逆流★
ハワード号は胃袋の奧、人間でいう十二指腸の方に激しく吸い寄せられました!
(プ、プランBはゆるしくてください!)
歯を食いしばり、シートの肘掛けを握りしめながら、胸の内で叫びます!
わたしだけでなく座席で振り回される誰もの頭に、船長が口にした “プランB” が過っていたことでしょう!
排泄物扱いだけはごめんです!
わたしたちの切実な願いが、女神様に届いたのでしょうか!
突然、幽門(十二指腸への出口)へと船体を吸い寄せていた湖水が、逆流し始めたのです!
ハワード号は猛烈な勢いで振り回されながら、今度は噴門(食道からの入口)へと押し出されます!
(ちょ、ちょっと待ってください! 逆流する胃液で押し出されるって――それって吐瀉物じゃないですか!)
考えてみれば当然のことでした!
胃袋には出入り口がひとつずつしかない以上、出口からでれば排泄物!
入口から戻れば吐瀉物!
そのどちらかしかないのです!
アヒルを模したハワード号は嘔吐きの逆流に翻弄されつつ、噴門を抜けました!
胃袋から一気に狭くなった食道のあちこちに激突しながら、転がるように外へ外へ押し出されていきます!
食道の粘膜が柔らかくなければ衝撃で、船体はともかく乗員は激突死していたかもしれません!
(吐瀉物塗れの生還だなんて――ケイコさんの気持ちが今こそ理解できました!)
何度目かのバウンドの際に、唐突に彼女の気持ちが分かったのです!
(あれ? ケイコさんってどこのどなたでしたっけ?)
そしてその疑問を最後に、わたしの意識はプッツリと途絶えました。
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チカ……チカ……と……非常灯が明滅しています……。
赤色光が照らすブリッジと暗闇が……ゆっくりと交互に浮かんでは消えます。
こういうスローモーな瞬きは点滅ではなく……明滅というのです。
照明も……メインモニターも……サブモニターも……消えたブリッジ。
ボンヤリと目蓋を上げたまま……仄暗い赤と漆黒の共演を見つめていました。
瞳の焦点が徐々に合ってくるのと同時に、意識の焦点もまた戻ってきました。
真っ先に頭に浮かんだのは、
(急に身体を動かさず、まずは緩やかに負傷の有無を確認――)
回復役として染みついた、意識の喪失から回復した際のセルフチェックでした。
(痛たたた……! 全身が打ち身です……!)
問題はその打ち身が、重度の打撲傷かどうか。
少しずつ加える力を大きくしていき、四肢の可動域を広げていきます。
(打撲は広範囲にわたっていますがどれも軽度ですね……耐衝撃仕様のシートに助けられました)
わたしはシートベルトを外し、そろりそろりと立ち上がりました。
今度は立った状態でもう一度、全身のチェック。
特に頭部を念入りに触診します。
タンコブはなく、頭を強く打った形跡はありません。
むち打ちもありません。
高性能シート様々です。
それでも全身を火照らせる鈍痛に顔をしかめながら、船長席でぐったりと意識を失っている隼人くんに近づき、まずは外傷がないか視診しました。
そして見える範囲に怪我がないことを確認すると、そっと肩に手を置き、
「隼人くん……隼人くん」
静かに身体を揺すりました。
「……瑞穂」
「急に動いては駄目です。まずは末端から少しずつ動かして、怪我の有無を確認してください」
同じことを気を失ったままの、他の人たちに繰り返します。
「癒やしの加護が必要な方はいますか?」
意識を取り戻したものの、やはり打撲の鈍痛に呻き声を上げるみんなに訊ねます。
「俺と志摩も使えるから、遠慮はするなよ」
「月照の言うとおりだ。やせ我慢して、いざというとき隙を作って後手を踏むな」
そうして生命力の低い五代くんと安西さんが、隼人くんから一度ずつ “小癒” の手当を受けました。
非戦闘時の治療は主に、君主の役目なのです。
「ショーちゃん、大丈夫?」
『な、なんとかな、酷い目にあったぜ……ガァ……』
「ショート、非常灯を消して通常の照明に切り替えてくれ。各員は船体のチェック。損傷がないか確認しろ」
「船舵、問題なし」
「副船舵、およびマニピュレーター問題なし」
「機関、問題なし」
「聴音、問題なし」
「火器管制、問題なし」
『自己診断プログラム、すべて正常、ガァ!』
船体およびシステム、全て正常。A-OK.
「ショート、現在位置はわかるか?」
『わかるもなにも出発点だよ。ここはオイラが戻された岸辺だ』
正面と左右のモニターが点灯し、見覚えのある景色が映し出されました。
「退船しよう。みんなご苦労だった」
それが船長としての隼人くんの、最後の指示でした。
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ハワード号はあの異物を掴んだまま、霧深い湖の岸辺に乗り上げていました。
やや左舷に傾ぎ、あちこち汚れていましたが、目に見える損傷はありません。
ほんの僅かな時間乗り込んだだけですが、わたしはアヒルを模したこの船に大きな愛着を抱いていました。
(お疲れ様です。そしてありがとうございました)
「うーん! 俺はやっぱり海の男より、迷宮無頼漢の方が性に合ってるぜ!」
早乙女くんが大きく伸びをしながら、そんなことを言ったときです。
ザバンッ!
