探索者機動迎撃戦・ミラクルガイ!
早乙女月照の目には、追走する背中が一歩ごとに大きさを増していた。
枝葉瑞穂の後ろ姿は、白を基調としたゆったりとした僧服に包まれているものの、一五歳という年齢相応の華奢なシルエットのはずだった。
それがまるで自分が仕える神仏であるかのような威厳さえ感じる。
月照の最も優れた資質は、素直なことであろう。
五代 忍からは『単純』と評されるこの資質が、同性の佐那子や恋が受けたような劣等感や、幼馴染みの志摩隼人が苦悶する寂寥感や喪失感を覚えずに済んだ。
月照は “素直” に、枝葉瑞穂の迷宮探索者としての成長と聖女への覚醒を賞賛し、憧憬した。
(こいつは凄え! まったく凄え! 滅茶苦茶凄え! あの不思議ちゃんから後光が射してるじゃねえか!)
となれば、同じ聖職者の自分が成すべくことはひとつだ。
枝葉瑞穂に従い、彼女の技術や思考法や立ち振る舞いを学ぶ。
まったく賢明な選択だった。
一見すると愚鈍に思われる者が、最も優れた賢者であるという。
このイガグリ頭の仏寺の息子こそ、好例だろう。
好漢、早乙女月照は決めた。
「枝葉! たった今からおまえのことを師匠と呼ばせてもらうぜ!」
「や、藪から棒にどうしたというのですか!?」
「藪からスティックに、弟子にさせてもらうってこった!」
「わたし自身がまだ修行の身で、まだ弟子を取るほどではありません!」
「だから押しかけ弟子だ!」
「わたしの意思は関係なしですか!?」
「だから押しかけ弟子だ!」
回廊を駆けながらの掛け合い。
やがて瑞穂の方が根負けしてしまい、折れてしまった。
今は “ランニングコント” をしている場合ではない。
「仕方ありません、弟子入りを認めます! でも免許皆伝への道は険しいですよ!」
「おう! “木人” の試練は覚悟してるぜ!」
早乙女月照――ゆけ、今こそ! ゆけ、遙かに!
「少林寺は禅宗で、あなたの実家は南妙法蓮華経! 宗派が違います!」
ミラクルガイに師匠からの最初の駄目出しが入ったとき、視界が開けた。
◆◇◆
忍と恋は、集合場所と定めた座標を目指していた。
盗賊と魔術師 のコンビ。
忍にしてみれば “光学透過” の呪文を施し一気に駆け抜けたかったが、進む先々で住人が襲われていれば、そんなこともいってられない。対応を迫られる。
(……チッ)
忍は眼前に現れた状況に、表情に出さずに舌打ちした。
もちろん、後に続く恋を不安にさせないためだ。
玄室から溢れた住民が雑居する大広間は、侵入した多数の魔族によって、今まさに屠殺場と化そうとしていた。
「あ、あんなに沢山!」
恋が天井付近を飛び回る魔族の群れを見て蒼ざめた。
“雨樋石像” がいる。
“悪魔稚児” がいる。
“黄銅色の悪魔” がいる。
魔族たちの尖兵ともいえる低位から中位の悪魔たちが、天敵に蹂躙されるしかないか弱い人間たちを嘲るように高みから見下ろしていた。
魔族にとって人間の怯え戦く表情は何よりの馳走だ。
肉を引き裂き臓物を喰らうよりも、愉悦に浸れる。
むしろこちらの方が “主食” といえた。
(……確かに数が多すぎる)
忍は沈着に状況を分析した。
“滅消” を使えば、“雨樋石像” と “悪魔稚児” は塵にできる。
だが残った “黄銅色の悪魔” から複数の “焔爆” を受けるだろう。
“黄銅色の悪魔” は中位の魔族で、モンスターレベルは10のネームド。
“滅消” で消し去ることはできない。
討漏らした “黄銅色の悪魔” をどう始末するか――。
(それともまた “深淵” で目潰しをするか? だが一匹でもパニックに陥るマヌケがいれば――)
前回は視覚を奪われた悪魔が同士討ちを怖れその場に滞空してくれたから、次々に狙い撃つことができた。
しかしあの時、一匹でも不意の暗闇に狼狽した個体がいたとしたら。
その個体がパニックのまま手当たり次第に住人たちに襲い掛かったとしたら。
阿鼻叫喚の地獄絵図が現出していただろう。
(どうすればこの状況を切り抜けられる? 前衛でも後衛でもない中衛の盗賊に?)
