邪なる眼★
(確かにこのような不浄な化け物と一緒にされたとあっては、あの人が赫怒するのも無理はありません)
突然現れた穢らわしい亡者を前にして、“龍の文鎮” で出会った “華麗にして偉大な大魔術師” の想い出が胸を過ります。
奥様と葡萄酒を愛する太古の魔術師は温和で理知的な紳士でしたが、“不死王” と誤解されることを何よりも嫌い、その度に色を成して否定していました。
「“邪眼” 、その名は聞き覚えがあります。人族であったオウンさんに呪いを掛け “単眼の巨人” に変え、さらに彼の両足を悪性の皮膚病にして強い掻痒に苦しめた、邪悪な魔術師」
わたしは嫌悪と侮蔑を込めた眼差しで、不浄なる魔物を睨みました。
「まさか “不死王” だったとは」
“おまえが一〇〇年の昔から来たという “女神の現人神” か。過去の亡霊が絶望が跋扈するこの世界に、今さらなんの用だ?”
「その言葉そのままそっくりお返ししましょう。死すべき宿命から邪な秘法で逃れ、不浄な亡霊に堕したのはあなたこそでしょう」
“言いよるわ、小娘が”
言葉の応酬と、せめぎ合う聖と魔の気配。
わたしと “不死王” の不可視の闘争に、仲間や怪盗少女は息を呑むばかりです。
“この “邪眼” を前にその胆力、“道化師” を一蹴するだけのことはあるか”
憎々しげに吐き捨てる、不死者の王。
「あなたの元には、オウンさんと “ダック・オブ・ショート” さんが向かったはず――ふたりはどうしたのです?」
オウンさんとショートさんとは、第三層の始点で別れて以来です。
ふたりはオウンさんに掛けられた呪いを解くべく、第六層に潜むこの魔術師の元に向かったはずでしたが……。
「そうよ! ショーちゃんたちはどうしたの!」
わたしの詰問に、田宮さんがハッと我に帰って叫びました。
『君主の若旦那。一寸先は闇。何があるかわからねえのが人生だ。特にこんな迷宮じゃな』
別れ際にショートさんが隼人くんに贈った言葉が耳朶に甦り、わたしたちの不安を掻き立てます。
“さあ、どうしたであろうな。行き違いになったか、あるいは一蹴したか”
“邪眼” の声に余裕が戻ります。
他我の不安を自我の養分とする――自己愛の強い性格に多々見られる傾向です。
「あなた如きにどうこうされる、あのふたりではないでしょう。ここに現れたのは、ふたりに塒を追い出されたからではないのですか?」
舌戦を続けることで、抜刀する気配を見せた田宮さんを抑えます。
しかし言葉とは裏腹に、わたしには目の前の不死属の底が見えていませんでした。
発せられる邪気と妖気の圧から危険な遣い手であることは紛れもないでしょうが、力量も技量も不明瞭です。
このまま戦いに突入するのは危険と言わざるを得ません。
“骨董品が、うぬぼれるな。我がここに来たのは、埃を被り黴に塗れたおまえ如きを相手にするためではないわ。我が用があるのは――”
嘲りに満ちた冥い視線が、わたしから外れました。
眼窩で鬼火のように燃える蒼白い双眸が捉えたのは――。
“小娘、おまえだ”
「……え?」
蒼白い幽幻の瞳を向けられ、呆然自失していたステッチちゃんの表情に強い怯えが走ります。
“死して迷宮を彷徨う娘よ、迎えにきたぞ。光栄に思うがよい、おまえを同族として我が娘のひとりとしてやろう”
「い、嫌、近寄らないで! わたしは死んでなんていない! あなたの同族なんかじゃない!」
ステッチちゃんが恐怖に後退り、悲鳴じみた声で言下に拒絶します。
“くくくっ、愚かな。亡者の身でありながら “王” に逆らえると思うてか”
“邪眼” が……スッと骨の浮かんだ手をかざすと、ステッチちゃんから表情が消え去りました。
まるで “魅了” の術を掛けられたように瞳は焦点を失い、フラフラと “邪眼” の元に吸い寄せられます。
「行っては駄目です!」
しかし、わたしの声は届きません。
不死属である彼女にとって、“不死王” である “邪眼” の命令は絶対なのです。
「なぜ彼女を!?」
“この娘には、おまえたちにはない価値がある。我が栄光を永久にする力がな”
「どういう意味です!」
“おまえたち虫けらが、知る必要はない”
薄汚い外套でステッチちゃんを覆うと、“邪眼” の姿が薄らぎました。
(“転移” の呪文!)
「待ちなさい! ――慈母なる女神 “ニルダニス” よ!」
即座に解呪を嘆願し、“邪眼” の逃走を妨害します。
長大な詠唱を必要とする魔術師系最高位の呪文に比して、解呪の祈祷は “奇襲攻撃!” に使えるほど極短くて済むのです。
絶対に間に合うはずでした。
ですが――!
轟々々!
わたしと “邪眼” の間を、灼熱の爆炎障壁が遮ったのです!
集中力が乱され妨害されたのは、わたしの祈りの方でした!
「な、なんだ!?」
あまりの高温に、顔前に盾をかざして隼人くんが叫びます!
「この熱量、まさか――!」
まるで地獄の釜が開いたような、この爆炎! こんな炎を操れる存在は唯一!
絶句するわたしの先で燃え盛る紅蓮が見る間に形を成し、それが姿を現しました。
「……“炎の魔神” !」
予期せぬ炎熱の死闘が幕を開けます。







