3・4&?・6★
「聖なる盾よ、ご加護を!」
緋色の髪の女戦士が嘆願すると、かざした盾から柔らかな光が発せられた。
“伝説の盾” に封じられた “大癒” が解放されて、浅手を負った女人族の戦士をたちどころに癒やす。
「どうだ?」
スカーレットの問いに、ゼブラが黙って首肯する。
「他に回復したい者はいるか?」
盾を手に女戦士が確認する。
誰もいなかった。
“豚の王” の群れを一蹴した “緋色の矢” は、ゼブラが軽い傷を受けたほかは無傷で切り抜けていた。
「ほんと、凄い盾よね、これ」
盗賊 のミーナが、発光が治った聖銀の盾を前に感嘆しきりにうなずいた。
五つある “K.O.D.s” の中でも、迷宮での活動が長期に及んだ場合、盾に封じられた “大癒” の無限使用ほど心強いものはない。
加えて盾自身にも “癒しの指輪” と同等の回復効果があり、まさしく所持する者を守る “盾” に相応しい能力だった。
「編成上の判断で割り振られたが……この盾が本当に必要だったのは、他のパーティだったかもしれない」
スカーレットは “伝説の盾” の力に感謝しつつも、より困難で長時間に亘る帰還を余儀なくされた他のパーティを慮った。
自分たち “緋色の矢” には、回復役がノエルひとりしかいない。
四階を担当する “フレッドシップ7” にも五階を担当するドーンロアの一党にも、サブ回復役の君主がいた。
回復の薄さを補うために指揮官のアッシュロードの判断で回された装備だったが、地上への道程の差を思うと今となっては悔やまれる選択だったかもしれない。
(詮無きことだな)
スカーレットは頭を振って、迷いを打ち消した。
結局は恋人であるレトリグリアス・サンフォードの身を案じるが故の思考だ。
今の自分が成すべきは一刻でも早く地上に戻り、女王マグダラに報告、その判断を仰ぐことだ。
そして場合によっては、独断ででも迷宮にとって返し、仲間たちを救出する。
「よし、進発するぞ」
まもなく、第三層の未踏破区域は越える。
数区画先に見える扉を潜れば、マッピング済みの区域に出られる。
まずはなによりも自分のパーティを生還させること。
それが、この場にいない仲間たちの援護につながるのだ。
しかし、地上への道のりは依然として厳しかった。
「徘徊する魔物、遭遇 !」
スカーレットは叫び、舌打ちして魔剣の鞘を払った。
「邪魔だ! わたしの活路を塞ぐ者は、何人であろうと斬り伏せる!」
◆◇◆
「大丈夫、ふたりは生きてる!」
エルフの僧侶は冷静だった。
突然ふたりの仲間を呑み込んだ陥没事故を前に、ただちに “探霊” の加護を嘆願。
いきなり口を開けた暗黒に呑み込まれたホビットの娘と、彼女を追って飛び込んだ黒衣の男の生存を確認した。
「ったりめーだ! あのふたりがそう簡単にくたばってたまるか!」
盗賊 のジグが、フェリリルに叫び返した。
慌てては見えるが、陥没した床に駆け寄って覗き込もうとした仲間たちを押し止め二次災害を防いだのは、斥候 を兼ねるこの男だ。
陥没箇所は瞬く間に拡がり、今では巨大なクレバスになっている。
「ロープを! それにハンマーとハーケンだ!」
指示を飛ばすリーダーを押し止めたのは、若きドワーフだった。
「……待て。壁も床もグズグズだ。楔を打ち込んだところで簡単に砕けて抜ける」
レットはハッと、洞窟については誰よりも熟知しているドワーフの戦士を見た。
カドモフは周囲を見渡しながら、編み込んだ黒く艶やかな髭の奥で、口元を厳しく引き結んでいる。
「……これなら、俺たちが直接確保する方が確実だ」
レットはうなずき、フェリリルに訊ねた。
「ふたりの深度は?」
「約三区画」
「三区画(三〇メートル)だって? 下の階層も突き抜けてるじゃねーか」
頓狂な声で反応したのは、ジグだった。
迷宮の各階層は約一〇メートル厚の岩盤で区切られている。
そして床から天井までの高さもまた、約一〇メートル。
パーシャとアッシュロードが三〇メートル落下して生きているというなら、直下の第五層を支える土台の岩盤にめり込んでいることになる。
「……おそらく迷宮の歪みだろう。魔法のことはよくは知らぬが、この鍾乳洞自体がどこか別の土地にあり、魔法で四層として繋げているのだろう」
いけ好かん……と最後に付け加える、カドモフ。
魔法で洞穴を迷宮の一部にするのも気に食わないし、さらに手を加えて崩れやすくしていることも気に食わない。
若きドワーフ戦士は、迷宮支配者の首を斧でちょん切ってやりたくなっていた。
「逆に幸運だ。お陰で墜落死を免れた」
レットは背負っていた大容量の背嚢を下ろすと、五〇メートルのシングルロープを取り出した。
一巻きで迷宮金貨一〇〇枚と値が張るが、森エルフの職人が伝統的な手法で結っただけあり、軽くて丈夫、さらに細めでかさばらない迷宮探索の必需品だった。
パーティはカドモフの目利きに従い、一応は安全と思われる地点まで退いた。
レット、ジグ、カドモフの屈強な前衛で確保したうえで、レットが陥没点に叫ぶ。
「ロープ!」
向かってロープが投げ落とされた。
あとは手応えがあるのを待つばかりだ。
……ブ……ゥゥゥ……ン……。
間もなくして返ってきたのは、誰かがよじ登ってくる感触ではなく、うなじの毛が逆立つ低周波音だった。
不快にして不吉。
人間なら誰もが一度は聞いたことがあり、怖気を震った――羽音。
その羽音が徐々に大きくなり迷宮を揺るがすほどになったとき、亀裂から無数の、巨大な地蜂が浮上してきた。
亀裂の中では一足先に、アッシュロードとパーシャが総毛立っていた。
クレバスの内壁にへばりついている彼らの周囲を、数え切れないほどの “迷宮地蜂” が取り囲んでいた。
「……がきんちょ、俺は今手が離せねえ。おめえがなんとかしろ」
「……おっちゃん、手が離せねえのはあたいも同じなんだけど」
黒衣の男は岩壁にへばりつき、ホビットの娘はその黒衣の男にへばりついている。
「……俺はブッ刺されるのは苦手だ。おめえはブッ刺すのが得意だろう」
「……ブッ刺されることと、ブッ刺すことに、因果関係はないんだけど」
「……」
「……」
「「……」」
「とにかくなんとかしろ! 俺は今手が離せねえんだ!」
堂々巡りの末に、アッシュロードが怒号した。
「そんなこと言ったって、あたいの “ぶっ刺すもの” は、おっちゃんが壁に突き刺しちゃってるじゃないの!」
「ホビットっていやぁ、蜂だろうが! 蜂蜜漬けの菓子を食い過ぎて、虫歯になって泣いてたのはどこのどいつだ!」
「あたいたちが好きなのは養蜂で育てたミツバチだい! 虫歯はエバの “神癒” でとっくに治ってるやい!」
ブンンッッッ!
