現在の六人
ハンナさんから探索者ギルドの非公式の厳重注意を受けた、その夜……。
わたしは “獅子の泉亭” の四階にいました。
視線の先には402と彫金文字が刻まれた真鍮のプレートのついたドア。
先ほどから、わたしはそのドアをノックしかけては思い止まり、ノックしかけては躊躇して……立ち尽くしています。
多分……今日。今夜中に、わたしの中のこの気持ちに整理を、区切りを着けなければいけない。
明日の朝まで引きずってはいけない。
そう思ってここまで来たのですが……。
昼間、フェルさんに “入り慣れている” と嘯いたくせに、いざとなったらご覧の有様です……。
(臆病者……根性なし……内弁慶……)
(鈍感……敏感……意識低すぎの……意識し過ぎの……)
(ハイカラ野郎の……ペテン師の……イカサマ師の、猫被りの、香具師の! モモンガーの! 岡っ引きの! わんわん鳴けば犬も同然な奴!)
コンコンッ!
自虐しているうちに、なぜか途中からそれが “近頃東京(江戸)から赴任した生意気なる某” の啖呵に変わってしまったわたしは、その名文の勢いそのままに、目の前の高級品質のドアをノックしました。
『……誰だ?』
すぐに反応がありました。
「わ、わたしです! ライスライト! ――です!」
当然のようにひっくり返ってしまった声で名乗ります。
ガチャッ、
「……どうした?」
高級感の漂う重いドアが開いて、アッシュロードさんが顔を出しました。
いつもなら、この時間は漂っているお酒の匂いがしません。
「あ、あの、これ、今日の “夜まんま” です!」
左手に提げていた籐製のバスケットを、アッシュロードさんの鼻先に突き付けます。
「半熟ゆで卵とフィッシュ&チップス! お魚はノーラちゃんに!」
「……そうか。いつも悪いな」
「い、いえ!」
ドギマギドギマギッ、
ああ、駄目です! どうしても意識してしまいます!
アッシュロードさんの昼間の “あの言葉” が耳朶の奥でリフレインしてしまって!
アッシュロードさん! わたし――わたし――!
と、その時……入り口に立つアッシュロードさんの奥に、客間のベッドで眠るノーラちゃんの姿が見えました。
(……あ)
シーツにくるまり “猫” のように丸まって眠るその姿を見て、わたしの中で波立っていた感情が正しく冷静さを取り戻しました。
毎晩の習慣となっているお酒も飲まず、夕食も摂らず、この人は怯えたノーラちゃんが眠りに落ちるまで側に付き添っていたのです。
それに比べて、わたしは何を浮ついていたのでしょう。
ハンナさんからも注意されたばかりではありませんか。
「……どうですか、ノーラちゃんの様子は?」
「だいぶ怯えていたが、さっきようやく眠った。子供ってのは強いからな。ぐっすり眠れば大丈夫だろう」
「そうですか……よかった」
「助かった」
「……え?」
「おまえが洗濯してくれたシーツがなけりゃ、あいつが包まる蒲団がなかった」
「いえ……でもお役に立ててよかったです」
「その……入るか?」
アッシュロードさんが、なんとも表現の難しい顔で入室を勧めてくれました。
困ったような、切ないような、恥ずかしがっているような、鈍い痛みをこらえているような……そんな表情。
「今夜は、ここで」
わたしは穏やかに顔を横に振りました。
波立っていた心は静まり、今はもうその必要はないと思ったからです。
「ライスライト……昼間、俺がトレバーンに言ったことは……」
そんなわたしに、アッシュロードさんは逸らしがちな伏し目がちな視線で言葉を絞り出しました。
「『そうっすね。俺の “保険の契約者で、ペーペーで金もないくせしてしこたま金を借りやがったんで、返せなかったら借金奴隷にして娼館に叩き売るつもりの” 女です』」
「……え?」
「これの胴を取っ払って、頭と尻尾だけを言ったんですよね」
わたしはやっといつもと変わらない、普段どおりの笑顔を浮かべることが出来ました。
「あ……。あ、ああ」
報告会での自分の言葉にようやく思い当たったアッシュロードさんが、戸惑いながら頷きました。
「そ、そうだ。俺が言いたかったのはそういうことだ」
「ええ、わかってます――それじゃ、わたしはこれで」
ペコリと頭を下げると、わたしは自分が寝泊まりしている簡易寝台に向かうために階段に向かいました。
「――ライスライト」
その背中を、アッシュロードさんが呼び止めました。
「? はい?」
「あ、いや……その………………おやすみ……」
