朧影
バンッ!
北の壁に並ぶ二扇の扉が突然開き、革鎧を着込んだ無数の凶漢が雪崩れ込んできました。
「迎撃!」
隼人くんが即座に、簡潔で聞き間違えようのない指示を出します。
(盗賊! 前列六人! 後列六人! しめて一二人!)
「前列を固めます!」
わたしは敵の戦力を確認すると、間髪入れずに告げました。
雷速の速さで祝詞を唱え、“棘縛” の加護を願います。
“滅消の指輪” で一網打尽にしたいところですが、この階層に出現する盗賊のモンスターレベルは8。それは叶いません。
女神に嘆願が聞き届けられると目には見えない棘が、前列六人を絡め取ります。
「す、すげえ! 全員かよ!」
「感心してないで殴りなさい! 前衛でしょ!」
固まったひとりを抜打ちの一刀で斬り捨てた田宮さんが、隊列三番手の早乙女くんに怒鳴りました。
「お、おう! ――後列も頼まぁ!」
叫ぶなり怒声を上げて吶喊する早乙女くん。
わたしから譲られた魔法の戦棍が振り下ろされ、なんの防具にも守られていない盗賊の頭骨をその銘のとおりに粉砕します。
隼人くんも鮮やかな魔剣の三回攻撃で、ひとりを屠っています。
わたしはチラリと安西さんを確認しました。
安西さんは疲労困憊の様子で杖にすがり、ようやく立っています。
呪文も唱えずただ目だけが、爛々とした光を放っていました。
(よいでしょう! 彼を運ぶこと、それがあなたの戦い――愛なら、貫いてください!)
「後列も固めます!」
不可視の棘が、さらに六人の凶盗を絡め取ります。
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「どうやらこの盗賊たちが、あの隧道を掘ったみたいね……」
血溜まりに転がる一二体の屍を、田宮さんがやるせない表情で見下ろしています。
「そう考えるのが一番しっくりくるな」
同意する隼人くん。
玄室には静けさが戻った代わりに、ムッとする鉄錆の臭気が漂っていました。
「だけどコイツら、その何というか……全員、物狂ってたぜ?」
早乙女くんは釈然としないようでした。
しきりに首を捻っています。
「きっと枝葉さんと五代くんが話していたとおりなんでしょう。狂気に囚われて黄金への妄執が強まったのよ」
「瑞穂はどう思う?」
「ええ、そうですね……考えるべきは結果ではなく原因の方だと思います」
「原因……どういう意味?」
「隧道を掘ったのがこの盗賊たちか否かは問題ではありません。問題なのはどうしてこの盗賊たちがここにいるかです」
わたしを見る田宮さんの表情が、ますます怪訝なものになります。
「ショートさんの話を思い出してください。あの人は『この階層に住人はいない』と言っていました。ですが現実はご覧のとおりです」
「つ、つまり、どういうことだ?」
「……誰かが召喚した」
早乙女くんの疑問に答えたのはわたしではなく……。
「ええ」
杖にすがる安西さんにうなずきます。
「今世界で生き残っている人類は一階でラーラさんたちに守られている人々の他は、各階層にごく少数の亜人種が生活しているだけです。見たところこの盗賊たちは、全員が男性です。彼らがこの劣悪な区域で子を成し、一〇〇年もの長きを生存していたとは、とても思えません」
「そ、それってつまり」
ゴクリと生唾を呑み込む早乙女くんに、顔を向けます。
「つまり、この迷宮には迷宮支配者がいる」
沈黙が場を支配しました。
「確証はありません。ですがそう考えるのが一番しっくりとくるのです。この憐れな “みすぼらしい男” たちを召喚し狂わせた何者かがいると考えるのが」