答えはあった。
答えは準備していた。
以前、枝葉瑞穂から聞いた話を再現した、盗賊だけが持ち得る “とっておき” 。
まず恋が “滅消” を唱え、生き残った “黄銅色の悪魔” に自分がそれを投げつける。
忍の右手が腰の雑嚢に伸びたとき、 遙か天空からの轟雷が分厚い天井を貫いて、悪魔たちを一匹残らず灼き尽くした。
まさに “神威” としか表現しようのない加護によって魔族を一掃した聖女が、同様に僧衣をまとった大柄なイガグリ頭を従者のように従えて合流した。
◆◇◆
「やめなさい、みんなが見てるわよ――あなたは “勇者” でしょう」
佐那子は、“悪魔稚児” に過剰な追撃を加える隼人に駆け寄り、その手を抑えた。耳元で刃のように鋭く囁き、周囲に視線を走らせる。
壁際に縮こまっている住人たちは、今は魔族よりも隼人の豹変に怯えていた。
(……勇者?)
自分に向けられた不思議な言葉に、隼人の手が止まった。
消し炭になった魔族の子供の成れの果てから、自分を見て怯える、自分とはなんの関係もない人間たちに、何の感慨もない瞳を向けた。
“勇者” とはなんなのか。
男神 “カドルトス” から与えられる聖寵の中でも最高のギフテッド。
ステータスはレベル1の段階から種族上限に達する、潜在能力 60.
隼人はなんの経験を積んでいない状態で練達の戦士や盗賊 、何年も修行や研究を重ねた聖職者や魔術師 に匹敵する、筋力や敏捷性、信仰心や知力を得ていた。
だが得ているのと、その力を引き出して使いこなせるのは別の話だ。
経験を積まなければ複数回攻撃は習得できないし、どんなに筋力が高くても単発の攻撃では威力はたかがしれている。
同じくどんなに信仰心が高くても、レベルを上げなければ加護は授かれない。
さらには枝葉瑞穂のように髪の色を変えて、自らに男神を降臨させその力を顕現化させることもできない。
厳父であるカドルトスは、慈母たるニルダニスと違って子供たちへの関心が薄い。
そもそも伝説 “運命の騎士” からして、女神に認められて誕生するほどだ。
(要するに身体的に他の人間より少しだけ迷宮探索者に向いていただけの話だ。精神的な義務感や理想があったわけじゃない。知力や信仰心とて身体的なステータスでしかなく、自分が縛られるものではない)
枝葉瑞穂はいっていた。
“戦いはいつも自分のため。誰かを傷つけるためではなく、大切な誰かを守るため”
その大切な誰かを、隼人は失ってしまった。
いや、最初から得てなどいなかったのかもしれない。
枝葉瑞穂は一度として、心の内にある彼女の “家” に彼を招き入れたことはなく、隼人はそのことに早くから気がついていて子供心に傷ついてきた。
これは同じ幼馴染みである林田 鈴も同様で、瑞穂との訣別の遠因になっていた。
「あなた、そんな “気組み” だと死ぬわよ」
強い苛立ちと嫌悪を含む声で佐那子が再度囁く。
隼人とて、熟練者に手の届く位置にいる古強者の迷宮探索者である。
言われなくても自分の精神状態が極めて危険なことは理解していた。
しかし “理解” とそこから脱却するための “手段” は別だった。
ぶちまけた話、失恋により隼人は戦う――生きる目的を失ってしまっていた。
脆弱といってしまえばそれまでだが、一六歳の少年が生涯のほとんどを占めていた存在を喪失したのである。
想いが強ければ強いほど、深ければ深いほど、容易に切り替えなどできやしない。
「死にたいのならわたしの刀を貸してあげる。でも今じゃない。今は生きてもらう。生きて演じてもらう。“勇者” と “わたしたちのリーダー” の役を」
世捨て人にでもならない限り、人は好き勝手には生きられないのだ。
その場その場に合わせた仮面を被り、与えられた役割を演じなければならない。
「人生はロールプレイングゲームよ。彼女が “聖女” の役を演じ続けているように、せめて彼女に “憐れまれない男” を演じなさい」
佐那子の発破が、隼人に届いたかどうかは解らなかった。
効果が知れる前に、騒々しい鎧の音と床を蹴る鉄靴の音が響いたからだ。
「――おう、隼人! ここにいたか!」
月照の声が状況にそぐわない快活な声が響いた。
「隼人、俺は枝葉の弟子になったぜ! まったく師匠は最高だぜ!」
佐那子はイガグリ頭の仏寺の息子を斬り殺したくなった。







