。そうすれば燃えさかる劫火が強い風を起こして、向かってくる炎を押し返してくれるわ」


 わたしは自信を持ってそういうと、火災の鎮火に向かいました。


「……自分が起こした炎に焼かれるって考えはないわけ?」


◆◇◆


「女神さまの名前を出すのは卑怯じゃないかしら――今は女同士腹を割って話を()()()()()ところなんですよ!」


「そうさ! だいたい “女の匂い” をプンプンさせて女神も何もないもんだ!」


「いえ、わたしが帰依する “ニルダニス” は慈母なる女神! そもそもが女性なの! あなた方の批判は的外れよ!」


「産めよ、増えよ、地に満ちよ――ですね」


「「「エバ(さん)!」」」


「はい、エバです」


(((なんでこの娘まで来るのよ!)))


「エ、エバさん、ごめんなさい。今は少し立て込んでるの。関係のない人はちょっと席を外していてもらえないかしら……」


「そ、そうだね。空気を読むことは大事さね」


「不本意ながらふたりに同意するわ。エバ、あなたは席に戻っていて」


「? 関係ですか? 関係ならありますよ」


「「「どんな関係っ!!!!!!!」」」


「それは」


「「「そ、それは(……ゴクッ)!!?」」」


「それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 その瞬間、わたしはアッシュロードさんの小脇に()()()()()()()、酒場の外へと一目散に連れ去られました。


 おー、速い速い。

 凄い速さです。

 これが噂に聞く “トンズラ” というジョブスキルでしょうか?


 アッシュロードさんは脇目もふらず、キキッ、キキッと宿屋の角を直角に二度曲がって、裏手の馬小屋にわたしを連れ込みました。

 そして人差し指を突き付け、物凄まじい形相で――。


「――おまえ(You)!!!!」


はい(Yes)?」


「――おまえ(You)!!!!」


「だから、はい(Yes)?」


「今のは・いったい・な・ん・な・ん・だーーーーーっ!!!!!」


 アッシュロードさん、そんなに青筋を立てると脳味噌の血管が切れちゃいますよ?


「ああ、あれですか。あれはアッシュロードさんの真似です」


「はぁああ!!!!!??????」


「アッシュロードさんが困っていたようなので、先日トレバーン陛下に無礼を働いたときに助けてもらったお礼も兼ねて、僭越ながら助け船を出させていただきました」


「だから、はぁああ!!!!!??????」


「つまりですね、『わたしがアッシュロードさんの奥さん “的ポジションで、この人のお世話をしたいと常々兼々思っているのですが、今はただそう思ってるだけの被保険者で、でもそのうち借金を返せなくなったら晴れて借金奴隷になれるので、その時には思う存分お世話ができると今から胸がわくわくドキドキしている女” だからです』――の、胴体を()()()()()()言っただけです」


 えっへん。

 どうです? アッシュロードさんほどではないですけど、なかなかの()()()()()ぶりですよね。


「……Orz」


「? あれ、どうなされました?」


「……お、俺は今、おまえと保険契約を結んだことを、これほど後悔したことはない……」


「? そこは “感謝したことはない” の間違いでは?」


「――おまえ(You)!!!!」


はい(Yes)?」


「――おまえ(You)!!!!」


「だから、はい(Yes)?」


 真っ赤な顔で再度指を突き付け、さらに何かを言い掛けたとき、アッシュロードさんの表情が不意に改まりました。


「? アッシュロードさん?」


「……」


 どこか耳を澄ますような顔で周囲を見渡し、掌で “待て” とわたしを制します。


「「「見つけたぁ!!!!!!」」」


「「「こんな所にふたりしてしけ込んで、いったい何してるのよ!!!」」」


 大火が追い掛けて来ましたが、その時にはわたしもアッシュロードさんと同じ表情になっていました。


「静かにしてください! もうわたしにも聞こえますよ!」


 それは、激しくも規則正しく打ち鳴らされる “金鼓” の音でした。

 三打ち。三打ち。三流れ。

 三三七拍子に似ていますが、違います。


 カンカンカンッ! カンカンカンッ! カンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンッ――。


 カンカンカンッ! カンカンカンッ! カンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンッ――。


 カンカンカンッ! カンカンカンッ! カンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンッ――。


 これは、訓練場で何度も教わった――。


「ア、アッシュロードさん、これってもしかして……」


「ああ……迷宮から()()()()()()()合図だ」



次回 『魔軍襲来』

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― 新着の感想 ―
[一言] 相変わらず良く燃えますねぇ。毎回火力も上がっているし、次回の開催が楽しみです。
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