上・上・下★
“マジックソード” がいた玄室には、北と西に扉があった。
北の扉の先は二×一区画の玄室で、第五層への縄梯子と北に脱ける扉があった。
西の扉の先は一×一区画の玄室で、隠し扉を含めた扉はなく行き止まりだ。
地図係のヴァルレハが言うには、
『西の玄室はおそらく再出現地点でしょう。この階層の別の座標から転移してくる』
縄梯子の垂れる玄室にある北に脱ける扉が一方通行だったことから、それは間違いなかった。
縄梯子の玄室、再出現の玄室、そして “マジックソード” の一×一四方の玄室。
この三つの玄室は、階層から物理的に断絶された区画なのだ。
北の扉を脱けた緋色の髪の女戦士は、自分たちが未踏破の広大な空間にいることを知った。
彼女たちが受け持つ迷宮第三層は外縁部のみが探索済みで、内縁部――面積にして約二分の一ほどが手つかずのままだ。
その手つかずの区域の大部分が、この大広間だったようだ。
「まるで城塞都市じゃない。外郭と内郭で区切られた」
盗賊 のミーナから、畏怖と呆れの混じり合った声が漏れた。
足を踏み入れたことのない区域なので、斥候 として隊列の先頭に立っている。
代わりに戦士のゼブラが殿に回り、後方からの危険に備えていた。
「現在の座標は “E14、N15” よ。どっちに向かうの?」
“示位の指輪” を使ったヴァルレハが、スカーレットに訊ねた。
「地上への帰還を最優先する。まずはすでに埋まっている外縁に接触して広間からの出口を探す。出口が見つからなければ未踏破部を “雑巾掛け” だ」
スカーレットが最適の判断を下し、ひとまず北を目指して進発した。
何区画か先に、すでにマッピングを終えている長大な内壁があるからだ。
(この感じ、チョー好き)
先陣を切るミーナは冷静と興奮の間の、最も好む精神状態にあった。
初めて足を踏み入れる、誰も足を踏み入れたことのないヴァージンな区域。
その真っ新な床に、自分が最初に足跡を残すのだ。
迷宮探索者として、これほどの快感はない。
(ほんと、ゾクゾクしちゃう)
意識は全神経の末端まで行き渡り、さらに身体の外へ。
迷宮の澱んだ空気さえ透明化させて、どこまでも拡がっていく。
五感は研ぎ澄まされ、視覚は闇を見透し、聴覚は一〇〇メートル先で落ちた縫い針の音さえ拾えそうだ。
嗅覚にいたっては――。
いたっては――。
いた――。
「うえぇ~っ! せっかく最高のテンションだったのに、よりによってこの臭い!」
ミーナは一見可憐な顔に、これ以上無いほどの渋面を作って呻いた。
迷宮に潜る者なら誰でも知っている、特有の悪臭。
体温調節ができず、迷宮では水場や泥土が限られているため、自らの糞尿の中を転げ回るが故の、鼻のもげるような最悪の臭い。
「「「「「BUHI! BUHI!」」」」」
「“豚面の獣人” !」
しかもただの “豚面の獣人” ではない。
ここは迷宮の第三層。
迷宮最弱の魔物である、ただの “豚面の獣人” が生息できる階層ではない。
現れたのは身の丈が優に二メートルを超える、まさしく直立した巨大豚。
“豚の王” だった。
◆◇◆
「迷宮探索というより、洞窟探検って感じだよね、これじゃ」
隊列五番手のパーシャが、怖々と周囲を見渡しながら漏らした。
「ホビットってのは穴蔵に住んでるんだろ?」
「あたいたちが住んでるのはこんなジメジメしてない、長虫も地虫いない、ドブ臭くもない、もっと全然快適なちゃんとした家だい!」
緊張を紛らわそうとしたジグの軽口に、顔を真っ赤にして憤慨するパーシャ。
「こういうとこは、カドモフの独壇場!」
「……あまり騒ぐと埋まるぞ」
話を振ったドワーフに即座に切り返され、慌てて両手で口を塞ぐパーシャ。
鍾乳洞にしては酷く脆い構造は、迷宮支配者の悪意故か。
落盤・陥没の跡がそこかしこに見て取れる。
「どうだ?」
「……天然の洞窟を、恣意的に崩れやすくしている」
レットの問いに、カドモフがむっつりと答える。
「……いけ好かない穴だ」
現在彼ら “フレッドシップ7” が進んでいるこの鍾乳洞は、迷宮が “呪いの大穴” と呼ばれていた頃には第五層だった場所だ。
“僭称者” が復活して、迷宮が “呪いの大穴” から “林檎の迷宮” へと変容したとき、それが第四層へと繰り上がった。
「今のところ、前と構造は変わってない」
抜群の記憶力を誇るパーシャが、地図を開くことなくいった。
王女救出の任に、義勇探索者として志願したのだ。
“呪いの大穴” の構造は隅から隅まで頭に叩き込んである。
パーティが目指しているのは、一行が “マジックヘルム” との激闘を征し、これを撃破した玄室から一三区画ほど北上した座標だ。
