全能者
ギルド長さんと記録係を務めたハンナさんの同僚の受付嬢さんが退室すると、探索者ギルド二階の会議室にホッと弛緩した空気が漂いました。
今回の一連の事件に関する報告会が、ようやく終わったのです。
ギルドに呼ばれたのは、
レットさん。
ジグさん。
カドモフさん。
フェルさん。
パーシャ。
ライスライト(わたし)。
アッシュロードさん。
ドーラさん。
ハンナさん。
以上の九人です。
結局今回の事件に関して言えば、探索者のわたしたちパーティはもちろん、保険屋さんであるアッシュロードさんやドーラさんに落ち度があるわけでは無く(むしろ巻き込まれた被害者であり、事件を解決した立役者です)、むしろ責めを負うべきは依頼人の信用調査を怠ったギルドの方であったわけです。
一番危うい立場に置かれていたのはハンナさんですが、彼女がギルドの備品をわたしたちに預けてくれなければ、アッシュロードさん、フェルさん、そしてパーシャの三人は確実に命を落としていたわけで、支援し守るべき探索者を三人もギルドのミスで死なせていたことになります。
ですので、それを未然に防いだハンナさんには、寛大な処分が下るのは間違いのないところでしょう。
(というか、そもそも表彰ものですよ、これは)
ともかく終わりよければ、すべてよし――です。
「終わりましたね」
わたしは、横一列に並べられた椅子に腰を下ろす皆さんを見て微笑みました。
フェルさんはアッシュロードさんが椅子に座ると、さっさと(ささっと?)その左隣に腰を下ろしました。
どうも迷宮でアッシュロードさんの右耳が聞こえなくなって以来、その左側を自分の定位置としてしまったようです。
(耳はもう治っているのに!)
そしてエルフ特有の姿勢の良さで、報告会の間まっすぐに前を見て座っていました。
ハンナさんは、そんなフェルさんを見て “他の人が見てはいけない表情” を浮かべましたが、こちらも負けじとアッシュロードさんの右側に腰を下ろし、やはり負けじと受付嬢さん特有のビシッとした姿勢で前を見つめていたのです。
わたしは……といえば、仕方がないのでハンナさんの隣にそろそろと座りました。
「いーや、まだ終わっちゃいないよ!」
「? まだなにかあるの、パーシャ?」
報告も終わったのですし、あとはこのまま “獅子の泉亭” に戻って、みんなでご飯でも食べましょうと思っていたのに。
「あるもなにも、一番大事なことが残ってるじゃない!」
みんなが怪訝な顔でパーシャを見ます。
「フェルがさも当然な顔をして、おっちゃんの隣に座ってることだよ!」
うっ、とこの場にいる何人かの人が息を飲みました。
“火薬庫に花火を投げ込むんじゃねえ!”
――的な空気が瞬時に流れます。
「いったい全体、これはどういうこと! 迷宮でなにがあったってのよ!」
「……それは」
と、フェルさんが左手を頬に当てて、しっとりとした表情で顔を赤らめました。
わたし ⇒ わんわんわんわん
フェルさん ⇒ しっとり
わたし ⇒ わんわんわんわん
フェルさん ⇒ しっとり
わたし ⇒ Orz
「……わざわざ、人に話すようなことじゃないわ」
「人に話せないようなことがあったの!?」
「そ、そういう意味じゃなくて……」
「いえ、パーシャの言うとおりです。わたしもぜひお聞きしたいですね。その辺りの事情を」
ツン! と前を向き目を閉じたまま、ハンナさんがバチコーン! と言い放ちました。
――むっ!
「わたしとグレイの間に何かあったとしても、それはあなたには関係のないことだと思いますけど」
しっとりとしていたフェルさんの表情に、緊張が走ります。
「関係はあります」
「どういう関係です?」
「それは」
「それは?」
「全面的にわたしが気に入らないからです!」
出ましたー! ハンナさんの十八番!
説得力はまるでありませんが、有無を言わさぬこの破壊力!
さすがのフェルさんも、これには絶句するしかありません!
