トレバーン出陣
狂気の大君主 “アカシニアス・トレバーン” が支配する “大アカシニア神聖統一帝国” は、男神と女神の生みし魔法世界 “アカシニア” 最大の大陸である “ルタリウス大陸” のほぼ中央部に位置している。
そこは温暖な気候と、大河 “シルバーラサ”をはじめとする幾多の河川に恵まれた広大肥沃な平野部で、農耕に適しており、多くの人口を養うにたる武養文興を約束されたまさに天府の地であった。
しかし、それ故に常に外敵の侵略に晒される宿命も抱えていた。
ルタリウス大陸の中央部に群立していた大小三〇以上の国々は、もっとも歴史のある “アカシニア公国” を盟主として “アカシニア協商連合”を結び、四方の外敵――すなわち、“北狄” “東夷” “南蛮”、そして西方の魔道大国 “リーンガミル” の脅威に対抗していた。
外縁部の国々を徐々に侵食され、危機感が高まっていた大陸中央諸国の状況を一変させたのが、トレバーンの登場である。
彼は貧乏貴族の末端も末端、アカシニア公国の地方領主に仕える下級騎士の息子として生を受けた。
彼の父親はトレバーンの類い希なる才能に早くから気づき、幼き頃より自分が唯一息子に与えることが出来る剣の技を仕込み続けた。
そして、彼を公都の幼年学校・士官学校に入学させるためにあちこちから借金をし、最後には債権奴隷(通称:借金奴隷)の身に堕ちた。
彼は奴隷の息子と蔑まれながら、一四才で幼年学校を、一六才で士官学校をそれぞれ開校以来最高という抜群の成績で首席卒業し、すぐさま蛮族討伐の任務に就いた。
トレバーンは北に南に東に西に、文字どおり東奔西走・南船北馬し武勲を挙げ軍功を重ね、瞬く間に救国の英雄として国民から熱狂的な支持を集めるに至った。
さらには宮中に自分の存在を危険視する気配が漂うのを察知するや否や、若き救国の将軍は自らの部隊を率いて王城に乱入。電光石火でクーデターを成功させ、“大アカシニア神聖統一帝国” の樹立を宣言、帝位に就き、初代皇帝を名乗った。
軍事の天才にして、文治の鬼才。
さらにはそのかたわらに影のように寄り添う、紫の法衣をまとった “魔女” の存在。
強大な古代魔法を操り、天才トレバーンの右腕として彼の軍師をも務める絶世の美女にして、愛妾。
ふたりの若き天才の前には旧態依然とした公国の貴族社会など、幼年学校初等で受ける馬術教育のもっとも簡単な障害にも及ばなかった。
下剋上を成功させたトレバーンは、間髪入れずゆるやかな協商関係であったアカシニア協商連合をより堅固な軍事同盟へと強化し、自分に付き従う国とそうでない国を判別。
付き従う国を譜代貴族として帝国に組み込み、それ以外の国々は容赦なく攻め滅ぼし次々に併合した。
わずか五年でルタリウス大陸中央部の統一に成功したトレバーンは、片腕である魔女の献言を容れて、四方に通じる軍事専用道路 “覇王の道” を整備した。
それと並行して、東西南北の国境にそれぞれ防衛の要衝となる四つの軍事要塞を建設。
妨害に現れる敵軍は自らが率いる軍勢と、魔女の強大極まる古代魔法で蹴散らし、短期間でこれを完成させた。
すなわち、
“東の盾”
“西の剣”
“南の鎧”
“北の兜”
四大城塞である。
トレバーンは、この四つの城塞にそれぞれ必要最小限の “抑えの兵力” だけを置き、配下の信用できる有能な将軍に守備を任せた。
そして有事の際には、帝都である城塞都市 “大アカシニア” に駐屯する自らが直轄指揮する中央機動軍を “覇王の道” を使い集中的・機動的に運用することで外敵に痛撃を与え撃退した。
必然的にトレバーンの帝国は強力な中央集権国家となり、家臣を召し上げられたかつての大小の国々――今や帝国の地方貴族に成り下がった――の力は大幅に削がれ、反乱は激減。現在では皆無となった。
戦場では、常勝不敗の生ける武神。
苛烈ではあるが、合理主義の権化であるが故に、多くの者が納得せざるを得ない公平な治世。
そんな、すでに久しく盤石と思われていた上帝トレバーンの帝国が、久方ぶりに外敵の侵略を許したのである。
サンフォレスト・タグマン辺境伯爵の居城が、南の蛮族たちによって一夜のうちに占拠されたのだ。
タグマン城は、“南の鎧城塞” とその後方の地方都市 “ルダカス” をやくす位置にある。
ルダカスは “南の鎧城塞” の物資集積場を兼ねる都市であり、この街が危機に瀕すれば “南の鎧城塞” への糧道が断たれることになる。
