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迷宮保険  作者: 井上啓二
第二章 保険屋 v.s. 探索者
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緋色の矢

 わたしが意識を取り戻したのは、翌日の未明。

 日が昇る直前の時刻でした。

 宿で飼育されている一番鶏の声で覚醒したわたしは、簡易寝台のベッドから身体を起こしました。

 武具の装備を終えたレットさんたち三人が、すぐ近くで簡素な食事を摂っていました。

 目を覚ましたわたしに気がつくと、レットさんが立ち上がり側にきます。


「加護は回復したか?」


「はい」


 簡潔な問いに、簡潔に答えます。

 レットさんは頷くと、自分たちが食べていた物と同じ、厚切りのパンと鹿の干し肉を数切れ、わたしに手渡しました。

 起きた直後だというのに、食欲は驚くほどありました。

 わたしは貪るようにそれらを平らげ、ジグさんが差し出してくれた水袋の皮臭い水をゴクゴク飲んで人心地つきます。

 そして水牛の皮で作られた水袋をジグさんに返すと、立ち上がって自分の装備を改めます。

 寝かされる前に脱がしてくれたのでしょう。


 鎖帷子(チェインメイル)とその上に着ている僧服は、ベッドの傍らに畳まれて置かれていました。兜代わりの僧帽も一緒です。

 わたしは着たままの鎧下の上にそれらを手早く着込みました。

 探索に必要な消耗品は、昨晩のうちにレットさんたちが買い揃えてくれたようです。

 角灯(ランタン)の油や清潔な布きれ、加護を願うまでもないちょっとした傷の手当に使う軟膏や包帯。小型のハンマーや楔、火口石。そして数日分の食料などを、背嚢や雑嚢に収納します。


 準備をすべて終えると、わたしはレットさんに頷きました。

 そして、まだ寝ている人も多い簡易寝台の大部屋を出ました。

 宿の裏手に引かれている水道で顔を洗って口を濯ぎ、水袋の中身を詰め替えたわたしたちは、朝靄漂う黎明の都大路を “(Edge of)外れ(Town)” へ ―― 一路、迷宮へと向かいます。


◆◇◆


 明けの明星のまだ瞬く時刻、“獅子の泉亭” から出て行くエバ・ライスライトたち四人を、宿の四階の廊下の窓から、燃えるような緋色の髪をした若い女が見下ろしていた。

 一八〇センチを超える逞しくも均整のとれた体躯を、薄衣の夜着に包んだ美女。

 現在、迷宮探索者たちの第一線に立つ部隊(パーティ) “緋色の矢” を率いる “善”の女戦士 “スカーレット” である。

 四人の先頭をゆく戦士の背中を見送りながら、スカーレットは昨夜の酒場での一件を思い出していた。



『――頼む、力を貸してくれ』


 仲間との歓談中にいきなり現れ、いきなり頭を下げた()()()()()()()と分かる戦士に、スカーレットはまず不快な思いを抱いた。

 礼儀を知らない。

 日夜迷宮で切った張ったを繰り返している探索者にとって、この夜の酒場での一時は何物にも代えがたい安息(リフレッシュ)の時間である。

 その貴重な時間をかき乱す言動や立ち振る舞いを、スカーレットは許さないし、許せない。

 彼女の気性はその髪のように、彼女の率いるパーティの名のように、燃えさかる炎のように激しかった。


『なんだ、藪から棒に』


 スカーレットは露骨に眉を顰めた。

 円卓テーブルに着く他の五人の仲間たち――全員が若い女――も同様だった。


強制転移(テレポーター)に引っかかって仲間と分断された。彼女たちは今、地下八階で立往生している。頼む、力を貸してくれ』


 血まみれ、汗まみれ、埃まみれで異臭を漂わせる戦士は、深々と頭を下げたまま事情を説明した。

 話したことはないが、この戦士のことは知っている。

 顔見知りのホビットの魔術師、パーシャが所属しているパーティのリーダーだ。

 確か貧乏貴族の九男で、剣で成り上がるためにこの城塞都市に来たとかいう、十把一絡げにくくれるほどにいる典型的な探索者の戦士だ。


『彼女たち……っていうからには、あの子とも、パーシャともはぐれたのか?』


『ああ、そのとおりだ。だから頼む! 力を貸してくれ! 俺たちと一緒に八階に行ってくれ! このとおりだ!』


 叫ぶようにいうと、レットはスカーレットたちの前に膝を突き、両手を清掃されてはいるものの、何度も吐瀉物で汚れた酒場の床についた。

 そして額をやはり汚れた床に押しつける。

 スカーレットは自身よりもはるかにレベルの低い相手に気圧されている自分に驚き、苛ついた。


 いや、驚いているのは “この男”にだ。


 九男とは言え、仮にも貴族の家柄に生まれ育った男が土下座だと?