「フェル……」
パーシャが心から心配している表情で、フェルさんを見つめました。
「本当にたいしたことじゃないのよ。ただ指輪を……」
そういって、フェルさんが左手の薬指に嵌めていた指輪を愛おしそうに触れました。
ええっ!? フェルさん、あなたそれ迷宮にいたときは人差し指に嵌めてませんでしたか?
「……なっ!」
今度はハンナさんが絶句する番です。
しかし、ハンナさんが二の句を告げるよりも早く、
「指輪をもらったぐらいでそんなに “しなっ” としちゃうわけ! フェル、あんたそんな安い女だったの!? だいたい、指輪ぐらいあたいだってもらってるわよ!」
パーシャが右手の親指の指輪を、まるでサムズアップのように突き立てました。
「ちょ、おま! なに調子こいたこと言ってんだ! それは貸しただけでやったわけじゃねえ! いい加減返しやがれ!」
「ええ、くれたんじゃないの!?」
「当たり前だ! いくらすると思ってんだ! がきんちょには一〇年早えっ!」
顔色を変えたアッシュロードさんが、パーシャから “癒しの指輪” をむしり取ります。
「ああ、あたいの “いとしいしと” ぉぉぉぉっ!」
「人のもんを勝手に “いとしいしと” にすんな!」
「どうやらあなたも “貸してもらった” だけみたいですね。いけませんよ、借りた物はちゃんと返さないと」
ふふん、と勝ち誇ったような表情で、ハンナさんがフェルさんを見ます。
見る見る表情を強ばらせるフェルさん。
「そうですね。グレイ、やはりこうした指輪は戦闘用の無骨な物ではなく、もっとそれに相応しいちゃんとした品を頂きたいです。それにエルフには女も殿方に贈る風習があるので、わたしにも準備をする時間をください」
「ちょっと、なんでそこで “指輪の交換” の話になるんですか! アッシュロードさんは、迷宮を脱出するためにあなたに “滅消の指輪” を貸してくれただけでしょう!」
「ま、まあまあ、落ち着いてください、ハンナさん――アッシュロードさん、わたしもこれをお返しした方がよろしいですか?」
ますますボルテージを上げてしまったハンナさんをなだめつつ、わたしはアッシュロードさんに訊ねました。
「この大きなやつですけど」
わたしは僧帽の上に載せている頭部用のリングに、両手の指先を当てて訊ねました。
「いや……別にそれは。おまえにやったもんだし。大した価値のあるもんでもねえし」
「そうですか。ありがとうございます」
てへっ。
「「……」」
ハンナさんとフェルさんは、そんなわたしたちの様子を見てなぜかますます恐い顔になりました。
「コホンッ、指輪の件はひとまず置いておくとして、わたしもグレイに “あのような真似” をされてしまった以上、女としての覚悟を決めなければなりません」
「な、なんですか、あのような真似って?」
な、なんですか、あのような真似って?
ハンナさんが口に出して、わたしが胸の中で訊ね返しました。
「それはもちろん……キスですわ。とても激しい」
「「「「「「「――なっ!」」」」」」」
「「「「「「「なんだってーーーーっ!」」」」」」」
フェルさんとアッシュロードさんを除く、全員の見事なユニゾン。
「おっちゃん、やっぱりあんたは “強姦君主” だったのね!」
「違うっ! フェル、なんでおまえは頭と胴体を切り離して、尻尾の話だけをしやがる!」
「あら、女は殿方の最後の女になりたがるものですよ、グレイ」
「だからなんでそう誤解を受けるような言い方をしやがるんだ!」
だんだん収拾がつかなくなってきました。
アッシュロードさんが、“Oh! No!” みたいな顔で叫びます。
「違う、違うぞ! 俺は別に強制猥褻をしたわけじゃねえぞ!」
「じゃあ、なにをしたって言うのよ!」
「そうです! なにをしたっていうんですか!」
パーシャが顔を真っ赤にして、ハンナさんが今にも泣きそうな顔で、それぞれ詰め寄ります。
「あ、あれは、人工呼吸――そう、人工呼吸みたいなもんだ! 取り乱して魔物を呼び寄せかねなかったフェルを黙らせるために仕方なくだな!」
「はぁ!? そんなの一発ぶん殴って気絶させちゃえばいいだけじゃない! それをどさくさに紛れて!」
その時、なぜか先ほどからずっと居心地悪げに椅子に座っていたジグさんと目が合ってしまい、そっ……と視線を逸らされました。
――その節は、大変お世話になりました。
「はぁ!? そんな真似できるわけねえだろうが!」
「どうしてよ!」
「お、女は……」
「女は!?」
「女は……撲ったり、蹴ったりしちゃいけねえんだ……」
とても恥ずかしげに、まるで “ばっちゃが言ってた” ――とばかりに呟くアッシュロードさんを見て、
ズキューン!
