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迷宮保険  作者: 井上啓二
第五章 一〇〇〇年王国の怪人
573/659

聖女、再び★

 不意に視界が闇に染まった。

 一寸先も見通せない漆黒に包まれ、先を行くドワーフの低い頭を見失う。

 肌に(まと)わり付くような濃密な闇。

 迷宮の真の闇。


(……くそっ、暗黒回廊(ダークゾーン)か)


 胸奥で舌打ちするアッシュロード。

 地下迷宮ならあって然るべき仕掛けだが……今の自分の状態(ステータス)ではやっかい極まるギミックだ。

 視覚、聴覚、嗅覚、感覚、味覚。

 五感のすべてが “死の指輪(デスリング)” の呪い(デバフ)で変調を来している。

 目は霞み、耳鳴りは激しく、臭いは感じず、肌に触れられても気がつかない。

 舌先で舐める汗の味さえしなくなっていた。


「……ガブ、迂回できねえか? 今の俺にはちっとばかしキツそうだ」


 アッシュロードは肩で息をしながら、目の前にいるはずの天使に訊ねた。

 沈黙が答えた。

 もしやわずかの間に、はぐれてしまったのか?

 小さな手がアッシュロードの手に触れた。


「アッシュロード……ここは暗黒回廊ではないわ」


「………………そうか」


 いよいよ呪いの効果が『霞み目』程度では済まなくなったようだ。


「……そいつは良い知らせだ。少なくともおめえは見えてる」


「わたしがあなたの目になる。心配はいらないわ」


「……わかってる」


 見事な答えだ。と、ガブリエルは思った。

 仲間に命を預け、仲間の命を担う迷宮無頼漢(探索者)の答え。

 善悪の属性(アライメント)すら越えた、信頼の言葉。

 天使が口にすることのない、口には出来ない、命を賭けるに価する物語。

 もう守護者と被守護者ではない。

 ふたりは歩き出した。


(時間がないわ。アッシュロードは限界に近づいている)


 ガブリエルは焦燥に駆られた。

 命綱ともいえる癒やしの加護は、すでに半分を割り込んでいる。

 たとえ精神力(マジックポイント)が残っていたとしても、肝心のアッシュロードが集中力を失い男神(カドルトス)と接続できなければ、加護は嘆願できない。

 回復の魔法を残したまま、指輪に呪い殺されてしまう。 

 頭の中に描いてきた地図を開く。

 迷宮探索とはつまるところ、階層(フロア)(しらみ)潰しにしていく作業だ。

 階層のすべての区画(ブロック)に足跡を残していく。

 それが今はできない。

 闇雲に歩けば歩くほど、アッシュロードは死に近づく。


(あの時、別の扉を選んでいれば……)


 天使の――ドワーフの少女の胸に過る後悔。

 ガブリエルとアッシュロードは “貴族の亡霊トモダチ” と遭遇する前に、並んだ三つの扉に行き着いていた。

 そして『正しき扉はひとつのみ』の立て札(メッセージ)

 同様に並んだ扉は “呪いの大穴” と変容後の “林檎の迷宮” でも確認がされており、まるで模しているかのようだった。

 ガブは地上への出口がある可能性が高い座標0、0を目指すために、一番南の扉を選んだのだが……。


「……道に迷ったら、鼻を利かすんだ」

 

「え?」


「……縄梯子にしろ階段にしろ、別の階層と繋がってる。空気が流れてる」


 振り返ると、アッシュロードに透明な微笑が浮かんでいる。

 ガブリエルが転生したのは、熟練者(マスタークラス)盗賊(シーフ)

 練達の斥候(スカウト)なら、 微細な大気の揺らぎを読めて当然だった。

 ガブリエルはうなずくとチュパッと人差し指を舐め、顔前に立てた。


「こっちよ!」


 五感を研ぎ澄まし、澱んだ空気のわずかな変化を感じ取る。

 揺らぎは北からきていた。

 ガブリエルはアッシュロードの手を引きながら迷宮を進む。


「……ここだな」


 立ち止まったガブリエルよりも早く、アッシュロードが呟いた。

 斥候でなくても感じられる風が、アッシュロードの肌に当たっている。


「……階段か? 縄梯子か?」


 できることなら階段がいい。

 上るにしろ下るにしろ(めしい)た状態で一〇メートルの高さの縄梯子にぶら下がるのは勘弁願いたい。


「……ガブ?」


「そのどちらでもないわ。階段も縄梯子もない。あるのは上層への空気の流れ(エアチューブ)よ」


「……強制連結路(シュート)か」


「ええ」


 階段や縄梯子と違い、強制連結路は一方通行。

 行ったが最後、後戻りはできない。

 地上に近づければいいが、もし迷宮の深みに陥ってしまったら……。


「……考えるまでもねえ、GOだ」


 アッシュロードに躊躇(ちゅうちょ)はない。

 すでに視覚は失われ、指輪が嵌まっている左腕の感覚もなくなっている。

 今から引き返して階段や縄梯子を探している暇はない。


「いいわ。確率は二分の一。幸運ロールよ」


 ガブリエルはうなずき、ふたりは強制連結路に足を踏み入れた。

 強い上昇気流が湧き起こり、体重が消失する。

 アッシュロードとガブリエルは空気の奔流に翻弄されながら、数秒後には上層階に達していた。


「はぁ、はぁ! 暗黒(ダークネス)状態での強制連結路は、なかなか乙だ!」

 

