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迷宮保険  作者: 井上啓二
第二章 保険屋 v.s. 探索者
62/658

真相★

「パーシャを頼む」


 アッシュロードが背負っていたホビットの少女をフェルに預けた。

 戦棍(メイス)を腰に吊るし、友人の魔術師を代わりに背負うフェル。

 アッシュロードが友だちを “がきんちょ” ではなく名前で呼ぶときは、これ以上ない危機的状況だということを、フェルはもう理解していた。

 そしてアッシュロードにしては珍しく優しい眼差しを、自分の役目(ナビゲーション)を終えて意識を失っていたホビットの少女に投げ掛けた。


「残念だったな。せっかく()()()()出会えたってのに」


「……本物(モノホン)……」


「ああ」


 アッシュロードはフェルから金色の鎧を身にまとう君主(ロード)に向き直り、(ロングソード)を抜いた。


 迷宮最下層に、最強格の “六大の魔物” あり。

 魔女(ダンジョンマスター)の片腕にして、不死属(アンデッド)たちの王である “真祖”

 蓬莱(ほうらい)より()()されし、忍者たちの頭領 “達人”

 魔女に次ぐ実力を持ち、迷宮の魔術師たちを束ねる “大魔導師”

 人の歴史を縦に紡ぐ悪意の糸、妖魔にして地獄の大道芸人 “道化師”

 名を出すことも(はばか)られる大悪魔、“災禍をもたらす者”

 そして、高潔なる人格を持ちながら暗黒面への誘惑に負けて闇堕ちし、魔物と化した金色の “狂君主”


 その “狂君主” ―― “レイバーロード” が、彼らの眼前に立ち塞がり昇降機(エレベーター)への道を閉ざしていた。


「俺が奴を抑える。その隙にあんたとパーシャは昇降機に駆け込め」


「そんな!?」


 フェルは絶句した。

 戦うのなら、せめて自分も一緒に!

 そのような強敵を相手にするなら、一対一よりも二対一の方がまだ勝算はあるだろう!


「奴は君主のくせして、魔術師(メイジ)の呪文も使う。今のあんたらの生命力(ヒットポイント)じゃ一網打尽だ」


 “狂君主” は君主でありながら、身にまとう呪われた鎧の力で第五位階までの魔術師系の呪文を操ることができる。

 第五位階の “氷嵐(アイス・ストーム)” や、第四位階の “焔嵐(ファイア・ストーム)” “凍波(ブリザード)” の呪文を喰らったら、今のフェルやパーシャの生命力ではとても耐えられない。

 それはもう戦闘ではなく、虐殺だ。


「持ってけ」


 アッシュロードは “狂君主” に視線を向けたまま、剣を握ってない左手で懐から何かを取りだし、後ろ手にフェルに手渡した。


「これは……」


 フェルの掌で青く輝くそれは、受付嬢のハンナ・バレンタインがエバ・ライスライトに託した物と同じ品だった。


 “青の(BLUE )(RIBBON)


「そいつがあれば四階の昇降機前の扉が開く。あとは “滅消の指輪” を上手く使えば地上に戻れる」


「……グレイッ」


 フェルは泣きそうになった。

 いや、いっそのこと、ここで泣き出してしまいたかった。

 男のファーストネームを呼んでしまったことにすら気づかない。

 自分にこれを手渡すということは、アッシュロード自身は例え “狂君主” を突破できたとしても、四階から出られないということだ。


「……どうして」


 ついにフェルの青い瞳から涙が零れた。

 あなたは “悪” でしょうに!

 パーティの一員でもないわたしたちのために、命を犠牲にする理由はないでしょうに!


「…… “善”とか “悪” とかそういう以前に、保険屋は契約者の信頼を裏切っちゃいけねえんだ。そういう風にできてるんだ。それを破っちまったら、何が何だか分からなくなっちまう」


 アッシュロードは知っている。

 自分が取るに足らない無頼漢でしかないことを。

 

