序・破・急
「これはいったいどういうことだ?」
再出現した場所が先程まで激闘を演じていた玄室だと気づき、緋色の髪の女戦士は当惑の表情を浮べた。
その証拠に強化煉瓦で気づかれた内壁に、深い刺し傷が残っている。
今は伝説の剣と化した “マジックソード” が突き刺った跡だ。
魔術師が “転移” の呪文をしくじったか?
いや、彼女に限ってそれはありえない。
戦闘中に緊急脱出するならまだしも、安全で集中できるキャンプでの詠唱だった。
沈着な彼女に限って、それは考えられない。
緋色の髪の女戦士――スカーレット・アストラは、パーティで唯一の魔術師であるヴァルレハに視線を向けた。
「空間が閉じられたわ」
深刻な表情で、ヴァルレハが応えた。
「転移する直前に迷宮全体が他の空間から断絶された。そう、ちょうど “真龍” が “龍の文鎮” を閉ざしたように」
「“僭称者” の仕業か?」
スカーレットは腕力に物を言わせるのが役目の戦士だが、頭の巡りは鈍くない。
一瞬でヴァルレハの言わんとすることを理解し、原因に至った。
「おそらくは。ここまで迷宮の理に介入できるのは、迷宮支配者以外にまず考えられない」
「“K.O.D.s” を入手した我々を、このまま還す気はないというわけか」
スカーレットは沈思した。
“転移” の呪文が封じられている以上、地上へは徒歩で帰還せねばならない。
しかし今パーティがいるのは、第三層の未踏破区域の一画。
熾天使 “ガブリエル” が感知した “マジックソード” の座標に呪文で転移したため、付近のマップは空白のままだった。
「問題はまだあるわ。迷宮の基点まで戻れたとして、果たして地上へ出られるか」
「それって……」
ヴァルレハの言葉に、盗賊のミーナが眉根を寄せた。
「ええ、呪文での転移だけでなく物質的にも迷宮が閉ざされていたら、縄梯子を上ることができなくなっているはず」
六人の美しい女探索者が憂い黙した。
「でも……それは基点に戻ってみなければわからないことでしょ?」
「ノエルの言うとおりだ。どちらにせよ、我々にはそれしか手段がないのだからな」
僧侶のノエルの言葉を、力強く捉えるスカーレット。
「……状況はともかく、状態は悪くない」
ここまで緘黙していた女戦士のゼブラが、蛮族特有のぶっきら棒さで呟いた。
「そうだ。負傷者はいない。生命力は万全だ。精神力も魔術師の最高位階が残り一回な以外は、まだまだ余裕がある」
「“伝説の盾” は “大癒” がいくらでも使えるしね」
ミーナの表情にも余裕が戻ってきた。
“緋色の矢” には他のパーティと違ってサブ回復役の君主がいないため、“大癒” の加護が無限に使える “K.O.D.sシールド” が優先して回されたのだ。
加えて盾自体にも “癒しの指輪” と同等の、回復効果がある。
パーティの持久力・耐久力は桁が跳ね上がっている。
さらには――。
「“退魔の聖剣” はエレンが持て」
「いいの?」
「お前が前衛の中では一番身軽だ。わたしは盾役 をやらねばならないし、ゼブラはサブ盾。攻撃に専念できるのはお前だ。何よりトドメを刺したのはエレンだからな」
「ありがとう」
軽戦士は高揚した顔で、伝説の剣を帯びた。
準備は整い、混乱から立ち直って志気も高まった。
「我々はまだ運がいい。未踏破部が階層の半分だけで済んだ。他の一党はヴァージンフロアをまるまる一層、ないしは二層。さらにこの階の半分まで踏破しなければならないのだから」
最後にそういって、スカーレットは進発を宣言した。
(レット、地上で待っているからな。必ず生きて戻れよ)
◆◇◆
「あ、あたいのせいじゃないからね!」
再出現したのが出発点の玄室だったことに真っ先に気づいたホビットの魔術師が、何かを言いかけたジグリッド・スタンフィードに慌てて弁解した。
「まだ何もいってねえよ」
「ここは……同じ玄室よね?」
どこか傷ついた顔をする盗賊を尻目に、フェリリルが当惑する。
「間違いない。内壁が崩れてる」
肯定するレットの視線の先には、カドモフにかっ飛ばされた “マジックヘルム” が粉砕した煉瓦壁があった。
「……どういうことだ?」
そのドワーフが油断なく魔斧を構え、辺りを警戒しながら訊ねる。
考えるのは得手ではないと自覚している賢明な若きドワーフ戦士は、分析と判断を自分よりも賢い仲間に委ねた。
「空間閉鎖だな」
アッシュロードが渋面を作って答えた。
「“龍の文鎮” のときと同じだ」
簡潔極まる説明だったが、仲間たちにはそれですべて伝わった。
