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迷宮保険  作者: 井上啓二
第五章 一〇〇〇年王国の怪人
564/660

同胞★

挿絵(By みてみん)


飯牟礼俊位(いいむろとしたか)……大尉」


 (りん)光を発してにじり寄る八体の “憑屍鬼(ワイト)” に、壁に刻まれた傷文字の名前が零れました。


「なにっ!?」「えっ!?」「はっ!?」


 割って立つ前衛の三人に動揺が走ります。


「彼らは……巡洋艦『畝傍(うねび)』の日本人乗組員です」


 苦い事実を告げなければなりませんでした。

 “憑屍鬼” がまとう襤褸(ボロ)は燐に塗れていましたが、よく見れば士官が艦隊勤務時に身につける軍装の残滓(ざんし)が見て取れました。

 なにより発せられている、この強い波動。

 怨念へと昇華……堕した無念。


「本当なの!?」


「『畝傍』の日本人回航員は、見習い士官を含めて八人だった……数は合ってる」


「ど、どうすんだ!?」


 “腐乱死体(ゾンビ)” に比べれば鮮度を保っているとはいえ、いずれにせよ不死属(アンデッド)と化してしまってる以上、魂を呼び戻すことは……。


「倒すのよ!」


 わたしの思考を、剣のように鋭い叫声(きょうせい)が切り裂きました。


「立ち塞がるならみんな敵よ! 魔物よ! 元が日本人だろうと関係ない!」


 (スタッフ)にすがりながら叫ぶ安西さん。

 疲労困憊し呪文を唱える集中力も失せた今、声だけを武器にするように叫びます。


「恋っ……!」


 親友の変貌ぶりに、田宮さんが言葉を失います。


「安西の言うとおりだ! 立ち塞がるなら敵だ! 躊躇(ちゅうちょ)するな!」


 隼人くんの叱咤に、動揺から脱するパーティ。

 わたしはスゥ……と小さく息を吸いました。


(強い怨念で力を増しているとはいえ、“憑屍鬼” は “憑屍鬼”。魔法も竜息(ブレス)もなく、落ち着いて麻痺(パラライズ)吸精(エナジードレイン) にさえ気をつければ恐い相手ではありません――)


「ならば、せめて最期は安らぎの中で! 隼人くん、早乙女くん、合わせてください!」


 重なり合う三つの祈り。

 身体の中に吹き起こる、清浄無垢な風。

 怨念と化した生への未練と無念を抱き留める、神々の抱擁。

 解呪(ディスペル)の聖なる祝福が、八体の“憑屍鬼” を包み込みます。


 一体、また一体と崩れ落ちる “憑屍鬼” たち。

 その身体は灰に。そして塵に。

 最後の一体が崩れ去ったとき、神々の御業が奇跡を呼びました。

 灰となり塵となって消えた身体の上に現れた、ひとりの壮年の男性。

 身にまとっているのは水兵(セイラー)のものとは明らかに違う、士官の軍装。


『君たちは……誰だ?』


 飯牟礼大尉の霊が、訊ねました。

 予期せぬ出来事にわたしも含めて、誰も反応できません。

 唯一動けたのは……。


「俺たちは……」


 隼人くんは答えかけ、そして胸を張って言い直しました。


「俺は日本人、志摩隼人。ここにいる四人の指揮官です」


 異世界で生き抜いてきた歴戦の戦士として、誇り高く堂々と。


『日本人!? 今、日本人と言ったのか!?』


「そうです。あなたは飯牟礼俊位大尉ですね?」


『いかにも。わたしは飯牟礼だ。どうしてわたしの名を知っている?』


「壁に刻まれた文字を見ました」


『そうか……そうだったな』


 急に濃い疲労を思い出したように、肩を落とす飯牟礼大尉の霊。


『確かにわたしは、壁に遺言を刻んだ……君も軍人なのか、志摩くん?』


「いえ、違います。ただ生きるために隊を組んで戦っています。本来ならもうひとりいたのですが、先の戦いで命を落としました」


 安西さんが何かを言いかけましたが、腕をつかんで制しました。

 今は隼人くんに任せるべきです。


『そうか……それは残念だった』


 飯牟礼大尉の霊は同情と哀惜の籠もった表情で少しの間、瞑目(めいもく)しました。

 五代くんに祈りを捧げてくれたのでしょう。


『我々もそうだった。この世界は過酷だ。わたしの部下たちも、ひとりまたひとりと死んでいった――志摩、もし知っているなら教えてほしい。ここは一体どこなのだ? 「畝傍」にいったい何が起ったのだ?』


