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迷宮保険  作者: 井上啓二
第五章 一〇〇〇年王国の怪人
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 宝箱に駆け寄り振り向いた微笑みは、彼が始めて見せる邪気のない表情でした。

 それはわたしに向けられた微笑ではありませんでしたが、それでもわたしは思ったのです。


“ああ、やっぱりこの人はあの人に似ている”


 ……と。


“きっとあの人もわたしの心の迷宮で炎に巻かれるとき、こんな風な透明な笑顔を浮かべていたのだろう”


 ……と。


「だめえええーーーーーーーーーーーーーーーーっっっっ!!!!」


 安西さんの絶叫に背を向けると五代くんは宝箱を蹴り開け、“電撃エレクトリック・ボルト” を作動させました。

 神の雷 “神威(ホーリースマイト)” に比する閃光が瞳に突き刺さり、轟音が鼓膜を乱れ打ちます。

 失明・失調しなかったのは、ただただ運が良かったとしか言いようがありません。


 そうです!


(ラック)さえ! 運さえ! 運さえよければ、彼も助かる!)


 顔前にかざした盾の陰から、わたしはそればかりを念じていました。

 永遠の時間が流れた気がしましたが、瞬間の出来事でしかありません。

 魔法の電光は一瞬で消え去り、あとには耳鳴りの支配する静寂が残りました。

 やがてわたしは盾を下ろし、恐る恐る目蓋を上げました。

 閃光に貫かれた視力はすぐには回復せず、もどかしい時間だけが過ぎていきます。

 ガンガンする頭で何度も何度も強く目を瞑り、ようやく視覚を取り戻したわたしが見たものは……寸分違わぬ光景でした。


 睥睨(へいげい)する巨大な悪魔も、堆積する腐葉土からわずかに浮かび上がる宝箱も、それを蹴り開ける革鎧に包まれた背中も……。

 時が止まったように何もかもが、そこにありました。

 一瞬、罠は作動しなかったのでは……? との錯覚に陥ります。

 ですが閃光に灼かれた網膜も轟音に乱撃された鼓膜も、紛れもない事実です。

 なにより開かれた宝箱が、罠の発動を証明していました。

 “電撃” の罠は、確かに作動していました。

 “赤銅色の悪魔(カッパーデーモン)” が呪文を投げつけるため取っていた距離が、わたしたちを救ったのです。

 わたしたち……だけを。


「忍……くん?」


 ヨロヨロと歩み出た安西さん口から、彼の名前が零れました。


 残酷な光景でした。


 その彼女の目の前で、すべてが崩れ去ったのです。

 赤銅色の巨大な悪魔も、彼女が名前を呟いた少年も、すべてが同体積の灰となって

崩れ去ってしまったのです。


「いやーーーーーーーーーーーーーーーっっっ!!!」


 狂乱して駆け寄る安西さん。


「忍くんっ!!! 忍くんっ!!! 忍くんっ!!!」


「彼女を止めてください! 灰を――灰を乱してはいけません!」


 咄嗟に叫べたのはそれだけでした。

 それでも田宮さんが反応してくれて、安西さんに組み付きます。


「恋っ!」


「離して――忍くんっ!!! 忍くんっ!!!」


「なんて……こった」


 泣き叫ぶ安西さんを抑えることも出来ないまま、早乙女くんが呆然自失します。

 視線の先には、大小ふたつの灰の山。

 大きなひとつは “赤銅色の悪魔(カッパーデーモン)” のもの。

 もうひとつの小さな方は……。


「元に戻して!!! 忍くんを元に戻して!!!」


 田宮さんに羽交い締めにされながら、安西さんが振り返りました。


「聖女なんでしょ!? 出来るんでしょ!? 今すぐ忍くんを生き返らせて!」


 取り乱し、血涙が吹き零れんばかりの安西さんに睨まれ、わたしは初めてあの人が置かれていた立場を理解しました。

 好むと好まざるとに関わらず、自身の意思とは関係なしに、その能力がある人間に課せられる重責。


(あなたも、こんな気持ちだったのですね)