 家族もいない。

 恋人もいない。

 友人もいなければ、仲間もいない。

 人を愛してもいない。


 そんな虚ろで灰のような自分を、辛うじて自分たらしめているもの。

 グレイ・アッシュロードという人間の輪郭 を、辛うじて保っているもの。

 それが迷宮保険屋という稼業だった。

 だからアッシュロードはパーティの仲間でもない、属性の違うふたりの小娘たちのために――あの娘のために命を張る。


 戒律だからではない。

 主義だからでもない。

 俺が俺だから、剣を抜くのだ。

 俺が俺であるために、剣を振るうのだ。

 それがグレイ・アッシュロードという男だった。


 アッシュロードは自由になった左手で短剣(ショートソード)を抜いた。

 同時に “狂君主” が、獣の唸り声の如き低い発声で呪文の詠唱を始める。

 魔術師系第五位階の攻撃呪文 “氷嵐(アイス・ストーム)” だ。

 あんなものを喰らったらエルフとホビットは、瞬く間に精緻極まる氷像と化してしまう。


「邪魔だ! はやく行け! 行かねえと、その小さな尻を蹴り飛ばすぞっ!」


 左右大小の剣を煌めかせて、アッシュロードが突進する。

 “狂君主” が巨大な剣と盾で、ガキッ! と保険屋の連撃を受け止め、弾き飛ばした。


「おめえも君主()なら、魔法(言葉)じゃなく()で語れや!」


 “狂君主” に呪文を唱える隙を与えぬため、攻めて攻めて攻めまくるアッシュロード。

 その背中に、フェルの涙混じりの声が届く。


「――必ず、必ず、戻ってくるから! 必ず!」


 友人のホビットを背負ったエルフの少女が、斬り結ぶふたりの君主の横を走り抜け、昇降機へと駆け込む。

 脇目もふらず一番上のスイッチを押し込むと、ゴンドラの上下に備え付けられた巨大な磁石に魔力が流れ、水面を伝う蛇のような滑らかな動きで上昇を始めた。


「……必ず、必ず戻ってくるから……必ず!」


 昇降機の床に(くずお)れるように座り込むと、フェルは肺腑から絞り出すように繰り返し、そして慟哭した。


「……期待しないで待ってるぜ!」


 ニヤリ……と口元を歪めると、アッシュロードは飛び退り “狂君主” との間合いを取った。

 これでようやく、背中を気にすることなく剣を振るうことが出来る。

 うなじの毛がチリチリと逆立ち、臓物(はらわた)がキュッと収縮するような感覚。 

 純粋な死の強制と殺意の応酬。

 これぞ迷宮だ。

 俺はこれが大好きだ。


 それは、どうやら相手も同じらしい。

 雄牛を模した太く長大な角を持つ兜の下で、“狂君主” の狂気を宿した双眸が赤く煌めいた。

 その時になって、アッシュロードはようやく自分が対峙している “君主” の正体がわかった。


「テメエ……アレクサンデル・タグマンか!」


「……かゆい……うま……」


 完全に正気をなくし亡者と化したかつての探索者が、ゆっくりと手にする大剣の切っ先をアッシュロードに向けた。


◆◇◆


 ドーラはタグマン城の主塔(ベルクフリート)を、その頂上を目指して登っていく。

 まるで天空に続く階段を延々と登っていくような感覚に、いつもは地下のカビ臭い迷宮を這いずり回っている自分にしては上出来の舞台だ――と思った。

 さらに、


 あの男は――アッシュは今ごろどうしてるだろうか?

 目論み通り、アレクサンデル・タグマンを確保できただろうか。

 それともまた例のお人好し振りを発揮して、あのヒヨコたちに先を越されでもしただろうか。

 もしそうなら、恐い恐いお仕置きが必要だ。

 どちらにしても今自分は天を目指し、あの男は地の下だ。

 似通っているのは、血風が吹き荒んでいること。

 あるいは、これから吹き荒ぶことだけだ。

 

 やがてドーラは永劫に続くかと思われた階段を登り切り、主塔の屋上に出た。

 胸壁の上。

 鋭い新月刀(シャムシール)のような三日月を背に、“道化師” が典雅に頭を垂れていた。


挿絵(By みてみん)


“お待ちしておりました。ドーラ・ドラ様”


“わたくしめの用意した余興は、お楽しみいただけたでしょうか?”


 鼓膜にではなく直接頭の中に響いてくるしゃがれ声 。


「腕が鈍ったようだねぇ。それとも今までが()()()だったのか。とにかく、あんなんじゃ準備運動にもなりゃしないよ」


“ははは、これは相変わらず手厳しい。いや、だからこそわたし自らおもてなしをする甲斐があるというもの。では、早速に”


「ちょほいとお待ち。女を前に鼻息の荒い男は最低だよ。あたしと遊びたいなら、その前に約束どおり話してもらおうじゃないか。事の真相ってやつを」


“そうでした。そうでした。これはわたくしとしたことが失礼をばいたしました”


“ですが真相とおっしゃいましても、かの者たちが自身の口で申したことがほぼほぼ全てございまして、これ以上何をお話すればよいのやら、はてさて”


 相変わらず話がさっぱり進まない。


「そこはもういい。嫡子(後継者)が死んだタグマン家の跡目争いだってことは理解してる。無能な次男()が出来の良い三男()に怯えた挙げ句、闇商人から買った獣人(ライカンスロープ)の刺客を放ったこともね。つまらないったりゃありゃしない」