「“K.O.D.s” を手に入れた俺たちを、只では地上には還さないってことか」
ジグが、ウンザリと忌ま忌ましさの混じり合った口調で吐き捨てた。
エルフの少女が猫背の君主にチラリと視線を走らせたが、リーダーの戦士を慮って何も言わなかった。
しかし、レトグリアス・サンフォードもまたカドモフと同様に賢明な戦士であり、優れたリーダーでもあった。
迷宮で面子にこだわる愚は理解している。
そしてこういう状況に陥ったとき、誰よりも正解に近い判断を下せるのが――。
「請う。善策を示したまえ」
猫背の男に向き直り、礼を尽くすレット。
「歩いて還るしかねえだろうな」
礼儀と敬意が大嫌いなアッシュロードから伝法な答えが返った。
「がきんちょが使える “転移” はあと一回。もう一回試せば、切り札の “対滅” が使えなくなる」
ホビットの魔術師が使える第七位階の呪文は三回。
往路に一回、先程の失敗した帰還で一回消費している。
今一度試せば再び失敗したときに、最強の攻撃呪文が使えなくなる。
「だが状況は悪いが、状態は悪くねえ」
奇しくもひとつ上層階を担当する緋色の髪のリーダーと、同じ述懐を漏らす黒衣の君主。
「生命力も精神力も、魔術師系第七位階を除けばほぼ完調だ。“伝説の鎧” と “兜” の回復効果もある。徒歩での帰還もやれるだろう」
ここまでは誰でも見通しが利く。
「問題はここが初見の階層だってことだ。真っ新な羊皮紙を埋め埋め還らなきゃならねえ」
同意の空気が仲間たちの間に流れた。
「さらに言えば上層への縄梯子が見つかったとして、そこも半分は未踏破の区域だ」
第三層で探索が終わっているのは、階層のほぼ半分。
残りの区域は手つかずであり、この階層からの縄梯子はそこに繋がっている。
「ただ……」
「ただ?」
言葉を濁して天井を見上げたアッシュロードに、フェリリルが追従しつつ訊ねた。
「天井がただの岩盤じゃなく鍾乳石になってる。こいつは “呪いの大穴” の第五層の特徴だ」
「そういえば、最初に再出現したときにも言ってたわね」
「えーと、それってつまり――どういうことだ?」
ジグの顔面に巨大な疑問符が張り付く。
「四層と五層が入れ替わってるかもしれない――ってことだよ」
露骨に “頭悪いわね、あんた” ――な表情で、パーシャが言った。
「ああ、だがここは “呪いの大穴” の五層ではなく “林檎の迷宮” の四層だ――単純に入れ替わってるだけなら、二〇年前の地図が役に立つが……」
「……だが可能性は否定しきれまい。おまえが王女と飛ばされた最下層の構造は、二〇年前と酷似していたのだろう?」
「そうだよ、“僭称者” が手抜きして前の迷宮のを使い回してるのかもしれないし」
ドワーフの言葉に、我が意を得たりとばかりにうなずくホビット。
「確かめてみるさ。構造が同じなら、ここから一三区画で上層への縄梯子が垂れてるはずだ」
そう言いつつ、アッシュロードは視線を玄室の奥に走らせた。
一三区画どころか一区画先に、もう一本の縄梯子があった。
しかし流石の “灰の暗黒卿” も、今から五層に下ってもう一隊のパーティとの合流を目指す――などという選択肢は浮かばなかった。
第五層も初見の階層であり、事前の取り決めも無しに合流などできるはずもない。
仮に運良く合流できたにせよ、あのドーンロア一党と共闘できるとも思えない。
机上の空論にもならない案を、アッシュロードは口にしなかった。
代わりに――。
「俺たちはまだ運がいい。ドーンロアは初見の階層をふたつと半分踏破しなけりゃ、既知の区域に出られないんだからな」
またしても緋色の髪の女戦士と同じ述懐が漏れた。
同時にアッシュロードは、それが決して不可能ではないとも思っていた。
ドーンロア一党が予定通り “マジックガントレット” を撃破し、“伝説の籠手” を入手できていれば、それは最強の攻撃呪文を無限に使える最終兵器だ。
地上への道を切り拓くことは充分に可能だろう。
「なら進発だ。先頭はジグ、殿はアッシュロード。記憶が正しければ、この階層は落盤・陥没が頻発する。天井だけでなく、側壁や足下にも注意しろ」
レットが隊列を指示し、“フレッドシップ7” は地上を目指して歩き出した。
◆◇◆
そして上層を担当する二組のパーティと時を同じくして、ソラタカ・ドーンロアの一党も行動を開始した。
「これより最下層に下り、“僭称者” を討滅する」
作者多忙のため、しばらく不定期掲載になります
ごめんなさい (´;ω;`) ブワッ