と、突然一〇メートルほど先の湖面が盛り上がりました。
「Qoo」
そして水中から顔を出した通常サイズの “首長竜” が可愛らしい鳴き声をあげて、こちらに近づいてきました。
その瞳は無邪気な子供の澄んでいて、好奇心となによりも感謝に溢れていました。
古強者の迷宮探索者たちが、警戒するのも忘れて呆気に取られています。
「Qoo Qoo」
湖岸まで来た “首長竜” が、もう一度人懐っこく鳴きました。
水から二メートルほど伸びた首を揺らすと、頭を垂れて顔を近づけてきます。
「もしかして……あのネッシー?」
「ええ、こんなに小さいのに!?」
「胃壁に刺さっていた異物を取り除いたことで精霊力の暴走が治まり、元の大きさに戻ったのかもしれませんね」
「「可愛いーーーっっっ!!!」」
驚きはしゃぐ田宮さんと安西さんに、わたしの声は届いていませんでした。
「おまえの名前は “ネッシー” よ。わたしたちのいた世界では一番有名な恐竜なんだからね」
「ネッシー! 可愛い子!」
「おい、あんまり油断するなよ。噛みつかれるぞ」
「気にしなくていいよ。あの人はわたしの彼氏で焼き餅を焼いてるだけだから」
「~~~」
ネッシーは警戒する様子もなく、ふたりがが差し伸べる手に頬ずりしています。
懐いているのは明らかなようでした。
「イルカみたい」
「ねー」
心安まる交流でしたが、それも終わりの時を迎えました。
立ち込める霧が割れて鏡のような湖面に、一糸まとわぬ裸婦が現れたのです。
「迎えがきたようですね」
「Qoooooo」
名残惜しげに鳴くと、ネッシーは水辺から離れて行きました。
「さよなら、ネッシー」
「バイバイ、ネッシー」
ネッシーと名付けられた “首長竜” は最後に一際高く長く鳴くと、湖の中に消えて行きました。
そして人の形を取っていた “水精” も、より元素に近い本来の姿に戻っていき、やがて湖とひとつになったのです。
霧が再び湖面を覆い、打ち寄せる湖水の音だけが残されました。
「行っちゃった」
「うん」
「結局骨折り損のなんとやらだったな。“水精” に良いように使われただけで」
早乙女くんが苦笑しながらぼやきました。
「わたしは充分満足よ、最後にこんな素敵な出会いがあったんだもの」
「わたしも」
「その骨折り損の件だが――そうでもないみたいだ」
声の主は、隼人くんでした。
「見てみろ」
しゃくった顎の先には、水打ち際に半ば乗り上げる形で接岸しているハワード号、そのマニピュレーターが掴んでいる例の “異物” がありました。
異物には大きな亀裂が入り中から、骨のような何かが覗いています。
「あれは……骨か?」
「どうやら月照が当りだったみたいだな」
呆気にとられた顔の早乙女くんに、隼人くんが言いました。
「あれは骨でできた鍵だ」
異物の中から覗いたのは、長さ二〇センチほどの “骨細工の鍵” でした。
餌と間違えたのか、ネッシーが呑み込んだのでしょう。
そして胃の内に刺さってしまい、胃液で溶けた内容物がまとわり付き、さらにまた新しい内容物の付着を繰り返して、徐々に大きくなっていったのだと思います。
「おそらくは強い魔力。材質や形状から見て “呪力” が込められた鍵なのでしょう。胃に突き刺さったままネッシーの生態を少しずつ狂わせ、巨大化させていったのだと思います。そして最後は “異物” 自体も、水中誘導弾の “対滅” を吸収してここまで大きくなった」
偶然の産物か。
あるいは運命の導きか。
わたしたちは探し求めていた品を入手することができたのです。
「とにかくこれで “ルーソの研究室” に入れる目処がついた。すぐに戻って――」
……リン、
小さな鈴の音に、パーティはハッと振り返りました。
いつの間にか背後に立ち並んでいた、六人の人影。
全員が網代笠を目深に被り、左手に錫杖、右手には鈴を持った、僧形の行者たち。
「“東方坊主” 、遭遇 !」
“認知” の加護で、即座に正体を看破したわたしが叫びます。
チリン、チリン、チリン、チリン、チリン、チリン、
シャン、シャン、シャン、シャン、シャン、シャン、
無言の雲水たちに変わって、手にする鈴と錫杖が激しく威嚇します。
“海底二万海里” が終わり、ここからは再び “Wizardry” です!
★完結! スピンオフ・第二回配信完結しました!
『推しの子の迷宮 ~迷宮保険員エバのダンジョン配信~・第二回』
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エバさんが大活躍する、ダンジョン配信物です。
本編への動線確保のため、こちらも応援お願いいたしますm(__)m