「「うおっ、危ねえっ!!!」」
“迷宮地蜂” の初撃をからくも躱し、アッシュロードとパーシャがユニゾンする。
重ね合わせたように跳ね上がる心拍数。
「こうなったら二人羽織だ。俺が登るから、おめえがなんとかしろ!」
「それじゃ全然変らないでしょ!」
「ああ言えばこう言う! その頭よりも先に生まれてきた口を使えっていってんだ! おめえの職業 はなんだ、がきんちょ!」
パーシャは、ハッと我に帰った。
自分は武器を手に戦う戦士ではなく、魔法の力で戦う魔術師 だ。
でも呪文を唱えるには韻を踏むだけでなく、印を結ぶ必要がある。
両手が塞がっているこの状況では使えない。
(それなら!)
「あんたの出番だよ、“ いとしいしと Mark III” !」
パーシャは魔法の指輪を嵌めた左手を蜂群にかざして、封印された力を解放するキーワード、“真言” を発した。
――彼の敵を、滅せよ!
これで自分たちを取り囲んでいる蜂の群れは、一匹残らず塵と化すはずだった。
しかし……。
何も起こらない。
巨大な地蜂の群れは、ブンブンと死をもたらす羽音を発して、悠然と飛んでいる。
「……がきんちょ、おめー、相手のレベルを確認したか?」
「……あ」
パーシャは、呆けた。
“紫衣の魔女の迷宮” では昆虫系の魔物= “滅消” の好餌だったので、なんの躊躇いもなく “滅消の指輪” を使ったのだったが……。
そして、
「ギャーッ! おっちゃん、こいつらネームド、ネームド!」
自分の壮絶な勘違い、早とちりに気づいて絶叫した。
“迷宮地蜂” のモンスターレベルは9.
“滅消” の呪文が生成する有害物質など、ものともしない。
◆◇◆
女騎士は主君ドーンロアの背中越しに、立ち塞がる巨大な影を凝視した。
それは確かに “巨人属” の影であったが、魔素という名の濃密な瘴気に歪められ、輪郭が霞んでいる。
(この階層に出現する巨人族――なんだ? “腐乱巨人” か? いや、それなら鼻がもげるほどの強烈な腐敗臭がするはず――)
認知力の低下に戸惑う女騎士の眼前で、巨大な影が揺らいだ。
揺らいで空気のように薄らいだ。
(くっ、最下層ではこうまで認知力が低下するのか――いや、違う!)
女騎士が奇跡的な反応速度で身をよじった刹那、鼻先を巨大な質量を持つなにかが烈風の速度で通過した。
風圧で整った顔面が歪んだどころか、重装備の彼女を吹き飛ばした。
涙で滲む視界の中、再び巨大な影が輪郭を現す。
青く透き通った、半透明の巨躯。
「“大気巨人” !」
その巨体ゆえに巨人と呼ばれるが、風の精霊の眷属。
名前どおり大気に溶け込み、実体を消し去ることができる。
しかし巨大な素拳の一撃は、生粋の巨人族の中でも特に重い攻撃を加えてくる “土塊巨人” の実に一・八倍、最大180ポイントにも及ぶ。
熟練者の戦士の命さえ容易に刈り取る、物理的な攻撃力では迷宮屈指の強大さを誇る魔物だ。
精霊界最強の “風の大王” の一族だけに、魔法への抵抗力も高く、“高位悪魔” に匹敵する、九五パーセントの耐呪能力を持つ。
生命力は160で固定。
対物理・対魔法ともに極めて高い耐久力を誇っている。
その強大な魔物が五体。
最大出現数で立ち塞がっていた。
「心せよ、一撃でも受ければ死ぬぞ」
言うや否や、ドーンロアが先頭の首を斬り跳ねた。
“君主の聖衣” がもたらす、剣技の冴え。
魔性の斬れ味が、本来君主が持ち得ない致命の一撃 を現出させる。
血の雨が、頭上から降り注いだ。
「我が一党なら生き延びてみせい」
強大な敵を一刀の元に屠った主君が、振り返るでもなく告げた。