ボサボサ頭を掻いて、わたしを見送ってくれるアッシュロードさん。
「はい……おやすみなさい」
それはドアをノックしたときに思い描いていた結末ではありませんでした。
でも、わたしは充分に満たされていました。
わたしはその夜、少しずつですが大人になれている……そんな気持ちで眠りに就くことができました。
◆◇◆
「単刀直入に言う。金がない」
翌朝。
起床後、宿の裏の水道で洗顔をすませて、酒場のいつもの円卓に着いたわたしたちに、レットさんが単刀直入に言いました。
「「「「「……」」」」」
「……朝から不景気な話をありがとう」
と、不景気な顔でパーシャ。
「……ま、いつもの事だわな」
と、これまた不景気な顔でジグさん。
「……ほんと、単刀直入ね」
と、これまたまた不景気な顔でフェルさん。
「……ふんっ」
と、いつもと同じ不機嫌そうな顔のカドモフさん。
「えーと……あはは、そろそろ潜りますか?」
と、ライスライトこと、わたし。
「ああ、朝食を済ませたら “ボルザッグ” で装備を引き取り次第潜る」
件の “スタンド・バイ・ミー” 事件で、わたしたちの実入りはほぼゼロでした。
迷宮で分断されてからは地上への帰還が最優先で、魔物と遭遇しても気づかれていなければスルー。戦闘になったとしても生き延びることが最優先で、倒した敵からお金を回収している余裕なんてなかったのです。
その上、わたしたちは、フェルさんの戦棍 。カドモフさんの盾。そしてわたしの鎖帷子と、またしても複数の装備を失ってしまいました。
無事だった装備も大なり小なりどこか破損していて修繕が必要な上に、解毒薬の 水薬もすべて使ってしまい、二階以降に潜るならこれも補充しなければなりません。
「ま、まあ、わたしたちはまだ良い方ですよ。アッシュロードさんは愛剣を二本とも折ってしまったうえに、大切な地図まで燃やされてしまいましたし。ドーラさんに至っては石化した右腕の治療費に加えて、貴重な “転移の冠” まで使ってしまったみたいですし。それに比べれば……」
“迷宮の地図”は、探索者ギルドで買えば迷宮金貨一万枚。10,000 D.G.P.
“転移の冠” に至っては、25,000 D.G.P. です。
「あのふたりは元から金持ちでしょ。おっちゃんの剣なんて、熟練者 なのに中古の数打ち品じゃない」
「ま、まあ、それは……」
稼いだお金はみんな飲んじゃいますしね、あの人。
「「……はぁ」」
なぜかそこで、フェルさんと溜め息がユニゾンしてしまいました。
「「……あははは……」」
乾いた笑いまで、ユニゾンです。
「とにかく急いで食べてくれ。今はとにかく金を稼ぎたい」
相変わらず、飾らない分だけ痛いほど突き刺さるレットさんの言葉です。
わたしたちは、再びプレーンになってしまった麦粥を掻き込みました。
売れない漫画家に、“水とコッペパン”
デビューを夢見るミュージシャンに、“マヨネーズライス”
そして貧乏な駆け出し探索者には、“何も載ってない麦粥” ――です。
◆◇◆
それからわたしたちは、質素な朝食もそこそこに “ボルザッグ商店” に向かいました。
店に入ると来店の理由を伝えて、レットさんやジグさんが修繕を頼んでいた武具を受け取りました。
具合を確かめて、問題がないようならその場で装備していきます。
わたしは前回修繕を依頼しにきた際に新しい鎖帷子(これで三着目です……トホホです)を購入していたので、すでに武具の装着はすんでいます。
ですので、皆さんの準備が整うまで店内に並べられている武器や防具を見て回っていました。
陳列棚を回るうちに、なんとなく足が戦棍や連接混などの聖職者が主に使う武器ではなく、前衛が扱う刀剣が並べられている棚の前で止まりました。
魔法による強化の施されていない通常品から、視線が自然と “魔剣” の類へと移ります。
わたしたちパーティの当面の目標となっている “噛みつくもの” という、+1の魔法の短剣があります。
その横に、寄り細身のエペという形のやはり魔法の短剣が並べられています。これは+2の強化が施されているようです。
「……あれ?」
わたしは二本の魔剣を見比べて、おかしなことに気がつきました。
「どうしたの?」
耳の良いフェルさんが、わたしの怪訝な声を聞きつけて側に来ました。
フェルさんも先日来店したときに新しい戦棍の購入を終えていて、今は手持ち無沙汰なのです。
「この魔剣の値札ですけど、間違ってませんか?」
+1の方が 15,000 D.G.P.