 いくら仲間を救うためとは言え、()()()()()果たしてここまでのことが出来るだろうか?


『おい、よせ! やめろ!』


『頼む!』


 それでもレットは床から額を離さない。

 スカーレットは溜め息ともに身体の緊張を解いた。


『……助けてはやりたい。でも無理なんだ。八階はわたしたちも足を踏み入れたことのない階層(フロア)だ。そんなところに仲間を連れてはいけない』


 彼女の個人的感情だけみれば、力を貸すのもやぶさかでないところまできていた。

 ここまで下手に出られては、“善” の戒律に従う者として見過ごすわけにはいかない。

 だが、スカーレットは自らの名を冠するパーティのリーダーである。

 なによりメンバーの安全を第一に考えなければならない。

 地下八階は、ここ最近いよいよ最下層に挑み始めた自分たちでも、一度も足を踏み入れたことのない場所(エリア)である。

 キーアイテムもなければ、めぼしい財宝もみつからない、探索者が赴く必要のない階層(フロア)なのだ。

 仲間たちの顔を見ても、誰もが困惑している。


 いくら “善”の戒律の者が中心のパーティとはいえ、パーティ同士の互助的なアライアンスであるクランを組んでいるわけでもない連中のために、危ない橋は渡れない。

 特に無属性の “中立” のメンバーは、露骨に “勘弁してくれ” といった表情をしていた。


『ヴァルレハ。地図を出してくれ』


『……スカーレット』


『すまない、みんな。でも “善”の戒律に従う者として、ここまでされたら見て見ぬ振りはできない――確かレットとか言ったな。一緒に八階には行ってやれないが、助言はしてやれる。ここに座って地図を見るんだ』



「……あの戦士。食い入るように地図(マップ)を見てたけど、果たして全部暗記できたのかしらね」


 背後から声を掛けられて、スカーレットは我に返った。

 随分と長い時間、物思いに沈んでいたようである。

 レットたちの背中はとっくに宿先から消えていた。


「さあ。あまり知力(IQ)は高くなさそうだったからな。期待は出来ないんじゃないか」


 声の主、同じパーティの仲間 魔術師(メイジ)のヴァルレハに背を向けたまま答える。


「それなら貸してやればよかったのに」


「バカを言うな。“地図” はパーティで一番価値のある共有財産だ。他人に貸せるような品ではない」


 迷宮のありとあらゆる情報が書き込まれた地図は、探索の記録であり記憶だ。そのパーティにとって特別な価値を持つ。

 “紫衣の魔女(大魔女アンドリーナ)の迷宮” が()()し、その探索が開始されてからすでに二〇年。

 探索者ギルドでは完成品の地図が高額で販売されていたが、それでも探索者たちは自らが作り上げた自前の地図を信用した。

 当然だ。

 迷宮では自分の目で見た物以外、すべて話半分でしかないのだから。


「相変わらず、不器用で素直じゃないわね」


「なんのことだ?」


「助けたいんでしょ。彼のこと」


「それは……そうさ。わたしは “善”の戒律に従う者だからな」


 ヴァルレハが背中でクスクスと笑っている。

 そして、声の調子を改めて言う。


「……死ぬわね、彼ら」


「……ああ」


 昨夜、彼女たちがレットに授けた策は、成功の確率が限りなゼロに近いものだった。

 レベル5の四人組のレットたちでは、四階に設置された昇降機(エレベーター)許可証(キーアイテム)を入手することが出来ない。

 許可証を入手するには、最低でもレベル9のフルパーティが必要だとされている戦闘に勝利する必要があるからだ。

 この許可証がなければ四階から一気に八階に潜ることが出来ない。


 残る方法は各階層を繋ぐ縄梯子を使って五階まで行き、そこから昇降機を使って八階に行くことだ。

 許可証は四階にある昇降機前の()を開くための物で、裏口を使うように縄梯子で五階まで下りてしまえば、あとは自由に昇降機を使うことが出来る。

 無事に八階まで行けたら仲間たちを回収して、グレイ・アッシュロードが()()()()()()()()()許可証を使って一階まで戻ってくる。

 そのためには、彼らがまだ入手していない()()()()()()()()()()()を使うためのキーアイテム(パスポート)を、地下二階で手に入れる必要がある。


 すなわち今日これから彼ら――レットとその仲間の四人は、まず地下二階に行きキーアイテムを入手。そこから三階、四階、五階と縄梯子を使って下りていき、五階の昇降機を目指す。