とわたしの心臓を、砂糖菓子の弾丸が撃ち抜いていきました。
皆さん、聞きましたか!? 聞きましたよね!?
これです!
これなんです!
これがアッシュロードさんなんです!
これだからアッシュロードさんは最高なんです!
くーっ! なんだか元気が出てきちゃいました!
そうですよね! どんな事情があろうと、女の人を撲ったり蹴ったりしてはいけませんよね!
わかります! わかりますとも!
仕方ありません! ここはわたしが助け船を出してあげましょう!
「――フェルさん、気にすることはないですよ。わたしなんてすでにオッパイとお尻をバッチリ見られちゃってるんですから。キスなんて、そんなの全然大したことないですよ!」
ニカッと笑って、(これぞ本当の)サムズアップ!
「……えっ!?」←フェル
「……なっ!?」←ハンナ
「……げっ!?」←パーシャ
(((……対滅 級だな)))←レット&ジグ&カドモフ
「…………Orz」←アッシュロード
その直後、ハンナさんが “……ふぅ” と失神してしまったかと思えば、フェルさんが突然 “わたしは今こそ見つけました! 姦淫の罪を犯すグレイを再び正しき道に導くこと、それがわたしの生涯をかけた使命です!” となぜか勃然と信仰をあらたにしてしまったりして、どういうわけか事態はいっそう紛糾し、混迷の度を深めてしまいました。
あれれ? いったい何がよくなかったのでしょう?
◆◇◆
――それから数時間後。
コンコン、
ノックしてもしもーし。
「アッシュロードさん、いますかー!」
返事がない。ただの屍のようだ。
でも、わたしくらいの古強者ともなると、わかってしまうのです。
すなわち、これは居留守です。
「いるのは分かってるんですよ~。入ってもいいですか~? 入りますよ~」
ガチャ、
わたしはちゃんと断りを入れてから、アッシュロードさんが借りているスイートルームのドアを開けました。
当然のように鍵も掛けていません。
不用心にもほどがあります。
相変わらずの汚部屋を、ゴミを掻き分けてベッドまで進みます。
アッシュロードさんが入り口に背を向けて、身じろぎもせずに眠っています。
でも、わたしくらいの|古強者《ベテラン ともなると、わかっちゃうのです。わかってしまうのです。
すなわち、これが狸寝入りだと。
ゆっさ、ゆっさ、
ゆっさ、ゆっさ、
「起きてくださ~い。眠ってないことは分かってるんですよ~。ノックしてもしも~し」
「ああ、もううるせえな! それはノックじゃなくて、シェイクだろうが!」
ガバッと身を起こすと、アッシュロードさんが噛みつくような顔で怒鳴りました。
「ああ、起きましたね。おはようございます」
「……なにがおはようございますだ。わざとらしい」
相変わらずの不機嫌な仏頂面でそっぽを向くアッシュロードさん。
相変わらず過ぎて、見ていると安心してしまいます。
もはや様式美です。
「それで何の用だ。迷宮になら行かねえから。俺はあと最低でも一ヶ月は食って飲んで寝るだけと決めてるんだ」
「そうでしょう、そうでしょう。そうだろうと思って持ってきてあげましたよ」
「……あ?」
そこまで言われて、ようやくアッシュロードさんは、わたしが手にしている銀のトレーに気がつきました。
トレーには大皿が載せられていて、盛られているのはもちろんアッシュロードさんの大好きな、例のあれです。
「なんだ、それは?」
「なんだって、もちろんゆで卵ですよ。これが生卵に見えますか?」
ナイスジョーク。
今日のわたしは微妙にキレてます。
