死闘! 撃剣血風、天と地と(中)★
“忍者”の必殺の貫手が、今まさに 極寒の竜息 を吐きつけんと開かれた “道化師” の口内に飛び込み、内側から頭骨を粉砕、脳髄をぶちまけながら後頭部へと突き抜けた。
ドーラが腕を引き抜くと、頭部を内部から破壊された “道化師” がよろよろと後ずさり、次の瞬間肺腑に溜め込みに溜め込んだ夜気を夜空に向かって還元した。
シュゴウウウウウッッッ!!!
主塔の屋上から、絶対零度の奔流が白色の光線のように、新月の闇夜を天頂へと切り裂いた。
たちまち塔頂は凍てつき、塵と呼ぶには大きすぎる細氷が、空の高みよりバラバラと落ちてくる。
世界が白く覆われていく。
致命の一撃 ……とはいかなかった。
死点をわずかに外された。
ドーラは大幅に生命力を減じたとは言え、未だ生命活動を停止していない “道化師” から慎重に間合いを取った。
彼女も無事ではない。
返り血を強かに浴びていた。
“道化師” を刺し貫いた右手が、腕の根本から石化していた。
生物にとって有毒極まる “道化師” の血に触れたからだ。
(……文字どおりの “返り血” だね、こりゃ)
内心で舌打ちをしながら、ドーラは左背に背負っていた予備の武器に、まだ自由になる方の手を伸ばした。
直刀の忍者刀ならぬ、“悪の曲剣”
“手裏剣” には及ばないものの、+3相当の魔法強化が施された凶悪な切れ味を有する魔剣だ。
しかしドーラが魔剣の柄に手を掛けるよりも早く、異変が起こった。
大粒の氷の結晶に混じって、あろうことか二体の “炎の巨人” が白く凍った夜空から降ってきたのだ。
肺腑の冷気をすべて吐き出した “道化師” の隠し球だ。
地下九階から連れてこられた “炎の巨人” は、三体いたのだ。
「結局はフルパーティだったってわけかい!」
物凄まじい轟音と共に、二体の “炎の巨人” が主塔に落下した。
土埃と氷片が大量に巻き起こり飛び散った。
そして始まる大倒壊。
ある程度の攻城兵器による攻撃を見越した設計がなされてはいるものの、落下の慣性がついた “炎の巨人” の激突――それも二体同時――に耐えられるほど、主塔”の強度は高くなかった。
崩壊は一瞬で始まり、拡大した。
ドーラは四散する瓦礫の中に投げ出され、破片を礫の如く浴びた。
同様に吹き飛ばされた “道化師” が、巨大な岩塊のような瓦礫の上で体勢を整えた。顔面に大穴が開き向こう側の景色が覗いている。
“道化師” が、ドーラ目掛けて瓦礫を蹴った。
ドーラも体を捻って、近くの塔壁の残骸を蹴る。
爆散し落下する瓦礫の中での、刹那の攻防。
“道化師” と交叉する瞬間、ドーラの視界の隅に見慣れた鈍く黒光りするそれが見えた。
頭を狙った “道化師” の錫杖を毛一筋ほどの間合いで掻い潜り、左手につかんだ “手裏剣” でその首を切り飛ばす。
致命の一撃 ! 今度こその!
“道化師” は現時点での生命活動を停止し、ドーラは崩れ落ちる主塔に呑み込まれていった。
◆◇◆
男は、何処とも知れぬ見知らぬ場所を歩いていた。
暗く、暗く、暗い。
冷たく、冷たく、冷たい。
ジットリと結露した分厚い岩盤の外壁。
いかなる者の仕業か、高熱の炎で炙られた跡の残る煉瓦の内壁。
ブーツの厚底を通してなお、硬い感触を返してくる石畳の床。
カビ臭く、湿った埃臭く、澱みに澱んだ古い墓地のような空気。
巨大な牢獄の如き文字どおり意味のダンジョン。
ここはいったいどこなのだ?
いや、そもそも自分は誰なのだ?
名前すら思い出せない。
身体は丈夫なロープで幾重にも縛られ、両手は後ろ手に厳重に拘束されている。
この場所といい……俺は罪人なのか?
そうだとすれば、よほどの重罪を犯したのだろう。
こんな 地下牢にこんな格好で置き去りにされるのだからな。
忽然と男の目の前に、人影が現れた。
背の高い、恐らくは一九〇センチを超える長身の美丈夫。
豪奢な金髪に病的なまでに白い肌。
壮麗な装束はまさしく王侯貴族のそれであり、藍の一色だけで鮮やかに染め上げられていたが、身を包むマントの裏地だけが深紅――鮮血のような赤を浮かべていた。
いや……マントの裏地だけではない。
藍の衣装に身を包む “|正体不明の存在《Unseen Entity》”
男を見つめるその瞳が、やはり血のように深い赤なのだ。
男は戸惑った。
目の前の藍色の装束に身を包んだ 怪人からは、明らかに人ならざる者の気配がする。
それなのに、なぜか懐かしい感じがするのだ。
知らない存在のはずなのに、ずっと以前から、そう、まるで生まれた直後から知っていたような……。
違う……そうじゃない。
そうじゃなくて、知っていたんだ。知っているんだ。
なぜなら、自分はこの “ 怪人” によって目覚めさせられたのだから。
自分があの寺院で目覚めたとき、傍らには確かにこの怪人がいたのだ。
そして “怪人” は男に――アレクサンデル・タグマンに、まるで口づけをするように、そっと耳打ちした。
その囁きにアレクはすべてを思い出し、そしてすべてを悟った。
“おのれ、ベンジャミン! そうまでして俺を亡き者にしたかったのか! そうまでしてあんなカビの生えた家の家督を継ぎたかったのか!”
