3・3・6★
「“毛玉” !」
迷宮の宙空に漂い溢れるそれを見て、スカーレットの苛立ちは頂点に達した。
急がなければ “破滅蛙” に丸呑みされたミーナに腐毒が回ってしまうというのに、次から次へと現れる魔物に遮られて蛙の腹を裂けなかった上に、ようやく捉えたかと思えば最後に現れたのが、その次から次への代名詞だったのだ。
“毛玉”
名前どおり、宙にふわふわと浮かぶ “毛玉” 状の存在。
この珍妙な、魔物ともいえない貧弱な生物は、攻撃力0、装甲値10(最低値)、生命力1と、およそ魔物の体をなしていない。
ただ耐呪率は一〇〇パーセントで、呪文も加護も完全に無効化する。
そしてその最大の特徴は、微かな空気の振動にさえ怯えて分裂することだ。
近づくだけで伝播した大気の揺らぎに刺激されて、倍々の勢いで増殖していく。
まさしく次から次へと増えていくのだ。
経験値も無いに等しく、遭遇した探索者たちは皆一様に回れ右して迂回する。
まともに斬り合う馬鹿などいない。
だがそれ故に、この状況では最も出会いたくない魔物だった。
「ええい、こんな時に限って!」
スカーレットが顔面を朱に染めて、魔剣の腹で最初の一匹を消し飛ばす。
周囲に漂う “毛玉” がおののいて、ポンポンポンと分裂する。
ゼブラやノエルにしても同じだった。
三匹倒し、六匹増えていた。
「これじゃ元の木阿弥ね」
ヴァルレハが焦燥に炙られる声を漏らした。
呪文は一切通らない。
杖で殴りつければ、その分だけ数を増やしてしまう。
ドスンッ……ドスンッ……ドスンッ……!
壁のような “毛玉” の大群に遮られて、“破滅蛙” の腐った背中が遠ざかっていく。
「待て! 待たないか!」
滅多矢鱈に剣で振り回しながら、スカーレットが怒号する。
しかしその声にさえ震えて、“毛玉” がさらに分裂した。
「「「「「ミーナ!」」」」」」
仲間たちは絶叫し、遮二無二に血路を拓こうとするも、指数関数的に増殖していく無害な生物に阻まれ、追うことができない。
溺れた人間がパニックになって、ますます水を飲んでしまうように、パーティは “毛玉” の中でもがいた。
やがて盗賊の少女を呑み込んだ不死属の “大蛙” は、のっそりした動作で、焦りに溺れるパーティの視界から消えた。
◆◇◆
縄梯子を登りきると、そこは東西二区画、南北一区画の玄室だった。
探索者パーティ “フレッドシップ7” は、天然の鍾乳洞を利用した四層を突破し、ようやく第三層に辿り着いた。
探索者たちは長い登攀を終えた直後、隠しようのない疲労を覚えた。
気抜けにも似たこの脱力感は、数々の修羅場を潜ってきた熟練者たちであっても抑えきるのは難しい。
レトグリアス・サンフォードは、キャンプを張っての休息を指示した。
レットのパーティレベルでの指揮能力は、百戦錬磨の迷宮無頼漢であるグレイ・アッシュロードも買っていて口を出すことはない。
パーティは魔除けの魔方陣の中で、文字どおり一息吐いた。
「――北と南に扉があるでしょ。南の扉の先の座標が “E14、N13”、これはガブが察知した “退魔の聖剣” の玄室で間違いないよ」
“示位の指輪” を使ったパーシャが、現在位置を確認した。
三層に跳んだ “緋色の矢” が “退魔の聖剣” を撃破したことは、アッシュロードとパーシャがクレバスに落ちた際に嘆願された “探霊” で確認されている。
自分たちと同様に “転移” を封じられ、徒歩で地上を目指しているに違いない。
「見ろ、ミーナの傷文字だ」
ジグが目敏く、同業者の少女が残した伝言を北の扉に見つけた。
それは自分たちの無事と、跡に続く他のパーティへの言葉だった。
“緋色の矢は全員意気軒高。聖剣は我の手にあり”
ジグリット・スタンフィードは、若い娘たちを魅了する甘い口元緩めた。
レベルが13になって熟練者に認定にされた際に、
『言っとくけど、レベルが並んだからってわたしが先輩であることには変わりないんだからね。そこんとこ忘れないでよ』
わざわざ言いに来たのがミーナである。
一六歳といえばジグよりも五歳年少で、彼の守備範囲からは外れていたが、それが却って兄のような感情を彼に抱かせていた。
「抜けるなら北の扉だな。階層を上がるごとに魔物が弱くなるのは助かるぜ」
「油断するな。三層でも “紫衣の魔女の迷宮” の下層と同程度が出現するはずだ」
レットが窘めるともなく話の穂を接いだ。
「一階からして、だもんね。“滅消” が効きづらいのが辛いよ」
焼き菓子を囓りながら、パーシャが言った。
器用にも食べながら、地図を描き込んでいる。
メンバーたちはホビットの少女に倣って、各々水や食料を口にした。
「北の扉を抜ける前に南の扉を確認しよ。“K.O.D.s” の室は確認しておかなきゃ」
“退魔の聖剣” をミーナたちが手に入れた以上、生命を吹き込まれた物に遭遇する心配はない。
地図の空白を埋めていくのは、生還への一里塚でもある。
