死ぬことが救いだなんて思いたくないから
わたしはアッシュロードさんと “線画の迷宮”を 東に進んでいます。
迷宮の外壁を右手に見ならが七区画。
迷宮の入り口から、“東に7、北に0” 。 それがわたしたちパーティが全滅した座標です。
一区画分の回廊の長さは約一〇メートルほどで、距離にしてたったの七〇メートル。
ですが暗闇だからでしょうか?
その七〇メートルがどういうわけかとても遠いのです……。
「はぁ……はぁ……」
「迷宮の中は空間が歪んでると言われてる。マップ上では一区画しかない玄室に巨大な “火竜” が何匹も巣くっていて平然とのし歩いてるなんてのはザラだ」
肩で息をするわたしを気遣ってくれたのか、アッシュロードさんが立ち止まってくれました。
「空間が歪んでるってことは時間も歪んでるってことだ。だから一日迷宮に潜って出てみたら外では三日経ってたなんてことが頻繁に起こる」
「時空……という概念ですね」
時間と空間は不可分という物理学上の概念です。
たとえば誰かと待ち合わせをする場合、場所だけでなく時間も指定しないと永遠に会うことができない……みたいな。
「よく知ってるな。こっちの世界では魔術師か司教でもなければ理解できない理論なんだが。さすが転移者ってわけか」
暗闇の中でアッシュロードさんが初めて感心してくれました。
「そういうのが好きな幼馴染みがいたんです……その彼がよく話をしてくれて」
彼は……今どうしてるのかな。
同じ教室で、同じ転移現象に巻き込まれたはずなのに。
この世界で気がついたときには、他のほとんどのクラスメートと同じように姿が見えなかった。
やっぱり、この世界に来ているのかな。
それとも元の世界に残れたのかな。
どうか無事でいてほしい……。
「……どうやら時空の歪みが解消されたらしい」
その時、アッシュロードさんが回廊の奥の闇に向き直りました。
直後に漂う、むっとした鉄錆の臭い。
血液中の鉄分が大気中の酸素と結合した酸化鉄……文字通り鉄錆の臭い。
全滅座標 “Nに0、Eに7” にようやくたどり着けたようです。
わたしは借り物の杖をギュッと握りしめ、込み上げてくる嘔吐感にたえました。
友だちの血の臭いで吐くなんて、そんなことは許されません。
大丈夫。
わたしは女です。“血” にはなれています。
だから大丈夫。
大丈夫。
「そこにいろ。周囲の警戒を怠るな」
アッシュロードさんのシルエットが背嚢から何かを取り出しています。
乾燥した衣擦れの音からして、入り口の詰所で受け取った大きな麻袋でしょう。
それを広げて、みんなの遺体を中に……。
ひとつ、またひとつと並べられていく、人間大に膨らんだ袋……。
ああ、そうか……。
そうだったんだ……。
だからアッシュロードさんは『今回はいい』って言ってくれたんだ……。
明かりが点っていたら見てしまいますものね……。
見えてしまいますものね……。
友だちの無残な……。
そう思った途端に、涙があとからあとから止めどなく溢れてきました。
警戒しなくちゃいけないのに。
まわりを見張らなくちゃいけないのに。
涙が止まらなくて、どうしようもなく止まらなくて。
今まで零れなかった分が一気に噴き出してきて。
「……大門くんっ……来栖くんっ……瀬田くんっ……江戸川くんっ……林田……!」
ごめんなさいっ! ごめんなさいっ!
ごめんなさいっ!!!
・
・
・
「すみませんでした……もう大丈夫です」
わたしは真っ赤に泣き腫らした目と、すすり上げすぎてヒリヒリする鼻で、アッシュロードさんに謝りました。
アッシュロードさんは危険な迷宮の中で、泣きじゃくるわたしが落ち着くまでまっていてくれたのです。
「玄室を出た直後に襲われたか」
「…………はい」
「玄室に入るときは誰でも警戒する。だが出るときは違う。戦闘に勝利した直後でどうしても気が弛んでる。傷を負い、呪文や加護も減ってる。新米なら特にな。そこを襲う。奴らの常套手段だ」
「……奴ら」
「ああ、駆け出し探索者の天敵―― “初心者狩り”だ」
“ハイウェイマン”
“ブッシュワッカー”
“ローグ”
そういったならず者たちが、まだ未熟で自分たちよりも腕の劣る新米の探索者たちを狙って迷宮に入り込んでいる……。
訓練場で何度も教わっていたことなのに……。
わたしは強い後悔に唇を噛みました。
「それよりも――死体がひとつ足りない。女の探索者だ」
「リンダの!?」
アッシュロードさんの言葉に、ハッと顔を上げます。
そして慌てて暗い回廊の石畳に並べられた麻袋を確認しました。
1……2……3……4――4!?
ど、どうして!?
「あんたは前衛だったのか?」
「え? は、はい。三番手です……でした」
「運がよかったな。前衛の回復役は真っ先に狙われる。そのお陰で連れ去られずにすんだ」
「……」
アッシュロードさんの言葉に、わたしは心臓を鷲掴みにされたような恐怖と不快感を覚えました。
林田は最後列の六番手……。
奇襲を受けて他の五人が斬り倒されたあとも最後まで残る……。
「リンダは……リンダは今どこに?」
「厳父たる男神 “カドルトス” よ……」
わたしの問いにアッシュロードさんは口の中で小さく祝詞を唱えました。
聖職者系第五位階の加護 “探霊” です。
効果は加護の対象とした者の “位置” と “状態” を知ること。
迷宮の中では漂う霊魂が多すぎて、北西・北東・南西・南東の大まかな位置しかわからないので、あまり重要度の高い加護とはいいがたいのですが、こういう状況では役に立ちます。
「二階の南東にいるようだ」
「生きて……いるのですか?」
「いや」
「……そうですか」
「それでどうする?」
アッシュロードさんの言いたいことはわかります。
この地下迷宮で女の探索者がひとりだけ連れ去られれば、どんな目に遭うか。
アッシュロードさんは言外に言っているのです。
“救わない方が救いになることもあるんだぞ”
……と。
「もちろん、助けに行きます」
わたしは即答しました。
わたしはリンダと約束したのです。
死んでしまったら必ず生き返らせると。
それに……。
それに……。
心に浮かぶ、あの女の子。
わたしに向けられた、おどおどした痛々しい笑顔。
わたしが一歩踏み出せれば、もしかしたら心から笑えていたかもしれないのに。
「死ぬことが救いだなんて思いたくないから……」
だから――。
「だから、助けにいきます」
アッシュロードさんはそれ以上なにも言いませんでした。
代わりに背嚢から取り出した角灯に火を点けて、わたしに手渡します。
その明かりの中に、回廊の石畳に並べられた大門くんたちが照らし出されました。
ところどころ血の滲んだ四つの麻袋。
「今はここに残していくしかない」
「……わかっています」
「キャンプを張ったときの聖水の効果がまだ残ってる。まだしばらくは持つはずだ。そうでなければ――」
――迷宮に捨て置かれた死体など一分も持たん。
「……」
わたしたち迷宮探索者は、地下に下りた直後に必ずキャンプを張ります。
その時に魔除けの魔方陣を描くために使った聖水の効果が、わずかながらも身体に残るのだそうです。
だから迷宮で全滅したとしても、すぐに消失することはない。
特にわたしたちは、玄室を出る直前にキャンプを張りました。
わたしたちはまだ運がよかったのかもしれません……。
(ごめんなさい……もう少しだけ待っていてください。必ず連れ帰りますから。リンダと一緒に必ず……)