「疲れているときは、なんといってもタンパク質です。コラーゲンも豊富ですよ」
“転移者” にしか分からない言葉をバシバシ飛ばしますが、アッシュロードさんが心の広い人だと知っているわたしは、キニシナイ。
「固ゆでか?」
「もちろん!」
「おお」
「半熟 です!」
「……あ?」
一瞬輝いたかに見えたアッシュロードさんの顔が、再び疲れ果てた年老いたグレートデンのように萎びました。
「いくらアッシュロードさんが “固ゆで” を好む “厨二病”な人でも、卵まで堅くすることはないですよ」
――卵の美味しい食べ方は、なんと言っても半熟なのですから。
「……そんなこと誰が決めた」
そうは言いつつも、大皿に盛られた卵に手を伸ばすアッシュロードさん。
ヒョイっ、とお皿を引いて、その手を空振りさせます。
ヒョイっ、
ヒョイっ、
ヒョイっ、
「おいっ!」
「まだお預けです。言葉が足りません」
「言葉だぁ?」
「はい」
「ああ、もう、わかったよ――いただきます」
ヒョイっ、
ヒョイっ、
ヒョイっ、
「くうっ!」
「ニコニコ」
「あ・り・が・と・う!」
ヒョイっ、
ヒョイっ、
ヒョイっ、
「おいっ! これ以上、俺に何を言わせてえんだ!」
「これからは、女の子を落ち着かせるときにキスはしません」
「……あ?」
「これからは、美人な受付嬢さんに泣きながら抱きつかれても、デレデレしません」
「…………あ?」
「アッシュロードさんから見て、今のわたしがどう見えるかは知りませんが――わたしは今、とっても機嫌が悪いのです」
エバ・ライスライト。にっこり笑って人を斬る。
「ちょ、ちょっと、待て……」
「なんですか?(ニコニコ)」
「おまえはいったい、なんの権利と関係があって、そんなことを言う……」
「関係ならあります」
「それは?」
「それは」
「それは……?(ゴクッ)」
「全面的に、わたしが気にいらないからです」
「……」
“……やっぱり、それか”
といった顔で言葉を失うアッシュロードさん。
「それに、わたしはいずれ “灰の道保険” に就職して、あなたの部下になるのです。社長さんの教育はわたしの業務でもありますから」
“……えーーっ”
みたいな顔になる、未来の社長さん。
「借金踏み倒す前提かよ……」
「いえいえ、お借りしているお金は必ず返しますよ。例え一生を掛けても、ええ、それはもう必ず」
「……」
アッシュロードさんは頭の中で言い返す言葉を探しているようでしたが、面倒臭がり屋さんはやがて根負けしたように、
「……食ってもいいか」
と訊ねました。
「どーぞ」
わたしはベッドの上のアッシュロードさんの膝の上に、銀のトレーを置きます。
「ちゃんと岩塩もありますからね」
「……なにからなにまで、どーも」
「えへへ、いえいえ」
今度はマヨネーズも作ってきてあげましょう。
「それじゃ、わたしはこれで」
「なんだ、もう行くのか?」
「食べているところを見ていてほしいのですか? ――ああ、食べさせてほしいのですね! わかりました!」
パムッ、と両手を打って感嘆します。
さすがアッシュロードさんです! その発想はありませんでした!
「いや……やっぱりもう帰れ」
「そうですか、それは残念です」
そういうと、わたしは今度こそ機嫌良くアッシュロードさんに微笑みました。
「では、エバ・ライスライトはこれで帰ります。ちゃんとよく噛んで食べてくださいね」
では、では~。
「……卵をよく噛んでどうするってんだ」
コンコン、
「……あ、美味ぇっ」
コンコン、
コンコン、
コンッ――GUCYA!!!
