炎熱の死闘★
“邪眼” が嘲るや、宙空に紅蓮の大炎が巻き起こり、巨大な半人半炎の魔神が姿を現したのです。
「…… “炎の魔神” !」
絶句する気管が吸い込んだ高熱の大気に灼かれ、肺がダメージに喘ぎます。
“炎の魔神” ――それは “炎の精霊属” の頂点に立つ精霊の王。
名前を持つ “大悪魔” に匹敵する力を持つ、強大な存在です。
“灰も残すな”
魔神に酷薄に命じると、“邪眼” の姿が少女を抱いたまま今度こそ掻き消えます。
「ステッ……チ……ちゃん……!」
灼かれた声は嗄れ、伸ばした手は爆炎障壁の熱気に阻まれました。
それでも “想い” は届いたのです。
“……ごめんなさい……”
魅了されてなおステッチちゃんの唇がそう動くのを、わたしは確かに見ました。
それが彼女の意思だったのかはわかりません。まとっている濃緑のマントの下から一本の剣が零れ落ちます。
直後に “転移” の呪文が完成して、あとには “炎の精霊王” と六人の迷宮探索者が残されたのです。
「切り抜けるぞ! 瑞穂、安西、奴の炎を遮断しろ!」
隼人くんの怒号と同時に、“炎の魔神” の胸が吹子のように膨らみました。
「炎息!」
炎息は予備動作が少ない分 “焔嵐” といった火炎系の呪文よりも発動が速く、対抗手段の展開が難しいのです。
わたしは “聖女の戦棍” を振るって、“炎の魔神” の周囲に “神璧” の立方体を築くと、風を切るように安西さんに顔を向けました。
彼女は長大な第六位階 “酸滅” の呪文を、可能な限りの高速詠唱で紡いでいます。
(――間に合わない!)
直感が戦慄となって身体を貫きました。
“神璧” と “酸滅” を組み合わせて “真空状態” を造り出し、魔法やブレスを遮断する対抗手段は、予備動作の差で後手に回っていました。
(“神璧” だけでは炎息は防げない――!)
しかも自らが巡らしたその障壁に遮られて、前衛の直接攻撃も届きません!
炎息を恐れるあまり、“神璧” を張るのが早すぎたのです!
完全な判断ミスです!
「任せろい! ――厳父たる男神 “カドルトス” よ!」
後悔の臍を噛むわたしと壊滅寸前のパーティを救ったのは、早乙女くんでした。
帰依する神への野太い嘆願と共に、力強く突き出される右手!
“神璧” の内側で、今まさに炎の息を吐き出そうとしていた “炎の魔神” の巨体が、電撃に撃たれたように痙攣しました!
しかしそれは、雷撃系の魔法ではありません!
これは――!
「見たか、聞いたか、感心したかっ! これぞ対象の生命力を奪う “与傷” 系加護の最上位、“慈罰” 様だ!」
早乙女くんが大見得を切った瞬間、“炎の魔神” の動揺を衝いて安西さんが呪文を完成させました!
半瞬遅れて “炎の魔神” が炎息を吹き散らします!
ですがその炎の奔流は、大気の消失した密閉空間の中、息を吹きかけた蝋燭の火のように消え去ります!
「よし、初手を凌いだ! 斬り掛かれ!」
隼人くんが魔剣を煌めかせて突撃し、田宮さんが納刀した刀の柄に手を添えたまま滑るように追従します!
タイミングを見計らって “神璧” を消し去ります!
たとえ酸素の供給が再開されても、次の炎息までには前衛が接敵、斬撃を浴びせているはずです!
――はずでした。
「「ぐっっっ!」」
魔神の発するあまりの熱量に、隼人くんも田宮さんも接敵することが叶わなかったのです!
「ちっ!」
鋭い舌打ちと共に “隠れて” いた五代くんが姿を現し、短弓を放ちます!
短剣 での不意打ち を諦めての行動でしたが、矢継ぎ早に離れた矢はすべて、魔神に触れる前に燃え尽きてしまいました!
「なんて野郎だ!」
戦く早乙女くんには、先程の余裕はもうありません!
「ミスった……! “酸滅” じゃなくて “絶零” だった……!」
唇を噛む安西さん!
「ですが相手は精霊の王です! 魔法の無効化能力は高いと見るべきでしょう!」
「でも物理的に傷つけられない以上、魔法しかないじゃない!」
わたしの言葉に、田宮さんが噛みつくように反駁します!
“炎の魔神” は打つ手のないわたしたちを嬲るように、傲然と見下ろしています!
「“風の大王” と同じだな、精霊王ってのは属性は違えど、どいつも傲慢らしい!」
「だからこそ多くの物語で、知恵の働く人間にやり込められてしまうのでしょう!」
吐き捨てた隼人くんに咄嗟に答えたものの……打開策を講じられないのであれば、やり込められるのはわたしたちの方です!
それは……望みません!
「……基本に返りましょう!」
それだけですべてが通じ、安西さんが強くうなずきました!
そして耐呪不能な “暗黒” の呪文を唱え始めます!
真空状態を作り出して魔法やブレスを遮断する戦術が編み出される以前は、これが魔法無効化能力の高い魔物への唯一といっていい対抗手段だったのです!
(視界を奪ってしまえば、炎息も回避できるはず!)
淡い期待でした――。
安西さんの呪文が完成するよりも早く、爆炎がパーティを薙ぎ倒したからです!
突然視界が橙が染まり、わたしは “焔嵐” の衝撃と爆風に吹き飛ばされました!
「ぐうううっ……!!!」
壁に叩きつけられ飛びかけた意識を、苦痛によって無理やり繋ぎ止めます……。
(む、無詠唱……で……!)
相手は “炎の精霊” の頂点に立つ存在……。
その気になれば呪文など唱えることなく、魔法の力を顕現化できる……。
“大悪魔” に匹敵するということは、天使に例えるなら “ガブさん” と同等……。
そして彼女は、無詠唱で魔法を使うことが……。
(迂闊……でした……)
全身に走る激痛でかろうじて意識を保っているものの、 その激痛のせいで指一本動かすことができません……。
魔神にしてみれば踏み潰す必要すらなく……半歩前に出るだけで……わたしたちは消し炭になってしまうでしょう……。
それでもなお、“炎の魔神” は虫けらを見るような表情のまま、身動きの取れないわたしたちを見下ろしています……。
(まったく……隼人くんの言うとおり……です……)
表情といい態度といい……三階で出会った “風の大王” 陛下にそっくりです……。
巨大で、強大で……威厳を感じるほどに傲岸不遜……。
だからわたしがそう呟いたのは、決して天啓があったわけでも、閃きが走ったわけでもありません……。
ふとぶとしい炎熱の精霊王の態度に、無意識に口を衝いて出ただけでした……。
「……出てこい……シャザーン……」
“ハイハイサー!”
消え入るような声に応えて一陣の風が巻き起こったかと思えば、旋風と共に現れた『雲衝く如き』半裸の大巨人が、“炎の魔神” の前に立ちはだかったのです。