洞窟が以前と同じ構造なら、そこに上層への縄梯子が垂れているはずだった。
「このまま徘徊する魔物と遭遇しなければいいけど……」
フェリリルが、不安げに呟いた。
エバ・ライスライトがパーティを移ったあと、名実ともにメイン回復役となった僧侶だ。
パーティの命綱ともいえる存在のため、隊列の四番手で前後を厚く護られている。
「枝道の先は袋小路で、玄室扱いだ。塒にしてる魔物がいる。まかり間違って入り込むな」
「「了解」」
レットの注意喚起に、ジグとパーシャが同時に答えた。
練達の斥候 と地図係は、リーダーの信頼に応えて迷うことなくパーティを導いていく。
しかし――。
「最後の最後にこれか」
縄梯子まであと一区画というところで、一行の前に鍾乳石の壁が立ち塞がった。
「おかしいよ、だって前のマップだと、ここは一方通行の壁のはずだよ!」
「“僭称者” 一流の冗句だろうな」
「こんな冗句、面白くもなんともないわい!」
ジグ、パーシャ、レット、そして再びパーシャと、失望と苛立ちの言葉が続く。
「通り抜けはできないの?」
「ああ、ただの壁だ」
確認するフェリリルに、ジグが答えた。
「……北東に行くか、南西に向かうかだな」
若きドワーフ戦士の沈着な声が、仲間たちを動揺から覚ます。
天然の鍾乳洞を用いた階層は強大な魔法により次元連結していて、北東か南西かのいずれかに進め縄梯子に辿り着く。
しかしその道程は、果てしなく遠い。
「どっちに行っても距離的には同じだけど――」
パーシャがそういって、判断を促すようにレットを見た。
「南西にしよう」
「理由は?」
「“龍の文鎮” では北東に行って、酷い目に遭った」
カハッ! とパーシャが顔半分を口にして笑ったとき、
「徘徊する魔物、遭遇 !」
フェリリルが鋭声で警告を発した。
エルフの敏感な聴力が、他の種族では捉えられない微細な音を聞き取ったのだ。
空気中を漂う目に見えない黴が寄り集まっていく、微かな音を。
やがてそれが “泡立つような” 不気味な姿を成し、眼前に現れた。
「“泡黴” よ! 気をつけて、魔法も竜息もないけど、石化があるわ!」
フェリリルが更に叫ぶ。
その言葉に、最後列で黙していた黒衣の男が前に出た。
石化持ちが相手なら、身の内に “デーモン・コア” を宿すこの男の試金石だ。
灰の暗黒卿が、長大な魔剣 “貪るもの” を抜き放つ。
◆◇◆
「これより最下層に下り、“僭称者” を討滅する」
主君ドーンロアの決断に、配下の騎士たちの総身に慄えが走った。
前腕が、二の腕が、項が、背中一面が、沸々と粟立つ。
それは示された壮挙への武人としての本能であり、その困難さ知る冒険者としての戦慄だった。
五人の騎士は、主君の決断の背景を十二分に理解していた。
“転移” の魔法が封じられた以上、地上に帰還するのは今現在いる第五層を含めたふたつの未踏破階層と、さらに第三層の約半分を占める未踏破区域を突破しなければならない。
それだけの冒険をしても、ようやく地図が使える区域に出られるだけで、生還にはそこからさらに二階層を登る必要があった。
最浅層の第一層ですら、熟練者のパーティが容易に全滅する難易度の迷宮である。
如何に自分たちが最強の武具である “伝説の籠手” を入手しているからとはいえ、遼遠極まる帰路といえた。
だが発想を逆転し、退くのではなく攻めるとすればどうであろうか。
“僭称者” によって最下層に飛ばされ、からくも生還したグレイ・アッシュロードの報告から、階層の構造が変容する前の迷宮と大差ないことがわかっている。
そして主君ソラタカ・ドーンロアは二〇年前に、その最下層を踏破した当代の “運命の騎士” だ。
そして自分たちは、そのドーンロアに鍛えられた迷宮探索者――迷宮騎士。
迷宮に異変が生じ故国リーンガミルに再びの暗雲が立ち込めたとき、主君ともども不吹き払う使命を帯びた名誉の士である。
義勇探索者を自称する、あのような無頼漢どもとはわけが違う。
「最下層の構造・出現する魔物の情報。すべて頭に入っております」
女騎士が進み出た。
「ここから徒歩で地上を目指すより、地図が完成している最下層にて穢らわしい迷宮支配者の首を刎ね、王女殿下をお救いする方がよほど容易でありましょう」
「ならば手始めに、まずは此奴らから滅してくれようぞ」
ドーンロアが真紅の裏地のマントを跳ね上げ、最高級の魔剣を引き抜いた。
不死属の気配を察知して、“君主の聖衣” がその魔剣にさらなる斬れ味を加える。
宙空に浮かび上がった巨大な髑髏が、カタカタと不気味な笑い声をあげた。