◆◇◆
「“看破” !」
「“看破” !」
「“看破” !」
「……いちおう礼儀として訊いてあげるよ。あんた、さっきから何をやってんだい?」
いつの間にか汚部屋の入り口に立っていたドーラが、膝の上の大皿に盛られた卵に向かって加護を連発しているアッシュロードに訊ねた。
「ライスライトだ! あいつ、ゆで卵の中にトラップを仕掛けやがった!」
頭に拭い切れていない卵の殻をこびり付かせたまま、アッシュロードが答える。
もちろん親の敵のように、大皿のゆで卵&生卵を睨んだまま。
「やれやれ、本当に仲のおよろしいことで」
「どこがだ! やっぱりあいつは酷い奴だ!」
うんざりと顔を横に振るドーラ。
そんなドーラに、今度はアッシュロードが訊ねる。
もちろん親の敵のように、 ゆで卵&生卵を睨んだまま。
「それで、わざわざどうした? 仕事ならしばらくは請け負わんぞ。俺は最低でもあと一ヶ月は、ひたすらに食って飲んで寝るんだ!」
ドーラは、“そんな自堕落な生活をしてたら豚になっちまうよ” ――とは思ったが、あえて口には出さなかった。
「なに、貸しっぱなしなっている、あたしのサイドアームを引き取りにね」
そう言われて、ようやくアッシュロードは卵の山から視線をドーラに移した。
「ああ、そうだったな。悪かった。いろいろあって忘れてた」
アッシュロードは膝の上からトレーをどかすと、立ち上がってベッドの脇に立てかけてあった黒色の鞘に収まった曲剣を手に取った。
入り口のドーラまで歩み寄ると、丁寧に差し出す。
「助かった。こいつのお陰で死なずにすんだ」
「なんなら、あたしの言い値で譲ってやってもいいんだよ。中古の剣は折れちまったんだろ」
冗談めかしてはいたが、ドーラの声にはどこか真剣味があった。
「そのうち金が貯まったらな」
「あんたに金が貯まることなんてあるのかい。みんな飲んじまうくせに……」
ドーラの声が、今度こそ沈んだ。
「……なあ、アッシュ。あんたそろそろ迷宮から足を洗ったらどうなんだい」
「……あ?」
「八階程度でこうも手こずるようじゃ、あんたもそろそろ “あがり” が近づいてるんじゃないかってことさ」
アッシュロードは三七。
迷宮の深部で切った張ったをするにはトウが立ちすぎている。
「……とっくに第一線は退いてる」
最下層で連日強襲&強奪を繰り返し、幻の “妖刀” や “君主の聖衣” を探し求めるような真似は、とっくの昔にやめている。
「それじゃ、“保険屋を畳むとき” って言い替えてやるよ」
ドーラが射るような瞳で、アッシュロードを見る。
「……保険屋をやめて、俺に何をやれってんだ?」
「あんたほどの腕があれば、別に迷宮に潜らなくてもいくらでも食っていけるだろう。“お嬢” の口利きがあれば、訓練場の教官にだってなれるだろうさ」
「幼稚園の先生をやれってか? ガラじゃないね」
意味の分からないことを言って、へっ、と肩を竦めるアッシュロード。
ドーラにしても “言っても詮無きこと” だとは分かっているのだ。
保険屋稼業こそが、グレイ・アッシュロードをグレイ・アッシュロードたらしめていることを、彼女ほど知り抜いている者はいない。
やがて猫も肩の力を抜いた。
「そうだね、益体もないことを言っちまって悪かったね」
ドーラは “悪の曲剣” を左背に背負うと、“邪魔したね” と言って汚部屋と化している客室を出た。
◆◇◆
アッシュロードの部屋を出ると、ドーラは自分の家に向かった。
猥雑な裏通りを歩くに連れて、猫の表情から色が消えた。
――かつて、この国の西と国境を接する “リーンガミル聖王国” にひとりの少年がいた。
当時 “リーンガミル聖王国” は、“僭称者” と呼ばれた凶悪な魔術師による簒奪事件によって、乱れに乱れていた。
“僭称者” はその強大な魔力で国王を含む王家の人間を根絶やしにし、自ら王位に就いた。
しかし、王統であるふたりの “姉弟” を取り逃したことで、最後は伝説の “運命の騎士” となった “弟王子” に討たれて果てた。
“僭称者” は “弟王子” の “退魔の聖剣”で胸を刺し貫かれて絶命する直前に、残された最後の力を振り絞って “呪いの禁呪” を唱え、“弟王子” ともども決戦の場であった王城を奈落の底に引きずり込んだ。
そして王城跡には “僭称者の呪いの大穴” と呼ばれるようになる、巨大な地下迷宮が出現していた。