 昇降機にたどり着けたらそれを使って八階に行き、八階の()()()にいる仲間と合流・回収し、再び地上に戻ってくるのだ。


 とても無理だ。

 不可能に近い、愚挙としか言いようのない計画である。

 全員がレベル12で熟練者(マスタークラス)一歩手前の自分たちですら、危険な救出行だ。

 ましてレベル5で、集団戦闘の要である魔術師もいない四人でなどと……。


「スカーレット」


 ヴァルレハがいきなりスカーレットの名を呼ぶと、彼女に向かってピンッと指で何かを弾いた。

 鍛え抜かれた卓越した動体視力と反射神経で、それをつかむスカーレット。


「……これは」


「それはわたし個人の財産よ。だからどうしようとわたしの勝手。だからあなたに貸してあげる。なくしたらちゃんと買って返してね。心配は要らないわ。あなたの今のお財布ならなんとか返せる値段だから」


 そういうとヴァルレハは、“もう一眠りするわ” と自分の部屋に戻りかけた。

 その途中で立ち止まり、


「そうそう、今この宿の馬小屋に()()()()()が泊まっているの知ってた? なんでも上の階のロイヤルスイートにお忍びで泊まってる元探索者の連れなんですって」


 ――それじゃ、おやすみなさい。


 自分のスイートルームに消えるヴァルレハの後ろ姿を、スカーレットは見てはいなかった。

 見ていたのは掌の上の、極小さな金属製の品である。

 彼ら――あの未熟で無謀そして愚かなほどに友誼に篤い四人――の生還を劇的に高める、このうえなく貴重な装飾品。


「感謝する。ヴァルレハ」


 スカーレットは自室のスイートに駆け込むと、一分後には平服に愛剣である “真っ二つ(Slashing)” の銘を持つ魔剣だけを帯びた身軽な格好で宿を飛び出していた。

 そして裏庭にある馬小屋に駆け込むと、そこに繋がれていた白馬に鞍も置かずに飛び乗った。

 欠伸混じりに、久しぶりの本業に早起きをしてきた “獅子の泉亭” の馬丁が、その姿に一遍に目を覚ます。


「なにしてるんですか!?」


「所用ができたので少し借りるぞ」


「だ、だめですって! それは悍馬なんです! 持ち主以外には乗りこなせないんですよ!」


「心配するな、わたしもこれが()()だ! ――ハァッ!」


 たてがみをつかみ踵で拍車を入れると、スカーレットは白馬を馬小屋から都大路へと疾駆させた。

 元姫騎士 “スカーレット・アストラ” の緋色の髪が、開け放たれた巨大な城門の向こうから今まさに昇らんとする朝日を受け、燃えるように輝いていた。


◆◇◆


 一番鶏と共に開放された巨大で分厚く堅牢な城門を潜り、迷宮のある “(Edge of)外れ(Town)” に向かいます。

 道々レットさんが迷宮に入ってからの計画を説明してくれました。

 聞けば聞くほど、成功の可能性の限りなくゼロに近い作戦です。

 それでもわたしを含めた他の三人は何も言いません。

 わたしたちには、もうそれしかないのだということが、痛いほどに理解できるからです。


 やるしかないのです。

 行くしかないのです。

 仲間が、友達が、あの人が待っているのですから。


 やがてわたしたちは、迷宮の入り口に到着しました。

 衛兵さんたちの屯所の前に、朝日に照らされた人影がふたつ、西に向かって長い影を作っていました。

 ひとりは見張りの衛兵さん。

 もうひとりは……。


「おはようございます――わたしは今、善意でも義務感でもなく、わたし個人の我がまま(エゴ)でここに立っています」


 朝露に濡れた防寒用マントのフードを下ろすと、ハンナさんが決意の籠もった瞳でわたしたちを見つめました。



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