+2の方が 4,000 D.G.P.
です。
性能の良い方が安いなんて、変ですよね?
「ああ、それね。わたしも初めて見たときは戸惑ったわ。でもそれでいいのよ」
「???」
「ボルザッグさん流の探索者支援策なのよ。+1の方が迷宮の浅い階層で見つかるでしょ。だから先にそれを見つけられれば、すぐにより強い魔剣に買い換えられるわけ」
「ああー」
思わず、ポンと拳で掌を打ってしまいました。
「あ、でもそれだと、+1の方が売れなくなっちゃうんじゃありませんか? 安い+2の方を買って転売で儲けようとする人もいるかもしれませんし……」
テンバイヤー、滅消!
「+2の方は探索者以外の人が買おうとすると値段が跳ね上がるのよ。確か30,000 D.G.P. だったかしら。転売の方は売る方はともかく買う商人がいるのかしら? このアカシニアでボルザッグ商店に喧嘩を売る真似になるのよ?」
た、確かに……。
あのトレバーン陛下を見出して、惜しみない金銭的援助で至高の地位まで上り詰めさせたのがボルザッグさんです。
“紫衣の魔女 “ が陛下の右腕なら、ある意味左腕だったともいえる人。
迷宮から持ち帰られる品の独占取引権を陛下から認められているのですから、その権利を侵すような商人がこの国にいるとも思えません。
「……でも」
フェルさんが芝居めかして、表情と声を潜めました。
「……ここだけの話、”密輸出” とか、かなり危ない橋を渡れば大儲けできるみたいなんだけど。あなた、挑戦してみる?」
「ま、まっぴらごめんです」
ブルブルと顔を振って、悪魔の囁きを拒否します。
トレバーン陛下とボルザッグさんの二人を敵に回すなんて、そんな大それた真似、考えただけで消失 してしまいます。
「賢明だわ」
フェルさんが再び、いつもの女性らしい柔らかな笑顔に戻って微笑みました。
そして、わたしたちは並んで陳列棚の魔剣を眺めます。
長剣の方もやはり+1の方が、+2の物よりも高い値札が付いています。
“切り裂くもの” が 10,000 D.G.P.
“真っ二つにするもの” が 4,000 D.G.P. です。
(それにしても物騒なネーミングです)
+2の長剣が、4,000 D.G.P. ……。
「「……これ、買ってあげたいな(わ)……」」
ポツリと漏らしたわたしとフェルさんの呟きが、見事にハモります。
「な、なんだか、今日は息がピッタリですね。わたしたち」
「そ、そうね。この調子で迷宮でも頑張りましょう」
「が、合点承知の助です」
「「……おほほほほ」」
「待たせたな――? どうした、二人とも」
「「な、なんでもありません!」」
準備を終えたレットさんに、最初の 倍掛けが炸裂しました。
◆◇◆
ですが、わたしとフェルさんの加護の “倍掛け” はついぞ迷宮では炸裂しませんでした。
なぜなら、迷宮から魔物の姿が一匹残らず消えてしまっていたからです。