仲間たちに否やはなく、短い休息を終えてキャンプを解除すると、パーティはまず南の扉を開けた。
そこは一×一区画の最小の玄室で、強化煉瓦製の壁の一画に深い傷が残っていた。
「……おそらくは “退魔の聖剣” が突き刺さった跡だろう」
カドモフが傷痕を調べて呟いた。
「西にある扉の奥が、本来の再出現地点だと思う」
西の扉の奥もやはり一×一の最小の玄室で、なにもなかった。
パーシャの見立てでは、本来はこの部屋に階層の別の座標から転移してきて、次室 “退魔の聖剣” と対決するだろうとのことだった。
パーティは引き返し、縄梯子のある玄室の北の扉を開けた。
「一方通行だ」
殿に就くアッシュロードが、たった今潜ったばかりの扉を確認していった。
「OK~」
パーシャが早速、羊皮紙に描き込む。
地図係の例に漏れず、パーシャも地図を埋めていく快感が大好きだった。
北の扉を抜けると、広大な広間だった。
二区画先に、東西に延びる長大な内壁が続いている。
あの壁の向こうがすでに探索を終えた、既存の区域だ。
「どうするの、レット。あの壁が外縁なら、もう固める必要はないけど」
フェリリルが訊ねた。
未踏破区域を探索する際に、区域の外縁をまず固めるのはセオリーのひとつだが、今回に限ってはすでに完了している。
「帰還を優先する。数区画ならいいが、この広間はついでに埋めるには広すぎる」
レットは即断した。
パーシャは残念そうな顔はしたが、もちろん反論はしない。
「既存区画への扉は、“E6、N16” の北側だよ」
パーシャに誘導されて、パーティは一路既存エリアを目指す。
先陣を切るのは、斥候 を務めるジグ。
致命的な魔物の ”奇襲攻撃 !” を避けるべく、五感を研ぎ澄ませて進む。
やがて目的の扉というところで、ジグの五感のセンサー、特に嗅覚が反応した。
いや、ジグでなくともこの臭気には誰だって気づくだろう。
腐肉の放つ、強烈な腐敗臭。
「不死属、遭遇 !」
ジグは警句を発し、素早く腰の後ろから短剣 を抜き放った。
現れたのはガスで膨満しているのだろうか。
巨大な腹を抱えた、まるまると太った “破滅蛙”
数はわずかに一匹。
レットが戦闘開始を指示すると同時に、ジグは疾った。
(仲間の手を煩わせるまでもねえ。膨らんだそのドテっ腹に突き立ててやる!)
短剣を鍔元まで深々と突き立て、そのまま中身ごと一気に掻き裂く。
鈍重な腐った蛙を前に、ジグは勝利を確信した。
◆◇◆
最下層には、イベントが発生する “曰くつきの小部屋” が三ヵ所ある。
加えてさらに二ヵ所あり、一室が “役立たずここに眠る” との墓碑銘が刻まれた、苔むした墓。
これはアッシュロードとエルミナーゼが “魔軍参謀” と遭遇した小部屋である。
最後の一室が五つの “K.O.D.s” を集めた勇者が単独で訪れることで、ニルダニスから神器 “女神の杖” を授かり、当代の “運命の騎士” に任じられるこの迷宮で最重要の玄室―― “試練の部屋”だ。
この “試練の部屋” の先こそ “魔太公” の玉座がある裏区域であり、“K.O.D.s” をまとった “運命の騎士” でなければ立ち入ることができない禁域であった。
一党が目指しているのは、“僭称者” が潜んでいると思われる “苔むした墓” がある四つ目の玄室である。
“試練の部屋” は今回の目的が “僭称者” の討滅である以上、意味を持たない。
“苔むした墓” は表区画にあるからだ。
一党はすでにふたつの小部屋を到達し、それぞれでイベントを起こしていた。
ひとつめの室では、
“王たる者が求めしは力。立ち塞がる敵を討ち滅ぼし付き従える味方を隷従させる。されどそれ故に、騎士は背を向ける”
という謎解きの一端と思える散文詩を聞き、ふたつめの室ではニルダニスを模した彫像から、強力な装備である “光りの杖” を授かった。
今ドーンロア一党は、三つ目の小部屋を目指して最下層の表区域を進んでいた。
①ドーンロア
②女騎士
③僧侶
④魔術師
⑤盗賊
の一列縦隊である。
前衛の一画を担っていた重騎士が倒れたことで、後衛でありメインの回復役である僧侶が前衛に立たなければなくなっている。
本来ならば中衛である盗賊が代わりに立つところだが、盗賊には俊敏さを活かし、“伝説の籠手” に封じられている最強呪文を放つ役目がある。前衛には立てない。
それに表区域に限っていえば、ドーンロア自身が知悉していた。
二〇年前の騒乱のおりに、即位前のマグダラに率いられて表区域を踏破したのは、他ならぬドーンロアだ。斥候 を立てる必要は薄かった。
一党は “君主の聖衣” をまとう勇者ドーンロアの圧倒的な剣技と、“伝説の籠手” に封じられた無尽蔵の “対滅” の呪力で立ち塞がる魔物の群れを蹴散らし、やがて三つ目の玄室に到達した。
入口を調べ、危険の有無を確認するや蹴破って突入した一党の頭上に、またしても大音声が轟いた。







