因果と記憶と奇術
“その者とは “剣聖キリコ”。リーンガミル史上最高の剣士にして、“女神の試練” の最終盤に “運命の騎士” をかばって消失した、彼の騎士の幼馴染み――真名を “片桐貴理子” と申す少女”
ミッシング・リンクが繋がった瞬間でした……。
(……嗚呼、やはり……やはり、あなただったのですね……)
押し潰されるような感慨に、わたしの胸は激しく軋みました。
会ったことはありません。
でもその人の名前は、あの “心の旅” で伝え聞いていました。
わたしの “心の迷宮” で、炎の巻かれて消えてしまった彼から……。
彼……灰原道行くんは、グレイ・アッシュロードさん、その人。
量子の悪戯によって過去のアカシニアに転移した道行くんは、二〇年の歳月の果てにアッシュロードさんになった。
ですが、それは成長ではありませんでした。
変質でもありませんでした。
彼の本質は今も変わっていません。
今も昔も、彼は彼のままです。
ただ彼は……あの人は……忘れてしまった。
自分の半生を……大切な、本当に大切なあの時の記憶を。
その原因となったのが……。
(……片桐貴理子さん……やはり、あなただったのですね……)
すべてが繋がりました。
そうでなければならない、それ以外には考えられない、真実でした。
納得するほかのない、絶対の真相でした。
しかし、納得できない人がいました。
貴理子さんを知っている人が、わたし以外にもいたのです。
「ちょ、ちょっと待って。なんでそこで彼女の名前が出てくるのよ」
田宮さんが、訳がわからないといった表情で訊ね返しました。
戸惑いに下に見え隠れする、確かな怯え。
“おやおや、当代の剣聖さま。あなたも “剣聖キリコ” をご存じでしたか”
「答えなさい! 彼女が――片桐さんが死んだって本当なの!?」
“わたくしめは道化師。冗句は申し上げても嘘はもうしません。それはわたくしめの美学に反します。はい”
“死の道化師” は左胸に手を当て、慇懃無礼に頭を下げました。
「そんな……どうして片桐さんが……」
「田宮さん、片桐貴理子さんのことをご存じなのですか?」
「彼女はわたしの親友で……ライバルよ。わたしたちは小学校に入る以前から剣道をしていて、試合では勝ったり負けたり……彼女に勝つのが目標だった」
わたしの問いに、蒼白な顔で答える田宮さん。
「それがどうして……二〇年前のアカシニアに転移……? 先代の “剣聖”……? わけがわからない! だいたい “運命の騎士” をかばって命を落としたってなによ! 幼馴染みの双子って――」
そこまで激情を迸らせて、田宮さんはハッと口をつぐみました。
「……そうだわ、そうよ。彼女の応援にきていた……大会で……二人組の男子が……全然似てなかったけど、あのふたり双子だったの……ひとりはイケメンで、ひとりは猫背の冴えない……」
「その冴えない男の子が灰原道行くん……あなたも知っている、わたしたちの部隊の指揮官グレイ・アッシュロードさんです」
ブルブルと震え始める田宮さん。
「どうして彼女が……あんな人のために……命を……」
“愛していたのですよ、心の底から”
“道化師” の言葉は田宮さんに向けられていながら、わたしを串刺しにしました。
“心の底から深く “剣聖キリコ” は “運命の騎士ミチユキ” を愛していたのです。自己犠牲こそ、愛のなせる業にして神髄。彼女は身を以てそれを体現したのです”
「あなたに……愛の何が解るというのですか」
勃然とした赫怒が、わたしを戦慄かせました。
「あなたはすべての事柄を冗句にして茶化し嗤う、人類の歴史を縦に紡ぐ悪意の糸。そのあなたに愛の何が解るというのですか」
目の前の妖魔が愛を語る不遜さに、激しい不快感と怒りに囚われます。
「お喋りはここまでです。去るか、それとも討たれて消えるか選びなさい!」
ビュッ! と戦棍を素振りすると、決然と宣告します。
一斉に武器を構え直す仲間たち。
“ははははは、麗しいご尊顔に似合わず、聖女さまは苛烈なお方だ。わたしとしてはもう少しばかりトークに興を添えたかったところですが――よいでしょう! 観客の皆様を愉しませてこそ道化師というもの! されば古強者の迷宮探索者方に相応しい出し物をご覧に入れましょう!”
哄笑するや否や “道化師” の姿が消え去り、水晶の壁の奥に映り込みました。
「この野郎!」
一番近くにいた早乙女くんが、乱反射による眼精疲労に顔をしかめながら、戦棍で壁面を殴りつけます。
彼の手にしているのは、わたしが以前トリニティさんから頂いた品で、+1相当の魔法強化がほどこされた逸品です。
凹凸の激しい壁面が砕け、煌めく破片が飛び散りましたが――。
「くそっ! どうなってやがる!?」
“ははっ、おしい! 壁を殴りつけるには剣よりも戦棍でしたが、生憎とわたしには通じなかったようだ”
痺れた手に顔をしかめる早乙女くんを、壁の奥から高笑う “道化師” 。
「壁と同化しているの!?」
田宮さんが抜刀術の構えのまま、戦きました。
(違う、そうではありません!)
わたしは心中で、田宮さんのニュアンスの違いに身悶えしました。
同化とは物質的に一体化していることです。
しかし “道化師” のそれは違うのです。
違うのですが――それを上手く表現できないのです。
強いて言うなら、水晶の奥にいるのは映り込んでいる映像で、その映像に意思が宿っている、でしょうか。
「奴の術中にはまるな! 壁の中にいる限り奴も攻撃はできない! 攻撃に出てきたときを狙うんだ!」
隼人くんの鋭声が飛び、パーティは防円陣を組み直しました。
“お見事、良い気づきです! さすがは熟練者まであと一歩の探索者諸氏! ですがわたしにとって壁の内も外もひとつの世界。ほらこのように――”
次の瞬間 “道化師” の姿が壁の中から消えて、まったく別の壁に現れたのです。
「壁の中を “転移” してるの!? そんな魔法、聞いたこともない!」
怯え、絶句する安西さん。
“さあさあ、見事わたしを捉えられますかな? 捉えられればこの遊戯はあなた方の勝ち、出来なければわたしの勝ち。チップは互いの命です”
( “道化師” は世界の理の埒外にいる狂言回し。理そのものをねじ曲げて弄ぶ存在。この場合ねじ曲げている理はなんです!? まるで光のように壁の間を――)
毛糸玉のようにもつれ合う思考を、逆転の閃きが斬り裂きました。
「安西さん、サングラスです!」
「そうか!」
以心伝心。
わずかそれだけですべてが伝わり、安西さんが物凄まじい高速詠唱で魔導方程式を組み上げ、呪文を完成させました。
広範囲に暗黒を現出させる “深淵” の呪文が水晶の回廊を覆い尽くします。
ボッ!
“熱ちちちちちっっっ!”
水晶の壁がドロドロに融解したかと思えば、突然炎に包まれた “道化師” が漆黒に塗り変った回廊に現れ、転げ回りました。
「自身を光に変え水晶の乱反射に乗じて移動する。それが今回のあなたのトリック。そして黒色はあらゆる光を吸収して熱エネルギーに変換します。あなた自身の質量が炎となったのです」
火達磨になって床を転げ回る “道化師” をわたしは冷然と見下ろします。
「手品のタネは見破りました。あなたの負けです、“道化師” 」