さらにはタグマン城の陥落に呼応して南蛮の軍勢約一〇万が、“南の鎧城塞” の前面に現れた。
しかし、解せぬ事ではあった。
全盛期はともかく現在のタグマン城はタグマン伯と小数の家臣だけの城だが、国境に近いこともあり、敵襲の際は狼煙を合図にルダカスに駐屯する守備隊が援軍に駆け付ける手はずであった。
タグマン城自体は小数の兵でも落とせる城だが、あの城は大軍を入れてこそ軍事的な意味を持つ。
大軍が “南の鎧 城塞” の補給拠点であるルダカスに睨みを効かすからこそ、トレバーン軍の脅威となるのだ。
一〇〇や二〇〇の兵では “南の鎧城塞” の守備兵どころか、ルダカスの駐屯兵にも敵し得ない。
ルダカスに駐屯する守備隊だけでも二〇〇〇はいる。
そしてタグマン城に大軍を入れるには、”南の鎧城塞” を抜く必要があるのだ。
小数の兵ではルダカスから “南の鎧城塞” への補給線を脅かし奔命に疲れさせる前に、大軍によって包囲殲滅されるのがオチだ。
南方の蛮族はタグマン城を落としたものの、敵中に孤立したのも同じだった。
城を捨て周辺の山野に潜伏し、山賊や野盗まがいの “後方攪乱” 戦術を採るにしても、今度は自分たちの数が多すぎる。
この世界のこの時代、一〇〇、二〇〇という兵力は現地調達で自給自足をするには過大なのだ。
よほど有能な指揮官が率いない限りは、蠢動することは敵わなかった。
もちろんトレバーンは、自分の土地を侵した小癪な敵に、そんな暇など与えない。
『南蛮軍 “南の鎧城塞” に大挙して襲来』の一報を受けるや、上帝直轄の機動軍に出陣を命じた。
“常在戦場” とは寝るときも鎧を脱がない彼のためにある言葉だった。
実際、トレバーンは飢えていたのだ。
ここしばらく戦の臭いを嗅いでいない。
彼は獰猛な顔つきで玉座から降り、血湧き肉躍る懐かしの戦場に向かった。
◆◇◆
ブウォオオオオオォォォォォォォォォオンンンンンッッ!!!
そのお腹の底に響く、低く野太い角笛の音は、“獅子の泉亭” の頑丈な石造りの壁を越えて、この城塞都市の中央区画から響き渡ってきました。
「“王城の角笛” だ! トレバーンの出陣だ!」
パーシャが円卓に手をついて、ガタッと洋樽の上に立ち上がりました。
つい今し方(ほんの数分前に) “タグマン城 陥落” の知らせを受けてザワついていた酒場の中が、今度こそ本当に騒然としました。
「速い。さすがだよ、この陣触れの速さ。“兵は神速を貴ぶ” んだ。あの男が常勝不敗の名将と呼ばれるだけあるよ」
親指の爪を噛みながら、パーシャが恐い顔で感嘆します。
パーシャは魔術だけでなく、パーティの頭脳としていわゆる兵法の勉強もしているのです。
「にゃ~、にゃ、にゃ、にゃ~」
ノーラちゃんもソワソワと落ち着きがありません。
「どうしたの? お砂場?」
「違うにゃ! み、見たいにゃ……常勝にして不敗の狂気の大君主、上帝トレバーンの出陣……猫の血が騒ぐにゃ!」
……えーっ?
猫ってこういう騒がしいのは嫌いなイメージがあるのですが……。
これは猫というより母の血が騒いでいるのではないでしょうか?
あの人こういうことを “お祭り” って言ってましたし……。
「よし、行こう! あたいも前からトレバーンの姿は見てみたかったんだ! この機会を見逃す手はないよ!」
「行くにゃ~!」
どうも “小さな人” たちは行く気満々なようです。
「フェルさんは?」
わたしはわたしと同じ、もうひとりの “大きな人” に訊ねました。
「……」
フェルさんは、見るのも嫌といった表情で顔を横に振ります。
あはは……これはまぁ、当然でしょうね。
平和を愛するエルフ。
それも “善”の戒律に従う僧侶のフェルさんです。自身の性格からしても、“狂王の出陣” などという凶事には関わりたくも近づきたくもないのでしょう。
わたしはといえば、フェルさんに近い思いなのですが……今にも酒場の外に向かって駈け出していってしまいそうなノーラちゃんを放っておくわけにもいかず……。
「わかりました。上帝陛下の出陣をお見送りにいきましょう。ただし、勝手に動いては駄目ですよ。“迷子の迷子の子猫ちゃん” にはなりたくないでしょ?」
「了解にゃ!」
ノーラちゃんはどこで覚えたのか、小さな掌を顔の横に掲げて “英国風” の敬礼を返しました。
ほんと、どこで覚えたのでしょうか???