“弟王子” が身に着けていた “K.O.D.s” ―― “ナイト・オブ・ディスティニー・シリーズ” と呼ばれる伝説の武具は、王子の命と共に迷宮の奥深くに失われた。
一人生き残り、今やただ一人の王家の血脈となった “姉姫” は、自ら冒険者となり迷宮内に眠る “K.O.D.s” の回収を目指した。
彼女ほど優秀な魔術師は、魔導王国リーンガミル広しといえどいなかったのだ。
“姉姫” は “勇者” の “聖寵” を授かった同世代の才知溢れる優秀な仲間たちとパーティを組み、凶悪な魔物の徘徊する迷宮に挑んだ。
少年は……そんな姫たちの遙か後塵を拝する存在だった。
男神や女神から授かる “聖寵” や “恩寵” どころか、彼は最低の潜在能力である5ポイントしか持たずに生まれた、"持たざるもの” だった。
少年は同じように、金も運も能力もないあぶれ者の冒険者を仲間にするしかなく、また仲間になるしかなかった。
少年たちのパーティは、姫たち才ある者のパーティの予備の予備だった。
彼らの任務は先行するパーティに万が一の事態が起こったときの “死体の回収”
しかし “呪いの大穴” の探索は困難を極め、多くのパーティが迷宮の闇に呑まれ消えていった。
それでも少年は “持たざるもの” 故の特権である “考え続けること” を武器にしぶとく生き残り、やがて一角の冒険者として一目置かれる存在となった。
そして……運命の変転が彼に訪れる。
少年は政治的な理由によって “勇者” の影武者となり、“運命の騎士” として迷宮の最奥に挑むことなった。
“紫衣の魔女の迷宮” の最下層が児戯に思えるほどの凶悪な魔物が跋扈する “呪われた大穴” の最深部。
その最奥に潜み続ける “僭称者” が召喚した盟約者、“真の迷宮支配者” の単独での討伐。
それが少年に課せられた使命であり、与えられた任務だった。
“K.O.D.s” を身にまとい来る日も来る日も独り迷宮に潜り続ける日々。
“道化師” を殺し、“真祖” の首を刎ね、何千匹もの “上位悪魔” を屠り、いつしか少年は “勇者” をもしのぐ、人を超えた存在、あらゆる種族の頂点に立つ究極の人類 “全能者” となった。
そして凄絶な死闘の末、ついに彼は迷宮の真の支配者―― “魔大公” を討ち取り、その証である “デーモン・コア” を身体に宿した。
少年は英雄になった。
だが、彼は影武者だった。
なにより “全能者” として強大すぎる力を身につけた彼には、新たな魔王となる萌芽が見えた。
彼の存在を危険視した姉姫――すでに即位して王国の統治者となっていた “女王マグダラ” は “禁呪” を用いて少年の力と記憶を封印し、王国から放逐した。
今から二〇年前のことである。
リーンガミル王国の公儀隠密であるドーラ・ドラの任務は、少年の監視と女王への報告。そして女王の施した封印が解けるような事態が起こったならば未然にそれを防ぎ、万が一の場合は刺し違えてでも “全能者” の復活を阻止することだった。
皮肉なことだ……とくノ一は思わざるを得ない。
遙かな昔。
伝承によると “伝説の勇者” は “銀髪の聖女” の力を借りて、魔王の脅威からこの世界を救ったという。
しかし二〇年前に世界を救ったのは、“勇者”でもなければ “聖女” でもない。
ただの “持たざるもの” だった。
彼は独りで戦い、独りで苦しみ、独りで傷つき、独りで勝利をつかみ取り、最後は歴史の闇に消された。
そして今その彼を無邪気に崇拝し、身も心も捧げんばかりに寄り添わんとしているのは、“勇者” の伴侶たるを運命付けられた “聖女” なのだ。
封印されし魔王の萌芽である “全能者”と、遅れてやって来た “聖女”
さらに現在、連絡によると本国では新たな “勇者” が誕生しつつあるらしい。
“全能者”と “聖女” 。そして “勇者”
三つのピースが揃った未来の行く末は猫の鋭敏なヒゲでも予測はつかない……。
第二章 完
章末までお読みいただき、ありがとうございました。
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またイラストは下記のものを使わせていただきました。
ありがとうございました。
とり夫
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