あんなもののために、俺と仲間は殺されなければならなかったのか!
憤怒、憤怒、憤怒。
赫怒、赫怒、赫怒。
激怒、激怒、激怒。
激情が濁流となって、血の代わりに身体中の血管という血管を駆け巡った。
復讐!
そうだ、復讐だ!
俺を殺した者に!
仲間を殺した者に!
俺をこんな格好で、こんな場所に置き去りにした者に!
この世の生きとし生けるものすべてに!
復讐だ!
アレクの中に残っていた冷たい血が両眼に集中し、血涙となって零れた。
その涙はアレクの慟哭と共に止めどなく流れ続け、やがて枯れ果てたとき、彼の両眼は目の前の怪人同様 深紅に染まっていた。
そしてアレクに新たな命を授けた産みの親は、彼に誕生祝いの贈り物をした。
金色に輝く鎧と盾。
血臭の染みついた一振りの大剣。
アレクはそれらを身に着け、ついに呪われた鎧をまとう新たな “狂君主” と堕した。
口から漏れる呼気は、もはや獣の唸り声そのものであった。
その姿を見た怪人の端麗極まる口元に、耽美な笑みが浮ぶ。
マントを翻した次の瞬間 怪人 ――不死属たちの王の姿は、無数の蝙蝠となって迷宮の闇の中に消えていた。
◆◇◆
「……かゆい……うま……」
「どうやら、本当に “向こう側” に行っちまったみたいだな。アレク・タグマン」
雄牛を模した巨大な角を持つ兜の下に捜索対象だった男の顔を認めて、アッシュロードは不機嫌極まる表情で吐き捨てた。
――差し詰め、“不死の狂君主” ってところか。
性悪の魔女め!
ブオンンッ!
“不死の狂君主” の大剣がうなり、鍔迫り合いをしていたアッシュロードをいとも簡単に振り払った。
剣の腕だけなら互角……通常の状態ならば。
アッシュロードは、先程から再び激しくがなり始めた耳鳴りに顔を歪めながら双剣を構え直す。
昇降機 は上がったまま、戻ってくる気配はない。
もう一度スイッチを押して八階に戻すような “エチケット” を、初めて昇降機を使う娘たちに求めるのは酷というのものだろう。
なんとかしてスイッチを押し昇降機を呼び戻したいが――。
ギャンッ! ギャンギャンギャンギャンッ!
「――くっ!」
そんな暇は与えてはくれないようである!
十合、二十合と、激しく打ち合う “放蕩君主” と “不死の狂君主”
専用装備を調えることが出来れば、前衛職の中でもっとも低い装甲値を実現でき、もっとも盾役 に適した職業である君主。
しかし “悪に転じた君主” は違う。
仲間を守るどころか、自身を守る気すら更々ない。
あるのは相対する者のすべてへの圧倒的な殺意だけだ。
それ故に、その “装甲値” は裸同然の10。
それ故に、その剣技は魔的に冴える。
バキンッ!
交叉させ “不死の狂君主” の一撃を受け止めたアッシュロードの左右の剣が、鍔元から二本とも折れた。
「――!?」
トドメとばかりに振るわれた大剣を、間一髪無様に転がり避けるアッシュロード。
「はぁ、はぁ、はぁ……!」
転がり、立ち上がり、飛び退り、そして最後に残された武器である短刀を抜く。
抜くが――昇降機に近づいてゴンドラを呼び戻すことはできない。
昇降機の前には、金色の鎧の “狂君主” が立ち塞がっている。
――こんな短刀で近づいたら、なますに刻まれちまう。
駄目だ。
アッシュロードは気持ちを切り替えた。
凄みすら感じさせる切り捨て方で、昇降機”を使っての脱出を思考から捨て去る。
迷宮でのあらゆる未練が命を縮めることを、アッシュロードほど知り抜いている者はいない。
魔法は封じられている。
武器はへし折られた。
耳鳴りがやかましすぎて反吐が出る。
さあ、どうする?