「それじゃ、行きましょうか」
――と、その前に。
今回正式にドーラさんから子守を頼まれているアッシュロードさんに一言お断りを……。
「あれ?」
「どうしたんにゃ?」
「アッシュロードさんがいません……」
「アッシュドーロ?」
つい先ほどまで、“悪” の領分のいつもの円卓で、いつものゆで卵をおでこで割っていたのに。
「ほんとにゃ、いないにゃ」
「どこに行ったのかしら?」
フェルさんも怪訝な顔をしています。
「おっちゃんなんて放っておいてはやく行こうよ!」
「え、ええ。それじゃ、行きましょう」
(いないのなら仕方ありませんよね)
わたしたちは香草茶のお代わりを頼むフェルさんを円卓に残して、酒場を後にしました。
◆◇◆
わたしはノーラちゃんとパーシャと連れだって、“獅子の泉亭” のある冒険者街から一区画東の都大路に出ました。
中央区画にある王城 “レッドパレス”を囲む内郭の城門から、城塞都市の南にある外郭城門までを一直線に貫く、幅が二〇〇メートルにもわたる大通りです。
大路にはすでに “上帝陛下出陣” 噂を聞きつけた沢山の人集りが出来ていて、中央部の一〇〇メートルの軍事専用道路 “覇王の道” ギリギリまで見物人で溢れていました。
わたしは、
「ごめんなさい」
「すみません」
「ちょっと通してください」
などを連発して、なんとか最前列に出ることに成功しました。
だってそうしなければ、“小さな身体” を存分に活かしてスイスイと前に行ってしまうふたりに追いつけなかったのです。
(危なくノーラちゃんの手を離して、はぐれてしまうところでした)
待つことはありませんでした。
わたしたちが最前列に並ぶなり、カッ、カッ、カッ、カッ! という蹄の音が、内郭城門より徐々に、そして高らかに響いてきました。
その音は瞬く間に大きくなり、土煙を上げて行軍する大騎馬隊の姿となって現れました。
パーシャの言うとおりです。
この短時間でこれだけの軍勢を一糸乱れずに出陣させるには、普段からどれだけ訓練し、どれだけその威命を配下に刻み込んでいるのでしょう。
直後に、それを成し遂げた人物の姿が見えてきました。
先頭で馬を常歩……いえ、速歩で進める、真紅の板金鎧に身を包んだひとりの偉丈夫。
まるで恐竜のような巨大で凶暴そうな漆黒の駿馬に跨がり、その強い黒色の総髪と彫りの深い容貌は、まるで獅子の如し。
猛禽のような鋭い眼光は、強靱な意志で周囲を圧しながらまっすぐに前方の空間を貫き、微動だにせず。
(……あれが狂気の大君主 “上帝トレバーン”)
わたしは息を飲みました。
これまでにもわたしは、地下迷宮で怖ろしい “緑竜” の巨躯を目の当たりにしました。
悲運に見舞われ、闇に呑まれた哀しい君主の凶悪な力に身を竦ませました。
しかし “上帝トレバーン” から受けた圧力は、そのどれとも違い、そのどれよりも圧倒的でした。
息が止まりそうなほどの圧倒的なまでの人間の圧力。
(こ、こんな人がこの世界にいるなんて……)
わたしはその時まで、守ってはいたのです。
お母さんに言われたことを。
“小さい子と一緒に人混みいるときは、絶対に手を離しちゃ駄目よ”
本当に守っていたのです。
でも、その瞬間……トレバーン陛下の放つ気配に圧倒されてしまったわたしは、離してしまったのです、ノーラちゃんの小さな……本当に小さな手を。
そして、不運は重なります。
これは後になって知ったことですが、猫人は幼ければ幼いほど猫としての本能が強く残っているのだそうです。
だから、ノーラちゃんが目の前の “覇王の道” に偶然舞い降りてしまった雲雀を咄嗟に追ってしまったとしても、誰が責められるでしょうか。
責められるべきは、彼女ではなくわたしです。
彼女の手を離してしまったわたしなのです。
湧き起こる悲鳴。
行軍の列は乱れ、激怒した近侍の騎士が抜剣し、トレバーン陛下の馬前で硬直してしまった幼い猫人 と、彼女を庇うわたしに向けて振り上げました。
わたしはノーラちゃんを強く抱き締め、背中を騎士に向けました。
目をつぶり、歯を噛みしめ、斬撃の衝撃と訪れる死に備えます。
一秒……二秒……。
衝撃も、痛みも、死も訪れず、その代わりに誰かの影が日射しを遮る気配に、わたしは恐る恐る顔を上げました。
斑に汚れた濃色の外套をまとった猫背が、そこにありました。
次回 アッシュロード v.s. トレバーン







