決意と本意
枝葉瑞穂の膝が魂魄を抜かれたように折れた直後、仲間たちは咄嗟に武器を抜き放った。
古強者探索者の経験と本能が、まずは敵の襲撃を疑ったのだ。
「魔物か!」
いがぐり頭の早乙女月照が入手ばかりの錫杖(月照は “ぶっ叩くもの” という銘を与えていた)を構えて怒号した。
「くそっ、この拠点は “女神の杖” に護られてるんじゃなかったのかよ!?」
「落ち着け。ただの体調不良だ」
ただひとり武器を抜かず、予見していたように瑞穂を支えた隼人が、仲間に武器を納めるように命じた。
「具合が悪かったの? そんな素振りは見せなかったのに」
安西恋が驚き、顔色を変えて駆け寄る。
そして苦悶に歪む瑞穂の額に手を当て、
「酷い熱!」
「寝かせよう――おい、月照」
瑞穂を抱き上げた隼人が黙り込んだの見て、五代忍が代わって指示を出した。
「お、おう、まかせろい」
月照はレベル11の僧侶であり、回復役である。
あらゆる状態異常を治癒させる “神癒” を習得している。
「志摩くん、早く――どうしたの?」
田宮佐那子が、瑞穂を抱えたまま動かない隼人を訝しんだ。
「……軽い」
「え?」
「こんなに軽かったんだな……」
切なげに呟くと、隼人は瑞穂を彼女のベッドに寝かせて月照を呼んだ。
「よし、それじゃいくぞ――厳父たる男神 “カドルトス” よ!」
読経で鍛えた声帯で、朗々たる祝詞を唱える月照。
男神への嘆願はすぐに聞き届けられ、瑞穂の顔から苦しみの気配が去り、安らぎが戻った。
「おっし、ひとまずこれで大丈夫だろう」
ふぅ……とひとつ大きな息を吐くと、治療を終えた月照が額の汗を拭う。
「ただ……俺の見立てだと、枝葉の不調は肉体の疲労よりも精神面の消耗が大きい。こいつは二~三日寝てれば回復するってもんじゃねえからやっかいだ。 “神癒” には恐怖なんかの精神の悪影響を取り除いて、鬱病だって治しちまう代わりに依存性もあるんだ。言葉は悪いけどヤバイクスリを決めたときの恍惚感に似てるんで、乱用は避けるように言われてる」
「でも枝葉さんのことだから、目を覚ましたらすぐにステッチちゃんを助けに行こうというはず」
月照の説明に、ベッドの瑞穂に曇らせた表情を向けた恋が言った。
「ううむ、それなんだけど、なんか枝葉の奴あの娘にやたら肩入れしてるというか、思い入れが過度というか……まるで自分の妹か娘みたいに思ってるみたいな。いや、元々 “母性” の強い性格だってのはわかってるんだけどよ、“聖女” だけに」
腕組みをして猪首を捻る月照。
本人ですら大雑把な観察だとは思っていて、それが正鵠を射た見解だということにもちろん気づいていない。
確かに瑞穂は、半ば意識的、半ば無意識にステッチに拘泥していた。
それは月照の指摘どおり性格的なものもあったが、彼女の経験した辛い記憶に起因するところも大であった。
瑞穂は授かったばかりの小さな命を失っていた。
「なら二三日じゃなくて一週間でも一ヶ月でも休ませればいい。相手は幽霊だ時間は関係ない」
忍がこれ以外の回答はないとばかりに言い切った。
◆◇◆
「一週間でも一ヶ月でもやすませればいい――あれって本来あなたがいうセリフじゃなくて?」
古びた木桶を持って水を汲みに出た隼人に、手伝う素振りでついてきた佐那子が言った。
「“道化師” からハードな真相を聞いて、もしかして心が折れたの?」
佐那子の言葉はいつになく鋭く、労りがない。
「そっちこそ、“剣聖キリコ” の件で相当ショックを受けてるみたいだが」
井戸から水を汲む手を止めて振り返った、隼人の声にも石の手触りがした。
「ショック? 違うわ。ショックではなく決意よ。わたしは決めたのよ。日本よりも一〇〇年前のあのリーンガミルに還るって。必ず還ってあの娘を不幸にしたグレイ・アッシュロードと対決するって。邪魔をするなら枝葉さんとも対決する。もし彼女の側に立つなら、あなただって容赦しない」
怒りと憎しみで抜き身のようになっている佐那子。
やりようのない鬱屈を圧し殺し損ねている自分。
腹に一物ある者同士が片方はそれを隠そうとし、片方はそれを決意という。
醜悪な構図だ……と隼人は思った。
「言葉にすることで既成事実にして退路を断とうとしているようにしか見えない。
自分を追い込まなければできない復讐なんてやめておけ」
「言うじゃない。失恋の痛手に心が折れて牙まで抜かれてしまったというわけ? ――あなた、彼女を捜すために探索者になったんじゃないの!? それでずっと命を掛けてきたんじゃなかったの!?」
生の根源を砕かれた佐那子が、歪んだ舌鋒で詰った。
「そうだ。俺はあいつを捜すために探索者になった。右も左も解らない “異世界” で生き抜いて、もう一度あいつに会うために。そして俺はあいつを見つけた。だが再会したとき……そこにいたのは枝葉瑞穂ではなく、エバ・ライスライトだった」
答えた隼人の心もまた歪んでいた。
生きる目的を失った者同士の間に、沈黙が流れる。
「俺が会いたかったのは幼馴染みの瑞穂だ。聖女だ、女神の現人神だと崇められる、そんな人間じゃない」
隼人は再び佐那子に背を向けて、水を汲み始めた。
「情けない奴!」
その背中に、女侍の痛罵が突き刺さった。
「大切なものを奪われて、それでいじけてたいなら、そうしてればいい! わたしは違う! わたしは――」
言葉を噛み砕き、佐那子は踵を返した。
佐那子に見限られてから、隼人は気づいた。
いま佐那子は自分に共感を、慰めを求めていたのではないかと。
喪失の傷を舐め合うことで、すんでの所で手を掴んでほしかったではないかと。
隼人は自分が佐那子の背中を押したことを、ようやく悟った。
しかしそのことが、グレイ・アッシュロードとエバ・ライスライトへの暗く澱んだ復讐であることにまでには、思い至らない。
それは無意識の選択であり、無意識であるがゆえに生皮を剥いだように生々しい、沈黙の本意だった。