「……そいつが……そいつが五代くんをあんな目に……」
「それは不明です。“赤銅色の悪魔” を呼び寄せたのはあくまでも “樹精” であって、彼女は元々あの白骨樹林の主だったと考るなら、迷宮支配者が介入した可能性は低くなります」
しかしわたしの言葉は、凄惨な輝きを瞳に宿す安西さんには届きませんでした。
「その答えはいずれ出るだろう。今は一階への帰路を見つけ出すのに集中だ」
隼人くんが会話を打ち切り、わたしは黙礼を返しました。
「まあ、良い方に考えようぜ! ここが盗賊のアジト――ギルドのなれの果てなら、出てくるのはみんな盗賊だ。魔法も加護もねえ。与し易し、って奴さ!」
ムードーメーカーの早乙女くんらしいポジティブシンキングです。
「もうしばらく前衛をお願いします。加護が残り少なくなったら代わりますので」
「おう、肉弾戦なら1-Aの誇るビッグマンに任せろい!」
早乙女くんの口から漏れた懐かしい言葉につかの間、優しい空気が流れました。
「よし、絶対に生きて還るぞ」
迷宮支配者の気配を感じつつ、パーティは進発します。
◆◇◆
そこは蒼氷の世界だった。
床も壁も天井も、吐き出した息さえも凍り付く、氷結の世界。
変容が極まった一〇〇年後の “呪いの大穴” の中でも環境の厳酷さでは、他の追随を許さない階層。
迷宮第六層。
その極寒の階層を、ふたつの影が進んでいた。
ひとつは小さく、ヒタヒタと。
もうひとつは大きく、ドスンドスンと。
人影と表現するにははばかられる陰影が、蒼白い氷壁に揺れている。
「ブワーーーックション! ううっ、寒ぶ寒ぶ!」
小さい方の鳥影が両翼で身体を抱きしめながら、激しく身震いした。
「ズズッ……ここまで寒いと、さすがのオイラの羽毛でも苦戦するぜ、ガァ……」
“ダック・オブ・ショート” が平べったい嘴に垂れた鼻汁をすすり上げ、情けなくぼやいた。
「殿下は寒くねえのかい……?」
「オウ~ン」
ひとつ目の巨人が紫の身体を揺らして、快活に答える。
「そうか。殿下の毛皮はアヒルの羽毛より高性能なんだな……羨ましいよ、ガァ」
奇妙な縁で聖女たちと親交を結んだアヒルと巨人は今、とある目的のために氷に閉ざされた迷宮を進んでいた。
「……オウ~ン」
「なんだい? ライスライトたちが心配ぇなのかい?」
「……オウン」
「なに心配はいらねえよ。オイラの見立てじゃあの聖女様はなかなかになかなかな、なかなかの女傑だぜ。仲間の連中はまだちょっとばかし尻に卵殻をつけてるけどな。ま、それぐらい良いハンデキャップだろうよ」
アヒルはそういいながら、心配そうな感情を湛える巨人のひとつ目を見上げた。
どうやらこの心優しい巨人はあの聖女に、憎からぬ想いを抱いているらしい。
「殿下の妃には相応しいな」
「オウン! オウン!」
照れた巨人が顔の前で、大きな手を団扇のように振る。
「ガァ、ガァ、ガァ!」
アヒルが愉快げに笑う。
極寒もこの時ばかりは気にならない。
アヒルは聖女が好きだった。
巨人のことも好きだった。
ふたりが番になるのなら、心から祝福し喜べた。
だがそのためには、巨人にかけられた邪悪な “呪い” を解かなければならない。
呪いを解き、巨人を元の姿に戻してやらなければならない。
亡国の王子と過去からきた聖女の番。
命をかけるに価する、慶事にして快事ではないか。
邪気が周囲に充ちた。
「殿下、いよいよだぜ」
「オウン!」
身構えるアヒルと巨人の前に、朧な影が浮かび上がる。
ふたりがこの蒼氷の階層に降りてきた目的。
巨人に呪いをかけた張本人。
この迷宮最凶の魔術師 “邪眼” が 姿を現した。