 床に投げ出されたアッシュロードの腹が、吹子(ふいご)のように上下する。

 乙どころか二度と御免な絶叫マシンだ。

 

「その元気があればまだ大丈夫よ。さあ、行きましょう」


 ガブリエルは減らず口を叩くアッシュロードの脇に短躯(たんく)を差し入れ、立たせた。

 彼女の相棒は、今や自力では立ち上がれぬまでに消耗していた。


「もう少ししたら回復しましょう。それまで頑張って」


 アッシュロードの嘆願できる癒やしの加護は残り少ない。

 苦しくてもギリギリまで節約するしかなかった。

 

「……了解だ」


 進むは、闇。

 待ち受けるは、死。

 立ち向かうは、絶望。

 そして目指すは、一筋の光。


 死地に微かな光明を求めたぐり寄せるのが迷宮探索であり、迷宮探索者だ。

 最後に光をつかめるかは、意思の強さ。

 断固たる生への執着。

  

(わたしは、わたしの楽しいを守る!)


(……絶対に、絶対に連れ戻す!)


 ガブリエルとアッシュロードの両足を、絶対の決意が突き動かす。

 だから持ち上げたと思った爪先が蹴躓(けつまづ)いて転倒したとき、“蟻民(マーミドン)” から奪った(ロングソード)を差し出して、アッシュロードは言った。


「……ガブ、俺の左腕を落とせ」


 暗闇をみつめるような瞳が、ガブリエルに向けられる。


「……このままじゃ加護さえ嘆願できなくなる。もったいねえが、ここが決断時だ」


「……アッシュロード」

 

 最上の癒やしの加護である “神癒(ゴッド・ヒール)” でも、欠損した四肢を再生させることはできない。

 切断された部位を接合することはできても、失った肉体の一部を甦らせることはできないのだ。

 ここでアッシュロードが左腕を切り落とせば、腕は指輪の呪いでたちまち腐り果てるだろう。

 持ち帰って接合することは不可能であり、アッシュロードは不具者となる。


「いいえ、駄目よ」


「……他に方法はねえ」


「なくても駄目よ」


「……ガブ」


 頑なに頭を振るガブリエルに、アッシュロードは説得の言葉がでてこない。

 すでに精根は尽き果て、言葉を発するのも辛いのだ。


「駄目っていったら駄目! 嫌っていったら嫌!」


 激しく拒絶すると、ガブリエルは小さな身体でアッシュロードを背負い上げた。

 男のひょろ長い足を引き摺りながら歩き出す。


「あなたは黙ってわたしに背負われていればいいの!」


「……おめえまで死んじまうぞ」


 アッシュロードは説得を諦め、目を閉じた。


「たとえ小指の先でも、あなたが失うのは耐えられない。第一そんなことになれば、彼女が還ってきたときに大変なことになってしまうわ。怒り狂ったライスライトが世界(アカシニア)を滅ぼしてしまう」


「……大げさな」


「いいえ、大げさでもなんでもないわ。アッシュロード、あなたはまだ本当の彼女を知らない」


(あなたがあなた自身を知らないように)


 ガブリエルが胸中で呟いたとき、それは起こった。

 蒼白い聖光が迷宮に溢れ、ガブリエルの視界を奪った。

 “熾天使(セラフ)” すら及ばない “聖” の気配が、ふたりを圧倒する。

 こんな気配を発せられる存在を、アッシュロードはひとりしか知らない。

 ガブリエルの言う “彼女” 以外の誰が、こんな神の降臨に等しい神圧を発せられるというのか。

 やがて蒼白い光が集束を始め、人影を形作っていく。

 光が完全に治まったとき、ひとりの尼僧(プリーステス)が立っていた。

 純白の僧衣に身を包んみ、僧帽から零れる髪が銀色に輝く少女。


「ライスライト、おまえなのか!?」


 (めしい)のアッシュロードが叫ぶ。


「いえ、ライスライトではないわ……」


 ガブリエルが否定する。

 エバ・ライスライトではない。

 だがガブリエルは、この少女を知っていた。


「あなたたちの聖典に記されるところの、かつて伝説の勇者と共に魔王を討滅した――先代の “ニルダニスの聖女” よ」


挿絵(By みてみん)



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― 新着の感想 ―
[一言] 神癒、四肢欠損治せないのですか。 ちょっと意外でした。 死んでなければ完全復活、と言うイメージだったので。 あとグレイは、某ナメック星人の様に腕とか生やせるイメージが有りましたw
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