 哀願するように飯牟礼大尉が訊ねます。

 隼人くんは努めて簡潔に出来るだけ理解しやすいように、巡洋艦『畝傍』が陥った現象とこの世界(アカシニア)について説明しました。

 飯牟礼大尉は驚愕し、言葉を失い、瞠目(どうもく)して聞き入りました。


『すべてを理解したとは言えない……だがおおよそは理解できたと思う』


 説明が終わり長い沈黙のあと、大尉は深い溜息を漏らしました。


『まさかそのような出来事に巻き込まれるとは……まるでサイエンスフィクション、

ベルヌの世界だ』


 意外な名前に、パーティに驚きの気配が広がります。


『ベルヌは仏蘭西(フランス)の作家だ』


 それは飯牟礼大尉が初めて見せた微笑でした。

 巡洋艦『畝傍』は仏蘭西で造られた(ふね)なのです。


「飯牟礼大尉。今度は俺たちに教えてください。この迷宮に囚われたあと、あなた方に何が起ったのかを」


 隼人くんの問いかけに大尉は静かに語り始めました。


『……ほとんどはその石壁に刻んだとおりだ。新嘉坡(シンガポール)までの回航は順調だった。だが日本までの最後の航海の途上、南支那海で大嵐に遭遇した。

 日本人の回航員を含め、仏蘭西人の船員、亜剌比亜(アラビア)人の缶焚(かまた)き、誰もが懸命に艦の保全に努めたが最後には転覆し、我々は海に呑まれた。

 ……そして気がつけば、この苔むした墳墓(ふんぼ)に囚われていた。


 水と食料はすぐに尽きた。

 備品の大半は艦と失われ、我々とこの世界にきた物資はわずかでしかなかった。

 すぐに乗員の間に反目が広がった。

 仏蘭西人は仏蘭西人。亜剌比亜人は亜剌比亜人。日本人は日本人で固まって互いを

疑心の目で監視した。


 あの幻を見なければ早晩殺戮(さつりく)に到り、相手の死肉を喰らい合ってただろう』


「……あの幻」


『黄金だ! この墳墓の天井まで積み上げられた膨大な量の!』


 飯牟礼大尉の声に得体の知れない熱が籠もり、わたしたちは怖気に襲われました。


『仏蘭西人も亜剌比亜人も幻の黄金に取り憑かれ、この場から去っていった。

 我々は残った。士官としての矜持が我々を踏みとどまらせたのだ。

 彼らがどうなったのか、それから後のことは知らない。

 黄金に魅入られなかったとはいえ、我々も限界だったからな。

 飢渇(きかつ)に苦しみ、仲間の死肉を喰らわぬために、最後は自ら命を絶つしかなかった。

 だがそれも結局は無駄に終わった。

 無念を残して死んだ我々は成仏できずに、亡者となってこの墳墓を彷徨うことになってしまった』


 誰もが無言でした。

 飯牟礼大尉たちがたどった数奇な運命に誰もが、語れる言葉がなかったのです。


『だが、どうやらそれも終わったようだ。君たちのおかげで部下たちもわたしも、やっと成仏することができる』


 飯牟礼大尉の姿が揺らぎました。


「大尉!」


『志摩……最後に教えてほしい。我が祖国は、日本はあれからどうなった?

 君たちが生まれ育った日本はいったい、どんな国になっている?』


 それはとても切実で誠実で……だからこそ答えがたい質問でした。

 隼人くんは立派でした。


「あれから……あれから日本は清国との戦争に勝ちました。露西亜(ロシア)との戦争にも勝ちました。俺たちが育った一〇〇年後の日本は、世界で……一番豊かで平和な国です」 


『……そうか……そうか……清国との戦争に勝ったか。露西亜との戦争に勝ったか。一〇〇年後の日本は世界で一番豊かで平和な国か……』


 霊体であるはずの大尉の瞳から、滂沱と零れる涙。


『これで本当に思い残すことはない。ありがとう、異邦の地で出会った同胞たちよ。そこの扉を越えた先には深い “闇” が広がっている。我々には足を踏み入れることは出来なかったが、君たちならば踏み越えることができるかもしれない。その先に希望があることを祈っている』 


 そして飯牟礼俊位海軍大尉は最後に見事な敬礼を見せ、安息の刻を得たのでした。


「……」


「……隼人くん」


「行こう。暗黒回廊(ダークゾーン)へ。そして希望を見つけ出すんだ」



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― 新着の感想 ―
[一言] 負けても豊かになれた日本。 当時の人たちの努力の成果でしょうね。
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