 あたしが聞きたいのはそんなことじゃない――とばかりに、ドーラはバッサリと斬って捨てた。


「あたしが聞きたいのは、穴蔵の底(迷宮最下層)で三文芝居を演じているおまえが、どうしてこんな辺鄙な場所まで出張ってきたのか、その理由だよ。おかしいじゃないか。辺境貴族のお家騒動があんたに――あの魔女になんの関係があるっていうんだい」


“理由は単純なものです。ご機嫌を損ねたのですよ。我が主、美しくも気高き大魔女アンドリーナ様のご機嫌を”


「……?」


“あの城塞都市は、アンドリーナ様とトレバーン陛下が指しつ指されつ、二〇年に渡って遊戯(友誼)を楽しんでいる盤上。そこに一手先も読めない無粋な指し手が、訳も分からず自分の駒を打ってきた。如何に寛容なアンドリーナ様といえど、ご機嫌を損ねるのは無理からぬこと”


「アンドリーナとトレバーンが友誼だって?」


 アンドリーナが邪魔さえしなければ、トレバーンはとっくにこの “アカシニア” 全土を統一していたはずだ。

 トレバーンにとってアンドリーナは、自分の野望を阻む憎んでも飽き足らぬ言わば仇敵のはず。


“トレバーン陛下にとって世界征服は、野望でもなければ目的でもございませぬ”


 ドーラの心を読んだ “道化師” が話を先んじた。


「ほう、それじゃなんだって言うんだい?」


“トレバーン陛下の目的は、ご自身の退()()()()を紛らわすこと。上帝陛下はあまりにも卓越した才幹をお持ちなって生まれたが故に、あらゆる事柄が見通せ、あらゆる者が敵にならず、それ故に人生に倦んであらせられる。まことにお労しい限りです”


“およそ人の身に生まれた者(モータル)にとって、世界を統べる事業こそもっとも困難な道行き。あのお方が覇王への道を歩まれたのも必然なのです”


 ドーラの腹の底がザワついた。

 世界征服が目的でなく手段だって?

 それじゃ何かい、あたしの故郷は、あの男の退屈しのぎのために焼かれたっていうのかい?


“わが主アンドリーナ様はご学友だったそんなトレバーン陛下に同情し、年来の御友誼もあって陛下の好敵手役を買って出られたのです。まことに麗しき御友愛と言えましょう”


“もちろんアンドリーナ様は、ただご機嫌を損ねただけではござりませぬ。すべてを見通せるということでしたら、あのお方はトレバーン陛下すら足元にも及ばぬ方。今回のベンジャミン・タグマンの無作法な振る舞いも、ご自身の()の中に組み込んでしまわれました”


「それがアレクが寺院から消えた理由かい」


“ご明察!”


「それで哀れで愚かなベンジャミンは、血相を変えて探索者ギルドに駆け込んだってわけか」


“然り、然り。本来であれば、自らが差し向けた獣人たちの手に掛かった弟の死体を引き取り、人知れず処分するつもりだったのでしょう。ですが肝心の死体が寺院から消えてしまった。そして大層慌てふためき、ドーラ様の仰るとおり探索者ギルドに依頼を出したというわけです”


「それだけじゃないだろ。それは手段がもたらした結果に過ぎない。アンドリーナが アレクを寺院から連れ出した目的はなんだい?」


“そこまで察しがついておられるなら、もうご自身の中に答えがお有りのはず。()()()()()()()()() ()()()()()のあなた様なら。いえ、()()()()()()()()()ですかな?”


「……狙いは、アッシュロードか!」


“またしてもご明察!”


“然り! 然り! またしても然り!


“今頃かの御仁は魔法を封じられ、未熟な者たちと共に地下八階で立往生しているはず”


 そして “道化師(フラック)” は、アンドリーナが画策しているすべてをドーラに語った。

 “道化師” が語尾を結ぶより速く、ドーラは跳躍していた。


 月光乱舞!


 新月に “手裏剣(苦無)” が煌めき、“道化師” の首を狙う。

 しかし “道化師” の語った真相は、冷徹な戦闘機械であるはずの 忍者(くノ一)の腹をザワつかせていた。

 刹那の直後、

 飛ばされたのは “道化師” の首ではなく、”苦無” を握るドーラの右腕だった。



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― 新着の感想 ―
[一言] 最強格の五体と言いつつ六体……はっ、これはカーディナル・ファングの元ネタにちなんだアレなのでは…… *シナリオが ちがいます*
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