相打ち狙いの自滅的特攻? 誰が。
万が一の慈悲を期待しての降参? アホか。
神様に祈る? 神はでーきれーだ。
だとすれば、残るはひとつしかない。
――ああ、ひとつしかない。
自問を終えたアッシュロードはくるりと踵を返し、背後の、つい先程抜けてきたばかりの 暗黒回廊目掛けて走り出した。
聴力を半分失い、その上視力までも完全に奪われる暗黒回廊に逃げ込むなど狂気の沙汰だが、それが一番生き残れる期待値が高い以上、躊躇する理由はない。
もちろん、転んでもただで起きるつもりはない。
あの娘たちと今から逃げ込む 暗黒回廊に入る直前に、扉がひとつあった。
パーシャの誘導でその扉は無視したが、アッシュロードの記憶が確かなら、その扉を抜けて進めば 魔法封じの間への転移地点があるはずだった。
そこまで誘い込めば、“不死の狂君主” の魔法だけでも封じられる。
諦めるつもりなど毛頭ない。
考え続ける限り、悪知恵の資源は無限なのだ。
その後のことは――その後で考える。
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ!」
――基点から右に二区画! 次も右に一区画!
暗黒回廊の中、耳鳴りと吐き気で蹴り飛ばしたくなるような頭でアッシュロードはパーシャのナビゲートを必死に思い出し、その反対に走る。
途中何度も倒けつ転びつ、その度に立ち上がって走る。
ゴオオオオッッッ!!!
後方で炸裂した “焔嵐” 熱風が、アッシュロードの髪を焦がし、肌に熱傷を負わせる。
咄嗟に呼吸を止めなければ、鼻腔や気管、さらには肺胞まで灼かれていただろう。
――だから君主なら剣で語れって言っただろうが!
その剣から逃げ回っているのがアッシュロードなのだが、今の彼にはそんな矛盾に気づく余裕はない。
だから、通常の状態なら察知したであろうその殺気にも同様だった。
石畳を叩くアッシュロードの騒々しいブーツの音を聞きつけ、暗黒回廊の闇に身を潜ませていた “中忍” の致命の一撃が彼の首筋を襲った。
必殺の間合いで繰り出されたその攻撃は、躱しようもなければ防ぎようもなかった。
暗闇の中、“中忍” は獲物を屠ったことを確信した。
その直後、屠ったはずの獲物が突き出した短刀で右目から脳を貫かれ息絶えた。
致命攻撃、石化、麻痺。単独行では即命取りになるあらゆる特殊攻撃が、アッシュロードには無効なのだ。
彼が “迷宮支配者の息子” と呼ばれる所以である。
再度の “焔嵐” を躱して、アッシュロードは七区画に渡る暗黒回廊を走破し、暗闇から抜け出した。
左一区画先に、目指す扉がある。
そこを抜ければ――。
だが、そこまでだった。
ガクンッ、と膝が砕けた。
体勢を立て直そうとしたが、それも叶わずにアッシュロードは無様に転倒した。
ついに彼の三半規管が完全にイカれたのだ。
立ち上がろうともがくが、ひっくり返るばかりである。
アッシュロードは汗と埃と血とカビに塗れた顔を上げた。
“漆黒の正方形” から金色の鎧をまとった “不死の狂君主” 姿を現す。
Aもやった。
Bも試した。
Cも駄目だった。
さあ、どうする?
アッシュロードはそこまで考えて、フッと笑った。
さあ……どうすっか。
Dは……もう思い浮かばない。
“役立たずここに眠る” ……か。
言い得て妙だ。
自分の墓碑銘にしては上出来だ。
――あとは今後のあいつのために、あの野郎の目玉のひとつぐらいかっぽじってやるか。
手元に残された短刀では、それぐらいが関の山だろう。
さあ、来い。来い。来い。もっと寄って来い。
“不死の狂君主” が、アッシュロードの求めに応じるように甲冑の音を響かせながら近づいてくる。
もっとだ。もっと。
そして、“不死の狂君主” が最接近し、右手の大剣を頭上高く振り上げたその瞬間、
――今っ!
ズッテン!
飛び掛かろうと身体を起こし、見事にずっこけるアッシュロード。
「……あら?」
彼の平衡感覚は、もはやまったくの “役立たず” になりさがっていた。
(……かっこわる)
彼はすぐにでも訪れる自分の死をその目に焼き付けようと、頭上に振り上げられた大剣を見上げた。
しかし死に際して感覚が鋭敏になっているのか、なかなかその瞬間は訪れない。
剣を振り上げたままの “不死の狂君主” を見上げて、やがてアッシュロードは笑い出した。
ついに狂気に憑かれたのか、しまいにはゲラゲラと腹に手を当てて転げ回るアッシュロード。
いや違う。
否。
断じて否。
腹に手を当てての大笑は、希望への――勝利への笑いだ。
アッシュロードは涙に滲んだ目で、“漆黒の正方形”からヌッと現れる人影を見た。
鎖帷子の上にまとった白い僧帽と僧服。
手には戦棍と盾を携え、髪と同じ黒い瞳に決戦に向けた強い意思を湛えた僧侶 。
その僧服の少女が厳かに口を開く。
「レディ、パーフェクトリー」
満を持しての真打ち登場!
“決着の時” 今こそ来たれり!
「――エバ・ライスライト、推して参ります!」
......To Be Continued.