 “火の七日間” でも “龍の文鎮(岩山の迷宮)” でも、こんな途方もない重荷をあなたも背負って、背負わされていたのですね。

 拒むことも逃げることもできない。

 そんな真似をすれば、大切な人たちに悲運が訪れてしまうのですから。


(ズルいですよね、本当に)


 わたしは胸の内側で、アッシュロードさんに泣き笑いかけました。

 そして、


「もちろんです」


 力強く微笑んだのです。


「ですが蘇生の加護を授かったとはいえ、わたしにはまだ死者を生き返らせた経験がありません。蘇生率は専門とする寺院の高僧には及ばないのです」


「でもこの世界には寺院なんてないじゃない!」


「ええ、ですから少しでも可能性を上げなければなりません。ここではダメです」


「……どこならいいんだ?」


 隼人くんが哀憐(あいれん)の籠もった瞳で訊ねました。

 余程の事態でない限り、回復役(ヒーラー)がパーティの仲間を蘇生させることはありません。

 失敗した場合、仲間の死を背負ってしまうからです。

 怪我の治療はともかく、蘇生は寺院で執り行うのが迷宮探索者の不文律なのです。

 しかし一〇〇年後のこの世界に、蘇生を専門に行なう寺院はありません。

 今がまさしく、その余程の事態でした。


「一層の礼拝場で執り行いましょう。安置されている “杖” の加護で、多少なりとも蘇生率が高まるでしょう。例え一パーセントでも可能性を高めるべきです」


 “兄弟愛(ララ)の自警団” の拠点の一画には、神器 “ニルダニスの杖”が奉られています。

 あの杖の近くなら蘇生の確率も上がるはずです。

 なによりわたし自身に、時間が必要でした。

 覚悟を決める時間が……。


「よし、五代の遺灰をそこまで運ぼう――安西、それでいいな?」


「……」


「安西」


「……忍くんはわたしが運ぶ」


「それは無理だ。炎で燃え尽きるのと違って灰化は肉体が同じ体積の灰に変化する。多少軽くはなるかもしれないが……」


「忍くんはわたしが運ぶ!」


 安西さんが仇を見るような眼差しを向けます。


「彼女の気の済むようにしてあげましょう」


 わたしは隼人くんに向かって、小さく頭を振りました。


「恋の荷物はわたしが持つわ」


「五代の装備は俺が持つよ。短剣も鎧も……特に盗賊の七つ道具(シーブズ・ツール)はこっちの世界じゃ手に入りにくいからな」


 田宮さんと早乙女くんが、それぞれ申し出ました。

 わたしたちは手分けして、出立の準備に取りかかります。

 怪我の治療をし、水を飲み、戦利品や手放した装備を回収します。


 安西さんはもう、泣いてはいませんでした。

 両手で五代くんの遺灰を掬っては、中身を空にした自分の背嚢に移しています。

 その姿は鬼気迫り、凄惨でさえありました。


 小柄だったとはいっても、五代くんは一六才の男の子です。

 隼人くんの言ったとおり灰化は、身体が同じ容積の灰になることを言います。

 比重の関係で多少は軽くなるとはいっても魔術師(メイジ) であり、パーティで一番華奢な安西さんが地上まで運びきれる重さではありません。

 それでも……わたしたちは彼女の好きにさせてあげるしか、ありませんでした。


「わたしたちは追い詰められています。帰路は依然不明のままで、今また五代くんを欠いてしまいました。帰還は一層困難になったと言わざるを得ません。だからこそ、冷静である必要があります。冷静でいる限り “悪巧み” の資源(リソース)は無限だからです――進発しましょう」


 五人になったパーティは準備を整え、迷宮の白骨樹林を後にしました。


「……必ず生き返らせてあげるからね」


 安西さんのその呟きを最後に。



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― 新着の感想 ―
[一言] 恋する乙女は強いですね。
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